死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

24歳になって

 24歳になった。

 

 24歳という歳は特別なのだろうか。23歳や25歳とは違うのだろうか。よくわからない。だが、とりあえず十二支を2周分というのはすごいことなんじゃなかろうか。

 

 12歳の時の俺は端的に言って敗北者だった。12歳の誕生日の時、俺は両親から誕生日プレゼントをもらわなかった。代わりにこう宣言したのを覚えている。「プレゼントは合格だから!第一志望に受かるんだ!」合格した後にゲーム買ってくれとはもちろん言ったのだが。そして、2か月遅れた誕生日プレゼントは俺の番号がない合格発表と、行くはずだった中学のパンフレットの燃えカスだった。

 

 俺は学習塾に通い、学校の勉強よりも塾での自習を優先していた。時には学校を休んで、塾の自習室で小学校では絶対に教えられない算数とがっぷり四つを組んだ(図形問題でメネラウスの定理を使った時の感動は今でも覚えている)。得意科目は国語と社会で、それでなくとも小学校の同じ学年では常に1番だった。同じ塾の仲間よりも成績はよかった。自信がなかったといえば嘘になる。俺はできると思っていた。当日、運命の試験開始。問題用紙を見て、鼻っ柱を折られた。空欄を埋めるだけだった。試験終了してから家に帰り母親に「できた?」と聞かれ「うん」と答えたことを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。午後の合格発表には一縷の可能性を信じて行った。もちろん、そんな可能性は虚偽で、ごまかしにすぎなかった。

 

 今思えば、両親の期待を裏切り続ける俺の歴史もここから始まったといえる。両親は俺にずっと期待していた。自分たちは大したぜいたくもせず、身を粉にして働き続けた。父親は俺が起きる前に出勤し、寝る頃に帰ってきたし、母親はずっと介護の仕事をして、夜は自習で遅い俺を自転車で迎えに行ってそれから夕飯を作った。俺はあの日、自分のことしか考えられなかったが、「落ちてた」と俺に言われた両親はどう思っていたんだろうか。俺は自分の部屋にこもり、床に突っ伏してずっと泣いていた。その日の家は、母方の祖父が亡くなった時よりも暗かった。

 

 さて、そこからまた、十二支を一回りした。俺は私立中高一貫校でどうしようもないクズオタクに成り果て、私立大学への進学でまた親の脛を食いちぎり、骨まで噛み潰した。その大学生活も、俺の性格を根底から帰ることはできなかった。就職活動も無だった。入った会社は内定式で辞めたいと感じた。で、これまで綴ったようなゴミ生活を送る日々だ。なあ、12歳の俺よ、お前が第1志望に落ちたから、俺はこうなったんだろうな。お前があの時、チャッカマンでパンフレットじゃなくて自分を焼いていたら、結果は違ったかもしれねえな。お前は人生を踏み外しただけじゃなく、死に際まで外しちまったんだ。おかげで俺は死ねなくなってしまった。

 

 今の俺はもう一度両親の期待を裏切るかもしれない。仕事を呪い、社会を呪い、他者を呪い、世界を呪う。地底を這う巨大な憎悪が、マグマのように黒い呪詛を噴き出す。その呪詛に意味がないことを知りながら、俺は呪うことをやめられない。12で流した涙は、24の感情で黒ずんだ。さて、36になるとき、俺はどうしているだろうか? ケリをつけているだろうか? それともさらにどうしようもなくなっているだろうか? 分かっているのは、次の12年間、俺はこのどん底をさらに掘り進める羽目になるということだ。それが自分の「基底に至る」のか「堕落を突き抜ける」のかはわからないが、まあ、そんなこんなで、今日も生きるしかないのだ。