死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

虚無すら美味

 久しぶりの更新です。

 

 まあ、明日(というか今日)一応公務員試験を受けてきますが、来年の偵察という感じです。でも家庭の事情的に今年に転職を決めたいので、今回が最後の記念受験になるのかなとも思っています。民間のいろんな業種を視野に入れていろいろ動き、まあ種々の失敗をやらかして今に至っています。

 

 ところで、俺は何がやりたくて仕事を辞めたのかよく分からなくなってきました。地獄みたいな環境だったので辞めたことは今でも間違っていないと思います。しかし、辞めた後の迷走っぷりは正直自分でも酷いなと感じる。いやまあこれは必然的な帰結なのかもしれないけど。とはいえ私は運命論者ではない。神様がサイコロを振るんじゃない、神様をサイコロステーキにしてやる。

 

 思えば前職も無定見ゆえに喜んで入ったバカなので、まあ単純な因果の類推が許されるのであれば、歴史は繰り返すというかなんというか……。もはやそれをコミカルに自嘲するほどの気力もないのですが、かといって「あー終わった終わった」するほど世の中を諦めてもいない。心のどこかで警察官が「終わってねーよ!」って言っている気がする。現実の警察は嫌いですが。

 

 親と暮らしているとご飯が勝手に出てきたり風呂が沸いてたりというのがありますが、しかし当の親は25歳の息子が意味不明な感じでもがいている様を見ていてどう思っているのかと。辛いんでしょうね、でも本人が一番が辛いからねみたいな感じで俺にはあまり何も言いませんが、こちらとしても何とも言えないですね。感情とかいうノーガード戦法で内側から破壊しにやってくる奴、これを失うことができたらどれだけいいか。どれだけの感情の失ったオタクたちの生贄を捧げても本当に感情なぞ失えやしないという事実が、俺たちをキリキリと苦しめている。終わらないもぐら叩き。

 

 俺は結局のところがむしゃらに何かに取り組むようにはできていない生命体なんだということを痛感します。

 

 まず記憶力が致命的にない。毎日公務員試験の過去問を見て「あれ、これわかんないな」と思ってノートをひっくり返してみると前日に解いている。あれっと思ってさらに遡ると、4日前にも解いている。もちろんそれらの記憶は全くない。毎日新しいことを勉強しているような新鮮な気分になるよなんていう慰めは、全てのゲームから解放された高齢の年金暮らし認知症患者にのみ適用されるのであって、俺のような実社会でまだまだプレイしないといけない若人には残酷な事実以外の何者でもありません。小林泰三の小説に出てくる前向性健忘症の男のように、いずれこのノートだけが俺という継続的集積になるのではないかという気がしています。自己同一性が不安です。

 

 次にすぐ移り気しちゃう。これを解決するために図書館で勉強しているのですが、それでも2時間に1回は立ち上がって本を読んでしまう。多分記憶の定着しなさはこういうところにも起因するのではないでしょうかね。

 

 それと、最近頭を使っていなかったからか、毎日のように頭が痛い。これも結構辛くて、1日1時間ぐらいは昼寝に使っています。何なんでしょうね。

 

 とまれ、6月中はそんな感じで一応勉強はしていたのですが、今急に怖くなって過去問を一通り斜め見しながら正答を導こうとすると、やはりできない問題がそこそこある。そこで一気に虚脱感を覚えたわけです。

 

 費やした時間が無駄だったとは思いません。3年間の絢爛たる悲惨を過ごしてきた身にとって、静謐な環境で何か新しい分野の勉強するなんてことはたとえその目的が達せられなかったとしても、その過程自体を祝福しなければ。しかし、レームダックならぬレームお脳な俺がこんなことをやっていても……と思い、最後の追い込みをすっぱり諦めてさっきまでDivision2をやり、今はブログを書いています。バカバカしいですね。この世界のバカバカしさの総和を思うといつだって気が遠くなりますが、まさかそれに自分が荷担しているとは。首吊りピエロと燃えるような赤い髪の女もこうやってパレードに加わったのかもしれない。

 

 今は完全に即興で、書きなぐるように書いています。でもブログは時々読み返して、こんなこと考えてたなとか、理知的にふるまおうとしている跡があるなとか、まあともかく過去の自分というのはいつだって微笑ましいですね。現実がいつまでも悲惨だと、その微笑ましさが最後の拠り所なのでしょう。

 

 この記述もいつかそのような形で昇華されたらうれしいですね。明日は早いので、スカイリムのMOD漁ってから寝ます。