死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

今後の方針

 諸事情でツイッターを辞めました。またほとぼりが冷めた頃に復帰すると思うが、恐らく前のように公開でツイートすることはないだろう。なので、一応しばらくはこのブログを発信の場としたい。かつてツイッターでフォローしてくれていた俺の知り合い諸氏は適宜エントリを見て、関係各位にシェアをしていただけると助かります(特に鍵垢で知り合い諸氏をフォローしている人たちなら適切に俺の関係各位に届くと思われるので、お願いします)。とりあえず、ツイッターをやめてしまった以上、ブログは出来る限り毎日更新していきたいと思っているので。

 

 昨日、ついに仕事が完全に無理だと悟り、母親に「仕事やめる、本当にごめん」とメールを送った。今までは「あーこの仕事無理だわ、ホントやめてえ」っつって、親はそれを冗談だと思っていた節がある。ところが今回ごめんなんて文句を入れたもんだからついに親も俺が本気だとわかったのか、「夜に電話してくれ」と言われた。

 

 で、夜に電話をした。親も「まあもう無理強いはしない、あんたが何をやりたいのかさえちゃんと決まってればいいよ」とのこと。まあ、事実上のゴーサインだ。今の今までこれを聞きたかったのに、哀しいかな聞いた途端「えっちょっと待ってくれや」とか思ってしまった。習慣の力おそるべし。

 

 ただ、親にとってはよほどのことだったのだろう。伯父まで電話をかけてきたのでビックリした。俺にとってもよほどのことだ。親にそんな真剣な感じで「ごめん」なんて言ったのは、第1志望の中学に落ちた時以来だ。

 

 仕事はこれでいつでも辞められる。問題は辞め時だ。まず、今は厳しい。第一に金の手持ちがあまりに少ない。というのも、メチャクチャ豪遊してたしメチャクチャ本を買ってたからだ。まあこれは必要経費みたいなところもあるが、これから準備するにあたってはいろいろとしなくてはならないこともあるだろう。引っ越し代とかも必要になる。失業保険などがあるとはいえ、もう少したくわえが欲しいというのが本音だ。第二にこの時期に辞めると引継ぎの関係が面倒くさくなる。これは単純に俺の都合であって、決して会社の都合ではない(「いつだって辞めてやるよこんな女の腐ったような会社」のマインドだけは錆びちゃいない)。というわけで、現実的に仕事をやめるとしたら、やはり来年度中、それも夏の賞与はもらってからだろうか……。

 

 もちろん精神が終わってこれより早く辞めるかもしれない。だが、そろそろ「辞める」ということを現実的に計画する時が来たらしい。つまり、辞めた後をどうするかについても真剣に考えなくてはならないだろう。これについては、関係各位のお知恵を借りたい。今ほど俺の人生において他人の知恵を必要としている時もそうないと思うからだ。

 

 何はともあれ、辞められるってなったら急に何か心持ちが楽になった。かといってこの楽なまま仕事を続けたら多分また辛くなって自傷(昨日は髪の毛をむしったり自分の腕の甲を噛みまくってた、雛見沢症候群かよ)するので、警戒はしていく。

 

 この数か月、ツイッターでとにかくいらんことばっかり言って人々を傷つけていたと思う。俺の罵詈雑言の乱射が当たってしまった人、本当に申し訳ない。できることなら俺は貴方たちと和解したい。それだけは伝えたい。

 

 会社が憎い。憎くてしょうがない。出社すると吐き気がする。仕事中に立ち眩みがする。1日5回は上司の家に散弾銃を持って押し入る妄想をする。そんなんばっかりだった。だが、俺は本心から憎むことを辞めたいと思っている。何故か。憎んだところで俺はその憎しみをもって一方的に復讐する術を持たない。現状の司法制度とそれを支える警察機構を相手にしては、復讐は共倒れを意味するからだ。社会的、経済的な復讐などできっこない。相手は大企業だ。もちろんそれでもなさねばならぬ正義(よしや世界が滅びようとも、である)があるが、流石に俺はそれを抱いて溺死することを恐れるほどには「市民」だ。ミヒャエル・コールハースにはなれないが、別にそれでもいい。

 

 というわけです。俺はやる、やりたい、やらなくちゃ、それはカス。