死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20190216-0218

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 休みだったので、退職に向けての細々とした電話かけや書類などをやり、その後車で30分ぐらいかけて温泉に行った。暖かいと熱いの境界が曖昧になるまで自分の肉体を湯に浸けると、それだけで神が俺を「よしとされた」ような気がする。効能のところに「存在の是認」も書いておいてほしい。その後、昨日のエントリを書くために難渋しまくった。自分の中で論理的にというか、筋道立てて物事を考えることが難しくなっていて、仕事のせいなのかなと思ったが、今や仕事でさえ流れ作業的にやっているので、単純に頭を使ってないんだなと感じた次第。

 

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 そのエントリが結局まとまりのない形で完成した。まあ、あれは思考の軌跡みたいなものなので、いつか読み返して「うわ恥ずかしい」と思いながら、何かの手がかりになればいいなと思っている。2か月に1回はブログを最初から読み返しては様々な感情が生起して「マロタ!」以外の言葉を失うのだが……。こういうえも言われぬ「エモ」を感じるために書いているのかもしれない。それもあるのかもしれないが、実は面と向かって話している時に他人から過去のエントリについて言及されるのは微妙な気持ちになる。まあ公開している時点で何言ってるんですかという話だが……。

 

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 仕事を惰性でしている。惰性で仕事ができない時期ばかりだったので、多分普通に「暇」なんだろう。あんまりそんな気もしないが。実はいろいろ抱えていることもあるし、やらなきゃならないこともある。しかし、それらすべてにやる気が起きない。それは一体何でなんだろうか。何を恐れているのか。入社式からずっとやめたいと思っていたが、しかしもはやその時のやめたいと今のやめたい(そしてやめるわけだが)が一緒なのかは全くわからない。

 アドラー心理学で有名な岸見一郎の読書についての新書を読んだ(別に宣伝でないので書名は記さないが)。彼が有名になったきっかけのアドラーについては全く知らないし読む気も起きないが、その前にギリシア哲学(藤澤令夫門下)をやっていたことは知っていたので、個人的には気になる存在だった。ココスで夕飯を食いながら読み終わったのだが、読んでいて分かったのは著者の篤実さである。何か所か刺さるところもあったので、それだけは覚えておこうかと思った。