死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

インターネットバトルで死なないためにぼくたちができること

 消える飛行機雲を見送りがちな皆さん。インターネットバトル、してますか?

 

 インターネット草創期から、匿名非匿名を問わず人々は意見を戦わせてきた、と思う(と書いたのは草創期のことをよく知らないので)。ツイッターでも、まあ「論客」、と言っていいのかはともかく、人々がバトっているのはよく見る。アカデミシャンや弁護士、事情通のジャーナリストや有名人が毎日のように社会イッチョカミストに絡まれて報復攻撃をかますと思えば、大学生や院生が専攻そっちのけで引用RTをしながら政治や男女論、マイノリティについて論争し、オタクは雑な放言でリベラルにブッ叩かれ、アニメ制作者がローマ法王に「ちょっと黙っといて」と言う時代に我々は生きている。このことに異論はあまりないはずだ。

 

 こういう中で、ある日ひょんなことからバトルに巻き込まれてしまったり、好奇心で「いやそれは違う」とリプ送ったり引用RTしてしまうことがあるかもしれない。しかも、それは飛行機が落ちる確率の1億倍、アメリカでサタデーナイトスペシャルを隠し持った強盗に出会う確率の100倍以上であるとされる(当ブログ調べ)。この記事は、そういう時にどうしたらいいのかを考えるためのものだ。皆さん考えましょう。

 

 前提としては、インターネットと言っても俺が基本的に想定しているのはツイッターであること。とはいえ、別に5chのレスバでも応用がきくと思う。それと、タイトルの通り「死なない」ための方策を考えることとする。勝ちたい奴はこんな記事を読んでいる暇があったらAbemaでフリースタイルダンジョンを見て即興性を磨け、常に相手の出方をシカマルよろしく100通りぐらい予測しろ、相手を大量の参考文献や資料で殴れるくらい勉強しろ、論点先取の誤謬とか権威に訴える論証とか指摘する論理寝技(ロゴス・グラウンドファイティング)を使ってもいいが調子乗って技を打ち間違えないようにしろ、永遠の万華鏡写輪眼を開眼しろ。以上。

 

0、バトルをしない、させない、巻き込まれない

 

 おい、そりゃないだろと人々のキレた顔が目に浮かぶ。しかし、そうなのだ。100%死なないための要諦とは畢竟そもそもバトルをしない、させない、巻き込まれないである。非核三原則みたいだが、他策ナカリシヲ信ゼムト欲シテイルノデ。 

 

 この3つをやっていくために必要なことを考える。

 

 まず、バトルをしないために求められるのは忍耐だ。どんなにゴミみてえな議論を吹っかけられても「まあいいや、俺は家で生ハム原木とよろしくやっている」とか「間桐桜の『――先輩』を100回を聞けば大概のことは許せる」ぐらいの気持ちを持ってインターネットを遊泳すべきである。こちらから攻撃を仕掛けるのはもってのほかである。

 特にツイッターは何故か分からないが人々の怒りを増幅させがちである。普段道端で誰かと肩をぶつかって喧嘩することはそうないが(ある人は脳を母胎に返納しましょう)、インターネットではちょっとの言葉のやり取りが端緒となって相手をゼッテェ殺すという激ヤバ交通戦争が往々にして起こり得る。こういう時、相手に期待するだけ損なのでまずは己が忍耐するべきだろう。忍者とは忍び耐える者だが、忍者でない我々もその姿勢から学ぶことは多い。

 心構えについては上の通りだが、行動について。異常な奴に議論を吹っかけられ場合、議論で叩きのめしたいという気持ちをぐっとこらえ、ブロックしまくることが大事だ。ブロックは逃げではない。自分をバカやアホや精神病棟帰りや集団ストーカーや思考盗聴から守るための手段なのである。

 

 バトルをさせない、ということはつまり相手にバトルのきっかけを与えないことにある。これは妥協のスキルが問われる。あるテーマAについて互いにBとCの相反する意見を持っていた。もしかすると相手が「君の意見は違うのでは?だってさあ」と言い始めそうな感じだったとする。ここでバトルをしないためにとれる選択肢は①一方が他方に歩み寄る②お互いの落としどころDを見つける③互いの意見が違うことを確認して終わるの3通りがある。

 この中で一番リスクが少ないのは①である。何故なら一方の意志で事が終わるし、多少なりとも理性が備わっている相手なら流石に恭順してきた人間を攻撃することは考えにくいからだ(仮に攻撃してきた場合、そんな奴はまともじゃないかナチの手先なので、例外ではあるが人類の敵と見定めてバトルすべきである。「意見を認めたのにどうしてそんな追い打ちかけてくるんですか!?」という逆ギレムーブをメインに、二度とインターネットができなくなるまで叩き潰そう)。

 とはいえ、相手に譲歩したら「死なない」までも、「負けた」ことになるのでは?という疑問が当然あると思う。しかし、である。相反する意見からそれぞれ敷衍して種々の論点のどちらかが説得的かを競わせるのが「バトル」だとしたら、最初に認めてしまうのは「バトル」ではない。戦っていない以上、あんたは無事である。精神的には負けた気になるかもしれないが、五体満足であることを喜ぼう。「勝ちたい」と言う人も、あるいは「勝ちたくはない」が「負けたくもない」つまりイーブンにするというやり方を知りたい人も、見るべき記事は多分これではない。

 ②と③は、別に負けにはならないと思うが、その性質上どうしても相手側の意志に何らかの期待をかけなければならない。もし仮に相手が理性がアカポス持ち引用RT見せしめを得意とする「猛禽類」型のバトラーだとすると、連中は1000人以上の軽率なイッチョカミトルーパーを屠ってきた残忍な戦闘狂なので②と③を受け入れるつもりは毛頭ないとみていい。何故なら向こうは自分の主張の正当性を確信しており、そしてそれなりの理論武装をしているからだ。回避不可バトルで強制敗北からの屈辱イベントシーンというRPGのお決まりが予想される。

 ネトウヨ諸君、愛国者の血肉を喰らう理性が半分腐りかけた反日左翼グールにボコボコに論破されるぐらいなら、あえて相手の靴を舐めてもいいと思います(何故なら諸々のテーマでネトウヨは分が悪いので)。何があっても己の心の「日の丸」を信じていれば大丈夫だから。

 

 バトルに巻き込まれないためには、我を抑えることが肝要だ。多少頭のある人間だと、やはり何かについて言及したいという原初的な欲求を抑えることは難しいだろう。何故なら、だいたいそういう連中は文字情報への依存度が高く、そういう中で「何がしかを取り上げて言及すること」は自分の頭のよさを証明するのに最も手っ取り早い手段だからだ。

 たとえば天気の子はギャルゲーだったとかがいろいろ流行っていて「朝っぱらから汚ねえオタクの自意識見せられて気分悪い。あー心底くだらねえ何で生まれてきたのかねこんな低能ドクズが」と言いたくなる気持ちがむくむくと生じてきたとしよう。しかしそんなことを何も考えずに投稿すればたちまち集中砲火を喰らう蓋然性が高い。オタクの団結力を舐めない方がいい。

 自分がどのような帰結を引き受けるかを想像し、適切に比較衡量できればバトルに巻き込まれることはまずないだろう(とはいえ、これについては裏技もある。聡い人ならもう使いまくっている技術だろうが、引用RTでなくツイスクショで晒す、鍵垢で引用RTして腐すなどがある。とにかく大事なのは常に安全圏にいるということだ。安全圏で心穏やかな気持ちを保つか、空爆を仕掛けるかは皆さんの勝手です。スクショ相手にフォロワーがチクるなどしてバレる可能性もあるので注意しよう)。

 

1、まずは相手の力量を見積もれ

 ここまではインターネットバトルで絶対に負けない方法を述べてきた。しかし、である。これが守れている人々ばかりだったら今ごろインターネットは30回ぐらいノーベル平和賞を受賞していることだろう。「魔が差す」ことは人間の宿命だ。ここからは、「差してしまった」場合の対処法について論を展開しよう。

 

 分かりやすくするために架空のケースを用いる。

 

 今話題の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由・その後展」について、俺が「表現の自由は原則として守られるべきだけど、慰安婦像は正直気持ち悪いよね。俺は好きじゃないし、あれが芸術というのは受け入れられないわ」とつぶやいたとする。すると従軍慰安婦問題に長年取り組んでいる女性准教授のアカウントから「戦時中の大日本帝国による性暴力に向き合っていればこんなことは言えないはずだ。このように慰安婦像を悪しざまに言うことで、像があらわす性被害から目を背けたがるような人間が、現代においても詩織さんの件のような性被害を追認するのだろう」というような呟きと共に引用RTでお仲間に俺のツイートを晒したとする。

 ここで俺がバトルを回避するためには①無視して鍵をかける②「はい、先生のおっしゃる通りです。申し訳ありませんでした。真摯に反省し、ツイートは削除させていただきます」と謝るか、「そうですか。あなたの思い込みに対しては異論がありますが、このアカウントでは議論するつもりはないのでブロックさせていただきます」とやるかであろう。普通ならば。

 しかし、ここで俺は愚かにも「何故慰安婦像についての美的評価を否定的に述べることが、性暴力と向き合ってないばかりか、現代の性被害を追認することにつながるんですか。明らかに飛躍してんでしょ。叩きたいだけで何か言うのはご苦労なことですね」と皮肉り、インターネットバトルの戦端を開いた、というケースだ。

 

 さて、まず俺は相手のプロフィールに飛ぶ。「〇〇大准教授……分が悪いな」とディスプレイを前に舌打ちする。

 

 ここで一旦ケースの進行を止め、インターネットで喧嘩を売るべきでない職種について解説する。

 

 ①研究者、弁護士

 会ったらすぐ逃げろ。彼ら/彼女らは専門分野もそうでない分野でもそれなりの知識を持ち、かつ論理的に整然と隙なく言語表現するのが得意な連中だ。

 研究者はその知識の深さ・幅広さだけではなく独特のセンスから「ある分野において何がスタンダード、あるいは最新の知識とされているのか」をキャッチアップするのがメチャクチャ上手い(ので、専門分野じゃなさそうだから殺せると思うと痛い目を見る)。知識がある相手に「その知識間違ってますよ」と言われるだけでゲームセット、無条件敗北である。

 さらに、先行研究を批判するのを生業としているためか、相手の隙を突くのがとてもうまい。弁護士もほとんど同様だが、研究者よりも後者のスキルが高めだし、即興性もある。

 もし彼らと戦わなければならないとなったら、それなりの覚悟をしておくべきだろう。特に強い奴は賛同者、というか付和雷同勢も多いため、引用RTなど使われたら1対1ではなく1対多になり炎上する可能性も高い。まず何をもってしても折れない心と、きちんとした知識や理論で武装することだ。それでも負ける確率は高いので、やはり先の三原則「バトルをしない、させない、巻き込まれない」をしっかり守りたい相手だ。

 ②アルファ

 アルファはそのフォロワー数という暴力が強みだ。そして、やはり言語表現に優れている。とはいえ論理的にはムラがあり、また知識も適当ということはある。それでも、舐めてかかると引用RTで血祭りにされ、垢消しに追い込まれることもある(民度が低いフォロワーばかり引き連れているアルファだと、住所特定などインターネットバトルにとどまらないガチリスクがあることにも留意すべきだ)。事実誤認をしているとか、どう考えてもこいつの議論の立て方には無理があるとか、徹底的にそこだけ攻めれば何とかいけそう、という感じでない限りは避けるべきだろう。

 

 ※ほかにもいろいろといるだろうが、特に気をつけた方がいいという層について述べた。

 

 さて、それではケースを進める。俺はまずい相手と遭遇したなと思いつつも、一縷の望みをかけてその准教授のタイムラインを片っ端から見てみる。どうやらいろんなアカウントを引用RTで晒し、自分の意見を述べているらしい。納得できるかというと微妙な意見の方が多い。このような時、とにかく相手のツイートをつぶさに見ておくことが重要だ。理由は後述する。

 

2、相手の主張を好意的に見た上で、自分の主張と対照しろ

 

 おさらいしておくと、こちらは相手の初撃に対して「慰安婦像の美的評価が性被害の追認につながるのか」という疑問提示と、「叩きたいから何か言ってるだけ」という攻撃をしている。

 

 バトルにおける攻撃と防御について。攻撃はとにかく相手を批判すること、防御はとにかく相手の批判をかわすか、遅らせる、あるいはずらすことだ(防御については後述する)。この場合、批判は論理的でなく、感情的でもいい。合理的だと評価されるよりも、共感を得られる形でキレた方がインターネットでは加速しやすい。このケースの場合、「叩きたいから何か言っているだけ」というのは疑問提示からの推測的な攻撃、いわばジャブであり、事実誤認や論理の誤謬を指摘するような一発勝ちを決められるパワーアタックとは程遠い。これを繰り出して相手が「ぐぬぬ」となったら勝ちなのだが、今回は負けないためのバトルなので……。

 

 相手の出方を待っていると、女性准教授は俺の反論をさらに引用RTして「気持ち悪いと感情的に反発し否認することは、像が象徴する性暴力を見ようともせず、その意義を否定するものだと言っています。そのような態度は性暴力一般に対するそれと地続きだということがわからないのであれば、もう少し勉強なさった方がいいと思いますよ」と述べたとする。ここですかさず「何でお前に指図されなきゃいけねえんだよバーカ死ね」と言う前に、考えるのが「負けない」ためのステップだ。

 

 少し考えるとわかるのだが、実は俺の最初の反撃はまあまあ分が悪い。というのも、それはこう反論される可能性が高いからだ。「気持ち悪い」という美的評価は、言葉としては非常に悪く、否定的な意図を強く含み持つ。一般的に気持ち悪いものを好き好んで見ようという態度がありえるだろうか。その意味では、俺の「気持ち悪い」という発言は、たとえ意図してないとしても、慰安婦像の意義そのものを否認する効果を持っていると言われてしまうと「ぐぬぬ」となる。そのような人間が過去の性暴力に向き合うことには当然疑問符がつく。

 さらに、過去の性暴力に向き合えない人間が何故現在の性暴力に向き合えるのか、という問いかけは説得力が高い。別に「AでなければBでない」というわけではないので、従軍慰安婦問題を否定する人が恋人の性被害を断固許さないとすることもありうるが、しかし逆に「どうして恋人を強姦した人を憎むのに、半ば強制的に連れてこられて性的サービスに従事せざるを得なかった女性については戦争中で仕方がなかったと言えるんですか?」というと相手の一貫性に相当程度の疑問を付すことができる。

 

 この思考は、相手の攻撃の妥当性を最大限こちらで引き出してみるという営みだ。相手に反論するのであればこんなの不必要だろ、と思う向きもあるかもしれないが、議論で大事なのは、常に相手が最大限効果的な批判をしてくる最強の敵であると想定することだ。相手の言論を常に善意的に解釈した上で、こちらの主張がどれだけまともにやり合えるかという強度を確認することが肝要なのだ。

 ここで、上述したように相手の他のツイートをつぶさに見ておくことが活きてくる。相手の議論の立て方、展開の仕方も含めパターンを見つけることで、こういう主張をしてくるだろうという予測(それもできるだけ整合性の高いように)しておくことが、この営みの成功率を高める。

 さて、考えてみると相手の攻撃は割と正確に俺を貫いていることがわかる。しかし女性准教授の議論の立て方はまだそこまでいっていない。しかし、ぐだぐだ言ってたら押し切られそうだ。

 

3、早いところ見切りをつけ、防御に全力集中せよ

 さて、ここまで来て俺は女性准教授とさらに議論を継続すべきだろうか。答えはノーである。世の中には引き際が大事である。これ以上議論を泥沼化し、奴のフォロワーまでもが引用RTして「レイシスト」などのレッテル貼りをしてくると、インターネットライフに支障が出る。ここはとりあえず議論を適当に打ち切り、かつそこまで俺の主張は曲げないというような着地点を探そう。

 

 ここで俺がとれる選択肢は攻撃よりも防御である。先に言ったように「慰安婦像への否定的な美的評価と性暴力の追認のつながり」という論点は、どれだけ戦線を拡張しても分が悪い。「両者には全くの接点がない。よってテメェの思い込みで何かクソな言いがかりしてきたけど謝れやボケ」とするだけの論証が必要となるからだが、それは結構難しかったりする(もしこういう有効なやり方があるという人は教えてほしい。俺の頭でも一応反論の仕方はいくつか思いついたが、決定打ではないような感じがした)。それに、余計なことをポロっといって藪蛇を出すと面倒だ。俺は間髪入れずに防御に打って出ると決めた。

 

 この場合、防御にはいくつかの手法がある。有効な防御について。

 ①「気持ち悪いという表現は確かにあまりに否定的であり撤回します。慰安婦像を貶めるような意図は当方にはありません。もちろん、性暴力を過去・現在いずれにおいても容認する気も毛頭ありません。とはいえ、私自身は像の意義をやはりあの像について美的な評価はしづらいかなと感じます」

 これは主張の特定の部分を撤回することで、相手の批判の根拠を潰す「焦土作戦」的な防御だ。後退ではあるが、相手もこう言ってしまえば「そうですか」とならざるを得ない。多分この手の議論においてはこれが割と使える防御で、「特定の部分」さえ撤回できればどうにでもなるバトルはむしろこれ一択と言える。つまり、今回のケースのような議論では最適解という気がする。

 ②「慰安婦像への否定的な評価が性暴力の追認となるというのはやはり納得ができません。とはいえ、勉強しろとのことですから、もしよければ何かに参考になる文献などご教授いただければ幸いです」

 これは相手が勉強しろと言うこと(こういうことを言う奴は存外多い)をそのまま受け取って、相手に文献を指示させる責任を負わせるカウンターだ。向こうが文献を教えようが教えまいがどうでもいい。教えてもらえば「じゃあ読みます」と言って議論を打ち切ってしまえばいい(インターネットバトルなど1日で忘れ去られるので)し、教えてもらえなければそれは向こうもバトルを継続する気がないということだろう。

 ③「言い方を変えますと、慰安婦像の審美的な側面について否定的な評価を下すことが、慰安婦像の象徴する性被害に向き合わないこととどうしてつながるのか。審美的な評価と、道徳的なメッセージの感受性の有無にどのような連関があるのか。この部分をもう少しはっきりとさせていただき、改めて議論したいです」

 これはさらに議論を細分化、あるいは「ずらす」ことを意図とする防御で、相手の攻撃を遅延できる。「気持ち悪い」という表現は後景に退いているが、審美的な評価と道徳的なメッセージの感受性の有無の連関を問い直すことで、さらに議論を長引かせることができる。多くの場合、大体の相手が根負けして「もういいです。ブロック」となったりする。そうなればしめたものだ。別にどっちも折れていないので勝ち負けの判断をする段階でもないが、インターネットではブロックしてきた相手が「負けた」と印象づけるのはたやすいことだ。とはいえ、今回のように早いところ議論を打ち切りたいケースではこれは逆効果なので、むしろ戦いを長引かせ、争点を複数化し、曖昧な地獄をやっていって相手を疲れさせる遅滞戦的な場面で使うといい。

 

 一方で、こういう場面であえて人格攻撃をしたり、別の権威を召喚したり、あるいは別のツイートを取り上げて「こんなツイートをしてるような人間に言われたくはない」として印象操作をするというやり口は、部分的には有効な場面もあるとは思うが、個人的にはオススメしない。それは議論を泥沼化させる恐れがあるからだ。そうなると、こちらが切れる手札がどんどん少なくなり、最終的には白旗を上げざるを得なくなるかもしれない。

 

 上述の防御で、うまいこと相手との議論を打ち切りにできたら最高だが、相手が細かいところに固執してくるケースもある。しかし、そこでも防御を繰り返すことで、やがて相手に攻撃の理由が失う。そうなると今度は過剰な反応ということで相手も反感を買う可能性がある。そこで攻撃に転じるのでなく、先の「非バトル三原則」を思い起こし、ここは落ち着いてツイッターを閉じ、アニメでも見たらええ。

 

 今回想定したケースは一例に過ぎない。そのため、全てのテクニックを網羅的には説明できていないと思う。そこらへんはまた今度の機会とさせていただければ(書くのに飽きたわけではない。嘘です飽きました)

 

4、まとめ

 大事なのは、最初に挙げたように、バトルをしない・させない・巻き込まれないことだ。そもそも多くの人々はインターネットでバトルをしたところで得るものは少ない。疲れるだけなので。

 もちろん、インターネット上でレイシストを100人駆逐することはそれなりに意味がある。何故ならそれだけインターネットがきれいになるからだ。そもそも、レイシストレイシズムに走っているというだけで21世紀における普遍妥当的な規範から非難されるべき正当な事由があり、バトルにすらならないだろう(そもそも人種差別はダメなのか?なんてのを本気でバトルしなければならない時代にはできればしたくないものである)。だが、インターネット上で駆逐しても、現実世界においてレイシストが減少したかは定かではない。こういうのも、疲れる一因だろう。

 もし仮にバトルをしてしまったり、相手のバトルに応じたり、あるいは巻き込まれた場合に、できる限りダメージを最小限にコントロールするための方法について考えてみるというのが今回の目的だ。バトルをする前にちょっとでも思い出していただければ幸いである。

 最後に、俺は鍵垢にしたのでもうバトルはしません。もし気に食わないことがあったら鍵垢でグチグチ仲間に言うことにします。これが賢いやり方や。陰険ですが。