死者の如き従順

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【映画感想】『新聞記者』――どこまでリアリティがあるのか

 就活、全くうまくいきませんね。というわけで登録サイトだけが増えていく。そろそろ転職エージェントとやらとも会ってみないといけないでしょうね。神様お願いします、今年中には食べていける職業、残業50時間以内の職業、理不尽な命令のない職業、精神論で全てをごまかさない職業、俺が一番いい職についているんだっていう顔をする社員がいない職業をご紹介ください。

 

 就活がうまくいかない時、人間は現実逃避しがち、ということはPeterson and Clayman 2017*1でも明らかですが、俺もお母さんに就活しに行くよと偽って映画を見に行きました。まあ今話題の『新聞記者』を見に行ったんですね。

 

 結論から申し上げると、肯定的なことはあまり言えそうにないと思いました。よかったことがないわけではない。とりわけ言及しておきたいのは演技。主演の韓国人女優シム・ウンギョンと松坂桃李、あと脇を固める北村有起哉田中哲司も含めきちっとした演技がこの映画を最低限映画として見られる作品にしているのではないかと思った。前者2人はその時々に見せる表情がとてもよかったし、役に徹している感じがした。その徹底ぶりに関しては、個人的には内調の幹部である内閣参事官・多田を演じた田中哲司のいやらしく黒っぽい演技がパーフェクトで、松坂演じる内調官僚の杉原をみんなの前でなじった後に机をさらっと見たりするところとかいいですね。

 

 で、まあ作品の評価に立ち入る前にこの映画を取り巻く前提についてもう少し触れたい。https://digital.asahi.com/articles/ASM725JF0M72ULZU00L.html この記事でも紹介されているように、何かもう上映前から「今の日本社会ではこの映画を撮ることのハードルが高いんや!」的なアピールが繰り返されている状況があった。それが本当なのかどうかはさておき、ツイッターなどで検索するとこの作品の評価にて「この映画を撮ったことがすごい!」「演じてくれた役者さんに感謝!」みたいなのが散見される。

 

 しかし私見を言わせてもらえば、それは映画作品そのものの評価というよりは、作品外の社会情勢などのコンテクスト含みの評価であると思う。もちろんそれが悪いとは言わないが、じゃあ演出がどうだった?とか脚本はどうだった?みたいな視点がこの映画を手放しで褒めている人たちにないように思われる(ツイッターでざっと見ただけなのでアレなんですが、もしあったら教えていただければ幸い)。

 

 仮に脚本などの評価があったとしても「これが日本社会の現実だ」とか「官邸や内調のあくどさがよくわかる」という感じで、「現実」に近いものとして描かれているがゆえにその「リアリティ」を評価している感じが見受けられるし、多分制作側はそういう部分に目的意識をもって作っていると思われるので(でなければあそこまで現実には似せてこないだろうし、朝日新聞の南彰に司会をさせた望月、前川、ファクラーの鼎談討論番組をわざわざ引っ張ってこないだろう)、その意味で一定程度映画を観た人にそう感じさせることは成功しているのだろう。俺はこの後、そんなにリアリティは感じなかったという感想を述べるつもりだが、俺と真逆の意見を持つ人もいるはずだ。まあそれは否定しないけど、一応もっともらしい意見を述べるつもりなのでまあ参考程度に見てくれやという気持ちです。

 

 ※以下、ネタバレ全開なので「見るつもりだよー」という人はそっと閉じてください。とはいえ、個人的には別に顛末を知ったところで見る価値が損なわれる映画でもないと思う。つまり、元々見る価値があるかと言ったら……あとは分かりますね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストーリーは簡単。序盤から官邸がフルスロットルでヤベェことをし出す。文科省の元幹部が野党女性と不倫をしている疑惑の読売へのリーク、デートレイプドラッグおじさんの逮捕状執行差し止め案件(さらに告発者の女性へのネガティブキャンペーン)など、「あれ、どっかで見たことあるぞ……?」と思うような事件が展開。この映画の中では大体内調が仕込んでいるという感じ。シム・ウンギョン演じる主人公の社会部記者・吉岡は、自社に来た特区への大学新設のリークについて調べている。一方外務省から出向中の内調職員・杉原(松坂桃李)は徐々に上司のヤベェ命令に疑問を抱きつつ、さらにその大学新設をやっていた外務省時代の上司で内閣府に出向中の官僚が突然不可解な自殺をしてしまう。その官僚は内調に目をつけられており、杉原も大学新設と自殺に関係があると思い、ここで吉岡と杉原が何やかんやあって協力し合う関係となる。そして新設される予定の大学には、軍事転用可能なレベル4のウイルスを研究できるような設備を作る予定だということが分かり、杉原の協力を受け吉岡は朝刊一面トップの特ダネとして記事を掲載する。しかし杉原は多田に圧力をかけられ……というのが大まかな流れだ。

 

 全般的にどっかで聞いたことあるなあっていう話ですよね。もちろんこれは制作側の意図であり、この作品を「現実」に似せて描くことによって、我々が知りえない官邸や内調の「あくどさ」のできるだけリアルな部分に到達したい、という思いがあるのだと推量する。じゃあそれに成功しているのか?というと俺の意見は先も言った通りNOである。理由を説明する。

 

 まず、全体的に「ほんとかよ?」と思うことがしばしばあった。俺が気づいた点を、とりわけ制作側が「敵」として描く「内調」について述べる(新聞記者サイドについても言いたいことはたくさんある。たとえば吉岡が大学新設担当の後任の官僚に朝、職場である内閣府庁舎の手前で取材を試みるのだが、これは杉原がその後任の部屋から大学新設の書類をスマホで写真撮影して盗み取るための時間稼ぎだったかもしれない点を措いても、素人目にも相当デリカシーに欠ける行為だと思う。同僚が見ている蓋然性が高い職場近辺でそんなクリティカルな話題を出すというのは新聞業界の常識なのか。教えて偉い人)。

 

 最序盤、文科省幹部と野党女性の密会シーンを誰かがカメラでパシャるのだが、パシャっているのは公安だということが示唆される。公安というと公安警察公安調査庁か迷いどころだが、普段「公安」と略すのは前者なのと、そんなアホな任務ができそうな組織はどっちか、ということから考えて公安警察とみるべきだろう。まずこの点が「?」となる。いろいろ仕事を持っているはずの公安警察がわざわざ内調の手足になるのだろうか。内調には多くの公安警察官が出向しているらしいことは知られているが、そいつらも尾行や秘聴・秘撮の技術はあると思うので、何故彼らでやらずに公安に外注するのか。内調と公安はそんなツーカーの仲なのか。いろいろと疑問が出てきてしまった。

 

 一応、これを最大限ありそうな話と思って受け取ると、この案件の「もっともらしさ」は週刊現代やリテラなどの記事(あまりにもくだらないのでリンクは貼りません)で示唆される「官邸に出向している『警備局系の警察官僚』(杉田官房副長官、北村内閣情報官ら)たちを介した公安警察の私兵化」というイメージに依拠しているとみえる(ちなみに当該記事を読んだ限りでは、実際に「公安が動いている」という確たる証拠がないどころか、大体が推論ですまされている。信じるか信じないかはあなた次第)。しかし、である。内調はロシアに出し抜かれ、それを公安に検挙されているようなところだ。公安と内調が非公然に一体化していたら、お互いの手の内がバレるというか、カウンターインテリジェンスの観点から大丈夫なんだろうか。「官邸⇒内調⇒公安」という指揮系統も微妙で、いくら官邸サイドのお偉方が警備畑の出身者だからとはいっても、セクショナリズムの垣根を超えられるのかというところには疑問符がつく。まあ俺の考えが実は間違っていて、ホントのホントは……というのもないではないかもしれないが、しかし以上のことから、少なくとも映画で公安がやったようなことについてリアリティがあると即断できるのは、週刊現代やリテラの当該記事を「真実」が書かれていると考える人たちだけだろう。

 

 次に、映画内の内調のオフィスはいつもメチャ暗く、揃いも揃って陰キャっぽい連中がカチャカチャとパソコンで何しているかというと、偽装したネトウヨアカウントでネガキャンを展開しているのである。「ネットサーフィンぐらい電気つけてやれよ……」という真剣な気持ち(ダークな内調を演出したいということかもしれないが、職場にあんなに人がいるのに誰も電気つけねえとか働いている奴頭おかしいだろという素朴な気持ちが先行してしまった)、あと流石にネトウヨアカウントで毎日頭の悪いツイートをするのが内調の職務というのはにわかに信じがたい。

 

 最近刊行された今井良『内閣情報調査室』(幻冬舎新書)によると、内調は国内部門に世論班なるものを持っている、とされる。また、初代室長の大森義夫はその人脈を使って、よく月刊誌に知り合いの学者などに論考を書かせて、間接的な世論操作を行っていたともある。よって、SNSに手を出していないとは限らないが、しかし流石に何十人もパソコンにむかってあんな罵詈雑言をカチャカチャしてたらそれこそ悲劇である。内調の人数は多く見積もっても数百人なので、あの人数が日ごとSNSに興じているとしたら、我々はそのような政府に今後一切税金を納めるべきではない(それはともかくとして俺が払った市民税と国民年金と国民保険の30万返せ)し、何なら毎日内調のオフィスに手紙爆弾を送っても違法性が阻却される気がする(しない)。仮にSNSでの世論形成工作があるとしたら、海外のトロール・ファクトリーのようにそれこそ「外注」するのではないか。

 

 まあ、官邸の体たらくを見ているとそういうことを信じたく気持ちはわかる。さらに、よくいるネトウヨアカウントがマジで金太郎飴みたいな印象を受けるし、昔何かインターネットの求人でネトウヨ的な意見をばら撒こうぜ!みたいなのもあった気がする。だが、俺が内調ならむしろ大森のように中道右派の論客(ソフトな語り口のリベラルホーク、たとえばスリーパーセルIN大阪ウーマンみたいなの)を増やしてそれなりに「まともな」ことを言わせた方が、中道左派にも影響を与えられるのではないか。名指しはしないが、ツイッターで安倍政権と日本社会を叩かずにはいられない/褒めずにはいられない連中はどうせ何したって変わらないので、相手にしても無駄という気がする。

 

 どちらにせよ、俺があのシーンにリアリティを感じなかったのは以上のように、そうした世論掲載の「手段」を「内調職員」たちがわざわざとる必然性を理解できなかったことによる。ちなみに制作側がかのSNS世論工作について「内調」だけに責任を負わせているわけではない。たとえばあるネガティブな情報を拡散するにあたって内閣参事官・多田が「与党ネットサポーターズにこの情報をばら撒け」と指示したり、吉岡の同僚記者が「内調がネットカフェ難民雇ってやらせている噂があるみたいですね」と示唆する場面がある。これは①ネトウヨアカウント偽装ネガキャンは与党支持者も噛んでいる②ネットカフェ難民でも雇ってんのかという話がまことしやかに囁かれている、という制作側が思っているということだ。

 

 ①はまあわかる。②はよくわからない。先ほどの公安警察私兵化とは異なり、ネットで検索した限り、雑誌ベース、バイラルメディアでもそんなことを示唆する記事は見当たらなかった(もしあったらご教授いただければ幸い)。これは恐らく制作側のオリジナルとみるか、もしくは公表されてはいないが制作側と同じ政治的傾向を持つ人たちにはある程度真実味を帯びた「ありそうな話」ということになっているのだろう。ネットカフェ難民はその日暮らしだからどんな仕事でもやるし、内調はそれだけあくどい組織だ――というのは単なる「偏見」ではないか、と考えるのは行き過ぎだろうか。とにかく、あの場面でネットカフェ難民が出てくる「必然性」もよく分からないというのが正直なところだ。

 

 とまあこのように言及したいことはいくらでもある。たとえば加計学園の大学は生物兵器のために~~~みたいなツイッターで囁かれているような話に着想を得てマジでその路線で話を展開させるのは、まあ自由ではある。俺がその話を見て「陰謀論やんけ!!!!!!」と思うのも自由だろう。大体そこについてお粗末だなと思ったのは、そんな生物兵器禁止条約にも抵触するようなことを文書にしておいて、しかも簡単に見られちゃうような机(杉原が開けられるということは鍵もかけてないとみられる)に入れておくとか、もうそこからして何とも言えないというか……。お粗末さは監視されているかもしれないという危険性を分かっていながら、普通に夜道歩きながら話しちゃう吉岡や杉原とかにも言える。ポリティカル・サスペンスでもあまり見ないようなチープさが、この映画のリアリティを損ねまくっている。単純に細かい演出から脚本のあらすじまで「うさん臭さ」が充満していると、うーんという気持ちにならざるを得ない。

 

 結局のところ、これらは現実の事件を素材にしつつも、その裏側として、制作側が「これが説得的な答えや!」と提示したのは終始「ありそうな話」の寄せ集めである。これに「リアリティ」を感じる人は、ある程度制作側と政治的傾向の軌を一にするのだろうし、制作側と見ている世界が一緒なのかもしれない。一方、俺はどっちかというと右派的な人間(しかし内調の工作員ではない。内調さん無職の俺を雇ってください。俺は80時間までなら残業できます!!!!!)で、制作側と政治的見解や世界観が異なると思う。その俺からすると、残念ながらこの映画にはリアリティを感じなかったと言わざるを得ない。もちろん、万人に同じように訴求する映画なんてないだろうし、人それぞれの見方があることは尊重されるべきだ。しかしだからこそ「リアリティ」にこだわるのであれば、俺みたいな奴に「ああそうだな、それはありえそうだな」と思わせるぐらいの作り込みがなければそもそも作る意味があるのか?と思う。もしこの映画が参院選向けの左派のための票固め映画だとしたらまあ特に文句はないが、プロデューサーらが種々のインタビューで言っていることからするとそんなことはないだろう。

 

 確かに多くの人が言うように、こういう現代政治を描くことにそれなりの意義があるのかもしれない。ただ、じゃあ果たして作品が「意義」の重みをしっかり支えていたか。本当に問われるべきなのかはそこではないだろうか。終盤の松坂桃李の苦悶の表情、ラストシーンの含蓄には俺も唸るものがあったので、ただただ残念である。

 

 追伸:あ、あと一つ俺の理解力の足らないせいでよく分からなかったところがある。これは教えてほしい。ラスト間際で杉原が受け取っていた元上司の手紙には「実は大学新設にあたって総理のお友達企業に金が流れてる。その決裁を押したのでもう無理になちゃた」みたいなことを書いてあった気がする。アレはどういう意味なんだろうか。ストーリー上、大学新設を巡る黒い話は生物兵器だけだったし、新聞社に新設をリークした元上司は確かに生物兵器の話に記者が辿り着けるような誘導をしていたと思う。その中で「実はもう一個おっきな話がありました!!!」みたいなことでまだまだ明かされぬ真実がある中で、多田に圧力をかけられた杉原は無理になってしまい、ラストの声にならない「ごめん」(議論の余地あり)につながったということなんだろうか。

 

 

 

 

*1:そんな研究はない。為念