死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20171030

 今日は6時半時に起床。早く起きると新聞をゆっくり読めるというメリットがあるが、だいたい新聞のつまらなさに飽きて寝る。そういうわけで、うっかり2度寝して8時半に起きた。余裕もへったくれもなくそのまま出勤、今日は時の流れすら氷河に変わってしまうような寒さだった。もちろんこれはただの”””喩”””で、同じ川に二度と入れない時の残酷さをひしひしと感じつつ、俺は少し遅刻して仕事場についた。

 

 午前中、残務処理や人の手伝いなどをしていたらあっという間に過ぎ、自分が今日本来やるべき仕事を午後に回すことになった。久しぶりに午前中からフルパワーで働いた気がするが、結構気分がいい。いつもの俺ならば、午前はまったりして午後何かに急かされたように働き出す感じで疲れていたが、これからは午前に済む仕事は午前にやった方がいい気がしてきた。大学時代も2限に授業をとって3、4限はまったりして、5限をやるみたいなことは結構していたから、そのリズムの名残かもしれない。

 

 午後、やるべき仕事をサクッと終え、少しだけ読書の時間をとった。『読書の伴侶』という古めかしい本で、中身は教養主義の残党の残党みたいな内容。本を読んで人格を陶冶しましょうとかいうことをマジでやっていた最後の世代の井戸端会議という感じだった。ただ西谷啓治高坂正顕といった京都学派重鎮から壽岳文章、猪木正道などふた昔前ぐらいのスターを揃えた陣容で、古臭いとは言っても所々に含蓄があって面白い。80ページぐらいはいわゆる読書論をブチ上げていて、あとの300ページはこいつらが読んだいい本をひたっすらに勧めてくる感じだ。昔はよかったなあという気持ちにはなった。気が向いたら続きを読むという感じでペンディングした。また会おう、美しき20世紀よ。

 

 言及ですが、読書については、阿部次郎が言ったことが大体全部だと思う(『読書の伴侶』でもちゃんと引用していた)。「読書は体験を予想する。自ら真剣に生活し真剣に思索している人にとってのみ読書は効果がある。読書はわれわれの思索と体験とを補うことはできるが、これに代わることはできない」この一例は『若きウェルテルの悩み』のロッテの「クロプシュトック!」でしょうね。ところで、皆さんは真剣に生活し真剣に思索、していますか???

 

 今日、埼玉県のどっかの市長と市議会議長が入札妨害で逮捕されたという。すごくうれしくなってステーキを食べた。うまかった。やはり他人の不幸はあらゆる料理を美味くするウルトラ調味料だ。ありがとう、ありがとう。帰りは22時20分。

 

 ごはん

 朝:ヨーグルト

 昼:かつ丼とたぬきそば

 夜:いきなりステーキでワイルドステーキ450gとご飯大盛り