死者の如き従順

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【映画感想】ONE PIECE STAMPEDE――「戦争」より「冒険」を、「答え」より「過程」を選んだ「自由」なルフィ

 今でこそクソデブキモ陰キャだが、ワンピースとナルトは俺にとっての特別なジャンプ作品なので、映画はだいたい欠かさず見ている。

 

 まず、総論的な評価を。歴代のワンピースの映画では1,2を争う出来の快作ではないだろうか。シナリオの妙味、キャラクターがはっきりした敵役、この映画限りの一時的な共闘を最大限魅せつつ「仲間」の良さを最大限に引き立てる細やかな演出、思い出を喚起する最高の劇伴音楽(ここらへんは正直天気の子越えだと思った)、アタマからケツまでブチ上がれるファンサービス、スクリーンのデカさに負けない濃密で臨場感あふれる戦闘シーンなど見るべきものがてんこ盛りだ。90分間全く退屈しなかった。

 

 ただ、個人的には作品の総合的な完成度は「FILM Z」の方が上だとは思う。FILM Zのゼファーのような本編以上の名敵役を登場させ、海軍の「正義」と海賊の「自由」を根本的にぶつけ合わせたかの作品は、本筋に直接かかわらないとはいえ、ワンピースユニバースの中でも重要な作品に位置づけられている。その意味では、今回のSTAMPEDEもそのような一角を占める作品だと思う。ゼファーと比べるとどうしても敵役であるバレットやフェスタの掘り下げがイマイチだったことは否めない(それだけゼファーは魅力的なのだ)。だが、ワンピースの根本的なテーマである「冒険」を今一度肯定的に突きつけてきたという点に鑑みると、この巨大なメディアミックス作品の全体を考えるにあたって今作は重要な参照点としての位置価を得たのではないかなと思う。

 

 逆に、ワンピースに今はそれほど思い入れがなくても、一度でも心を動かされたことのある人間なら見に行って損はないし、できれば迫力満点のバトルシーンとファンが涎垂らすツボを心得たファンサービスをスクリーンで楽しむべきだと思う。

 

 以下はネタバレ全開で。

 

 まず、ワンピースの新作映画では最も重要なファクターと言っていい敵役について。映画だけ(パンフレットなどは見ていない)でわかるプロフィールを説明すると、まずバレットは元々軍事国家ガルツバーグの少年兵だったが、国に裏切られたことでその国を亡ぼす。その後、ロジャーに敗北したことで、いつか彼を乗り越えるべくロジャー海賊団に入団。全ての無機物と合体できる「ガタガタの実」の覚醒能力者で、それで作った巨大なロボットみたいな体全体に武装色の覇気を纏わせるなど、当時のレイリーと同等の実力を持つという折り紙つきの化け物。ロジャーの死後その最強を目指す拳が行き場を失い暴れ狂っていたところを海軍のバスターコールに敗北し、インペルダウンレベル6に幽閉されていたわけだが、黒ひげ海賊団によるインペルダウン強襲の際に脱走した。

 一方、フェスタもまたロジャーの時代に活躍した海賊で、常に人々を熱狂に巻き込む「祭り」を仕掛けるプロモーターだったが、ロジャーの死に際の一言による「大海賊時代」の幕開けが祭り人としてロジャーに敗北したと感じる。その「大海賊時代」をひっくり返すレベルの新たな熱狂を生み出すべく、海賊万博を開き各地の大物海賊を集め、なおかつ海軍に通謀することで巨大な艦隊を差し向けさせたうえで、バレットと組み、海賊と海軍全てを滅ぼす「戦争」を仕掛ける。加えてバレットの目的は、自らが敗北したバスターコールに打ち勝つことで、名実ともに世界最強たらんとしたことである。

 

 この両者に共通しているのはロジャーに対する常軌を逸した「お気持ち」だ。何がなんでもロジャーを超えたいという「妄執」が、ロジャー亡き後の世界そのものに対する絶滅的な宣戦布告を彼らにさせたのだ。

 ちなみに先に述べたこの敵役の掘り下げが不徹底というのは、こうした「お気持ち」を掘り下げるシーンがバレットについては少し、フェスタに至ってはほとんどなかったことを指している。FILM GOLDの頃からの傾向だと思うが、作中では回想シーンなどはギリギリまで削り、限定漫画とかパンフレットとかでキャラクター設定を掘り下げる感じがみられると思う。それはそれでひとつの見識なのだが、個人的にはあまり好きではない。

 

 このバレットとフェスタが仕掛けた「戦争」と、ルフィたちが背負って立つ「冒険」の対立というのが今作の裏テーマだと俺は考えた。世界全体を“最初”から巻き込む意図で、海賊と海軍その全てに宣戦布告したというのは、ワンピース史上でそうないことだ。作中でそれに匹敵するであろうマリンフォード頂上戦争はその規模のデカさにおいては「戦争」級だが、あくまで白ひげ海賊団と海軍本部(と王下七武海)がエースを巡って争うという「私戦」の範疇であったことは思い起こすべきであろう(その帰結が世界的な影響を与えたとはいえ)。

 フェスタが劇中でロジャーが引き金を引いた大海賊時代を「宝探し」と揶揄し、バレットという最強クラスの戦力をもってして「戦争」を仕掛けたというのは、まさしくワンピースが貫いてきた「冒険」に対する強力なアンチテーゼにほかならない。バレットは作中で何度も「この海は戦場だ」と繰り返し、自分以外の全てを敵として殲滅せんとし、炎とバスターコールの砲撃で赤い海を現出させたわけだが、ルフィや他の海賊の冒険の舞台であった青い海との対比なのだろう。サカズキがボルサリーノにバスターコールを命じたのは、まさしく海軍も「戦争」をやる気だったということだ。

 しかし、海賊ルフィが貫き通したのは冒険、ひいては冒険をする自由である。簡単に敵味方を分けず、曖昧な立ち位置のまま共闘し、最後はバレットに勝利する(ちなみに共闘については、スモーカー、ハンコック、バギー、サボ、ロー、クロコダイルで驚きはなかった。どうせならイッショウやボルサリーノ、海賊なら黒ひげぐらい出てもよかったと思ったが、ここらへんはパワーバランス上の問題があるとみた)。そして、バレットを倒してもなお続くバスターコールを抜け出していく。バスターコールという「戦争」級の戦力に対峙するために自らが単独で戦争級の戦力になって「戦争」をぶつけたバレットが結局は敗れ、そんな勝負を真っ向から受け取らない「自由」なルフィが生き残るという構図。コントラストが見事だったがゆえに、このテーマを裏打ちする映像体験が可能だったと思う。

 

 そして、もうひとつテーマとなった対立軸が「答え」と「過程」である。これはワンピースでは何度も扱われているが、重要と思われるので言及する。物語の最後でラフテル(綴りはlaugh taleらしい。これはまた考察厨が捗りそうな……)のエターナルポースをバレットから奪還したルフィだが、CP0のロブ・ルッチとクロコダイルがそれを奪わんとした瞬間、そのエターナルポースを破壊する。

 ラフテルこそ冒険の終極であり、ワンピースとは何なのかの答えが見つかる場所である。その「答え」よりも仲間との冒険による「過程」を選ぶのはルフィらしいといえばルフィらしい。

 やはりこれを見た時、シャボンディ諸島でウソップがレイリーにワンピースのことを聞いた際にルフィが血相変えてウソップを止めた回が思い出される。今回のラストでは、エターナルポースを破壊したことにウソップは「ルフィらしい」と笑う。実は今作はウソップの成長を描いた物語でもあったと思う。

 

 そのウソップを止めた同じ回でルフィがレイリーに「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ!!」と答えた。今作を一言で表すならば、その言葉を証明したもの、と言えるのではないだろうか。

 

 以上、まとまりのない感想となってしまった。しかしとても面白かったので、ぜひ見てほしいですね。