死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

死を功績とすること、あるいは死者の政治利用について

 売れ線のグラドル、お猿さん、タバコが大好きなことで知られる日本の逸脱系コメディアンこと志村けんが亡くなった時、我らがマザファカメトロポリスガバナーの小池百合子が彼の死を新型コロナウイルスの危険性を伝えるとして「最後の功績」だと言って、賛否両論を巻き起こしたのは記憶に新しい。たとえば「永遠の二推し」こと蓮舫は「言葉を大事にしろや!」とツイッターでブチギレ、それに対して某女優助手席同乗即飲酒運転激突インターネットの嫌われ者が司会をやっているお昼の番組では「志村さんの死でそういうことを言っているんじゃないよ」とその死が政治の俎上に上がることに嫌悪感を示すタレントもいたという(後者については実際に見ていないので真偽は不明)。これはつまるところ、死者の「政治利用」に対する嫌悪感が働いているのだろう。そこでは「政治利用」そのものへの否定的な価値判断が含まれている。また、インターネット上でも、志村けんの死が「アベや自民党に殺された」「中国許せねえ」というような特定の政治的言説と結合しており、とても治安がよくない。こうした風潮も「死者の政治利用」といえるだろう。

 

 個人的には、志村けんの死によって人々が新型コロナウイルスの危機に一層敏感になったことは事実として認めざるを得ないところがあると思う。俺は情操教育上よくないという理由でバカ殿をほとんど視聴させてもらえず、あと動物が嫌いなので動物園の奴は絶対に見なかったし、テレビで志村けんが出ていることさえあまり認識してこなかったタイプの人間だが、有休中に彼の死が報じられた時は「エーッ!?」となって真っ先に母親に伝えにいったくらいである。そして今日はマスクを買いに近所のドラッグストアで延々と並ぶぐらい、2週間前の自分からは信じられないほど新型コロナウイルスへの危機感を高めている。今でもラグビーやサッカーの選手、森三中の黒沢やケツメイシのメンバーといった有名人の感染が陸続と確認されているが、この志村けんの死ほどにインパクトを与えることは今後ないのではないか(不謹慎ながら彼ら彼女らが亡くなったとしてもである)。それだけ志村けんが「国民的」なスターであり、その死さえもなお影響力を持ったということだろう。その意味で小池百合子の「最後の功績」という表現は、その死の影響力を正しく評価したという点では正しいが、死を「功績」と称する価値判断に日本人がムムっとなったというところであろう。「政治利用」という言葉もまた、否定的な価値判断を含んでいるように思う。

 

 今回の記事では、まず議論の発端となった小池都知事の「功績」という言葉についてちょっとだけ考えを巡らせた後、死者の「政治利用」とは何ぞやというところに重点を置いていく。よろしくお願いします。

 

 まず、「功績」について。当たり前だが、「うひょー!死んでいっちょみんなの役に立つぜ!」みたいな統率の外道マインドで新型コロナウイルスにわざわざかかって死ぬアホはいるまい(何故ならその自殺はコスパが悪すぎる)。戦争における美徳の発揮(という表現はいささか現代的には怒られが生じるかもしれないが)のような主体的な動機を、ただ突然ウイルスに感染して苦しくなって死ぬという「事故」じみた死において発揮することさえ厳しいだろう。イタリアの神父が人工呼吸器を譲って亡くなったというとてもいい話(もし俺がウイルスにかかって重篤になったら是非ともそうしたいと思うし免許証にそう書いとくべきだろうか)があるが、あれは「死」を覚悟する猶予(時間的にも精神的にも)があった場合で、話が少し違うと俺は思う。かかってすぐ重症化した志村けんにとっては、とにかく生きたいと苦しいの狭間で「嗚呼俺死ぬけど、この死を無駄にせずみんな危機意識高めてくれよな……」と思うことができたかどうか。そういったことを考え合わせると、「功績」や「功労」という表現が、あることを成し遂げた上での結果や過程という意味を有するとすれば、主体的な契機を持ち得ないウイルス感染による死とその死後の影響力の大きさにそうした表現が当てはめられるかというと、疑問なしとはしない。

 

 その意味で、蓮舫大先生の「言葉を大切にしろや!」という批判も道理がないわけではないと思う。小池百合子の発言はいわゆる「ぶら下がり」取材で出てきたとみられ、都庁の役人が発言を一字一句検討したり想定問答集を作っているような場ではなかったと思う(いやもしかしたらこういう場でも作っているかもしれない。教えて偉い人)。そう考えるならば、小池自身あまりよく練った中での言葉ではなかったかもしれない(何故なら意味もなく「アウフヘーベン」とかいう奴なので。この頭が緑一色になってる人にマジになって怒るのも詮なきことよ)。だが、猜疑心マシマシ人を殴る拳カタメ(自分が他人よりも頭がいいという)思い込みコイメニア人として知られる21世紀市民の皆さんは敏感に反応し、ブラックホーク・ダウンで墜落したデルタフォースの隊員をよってたかってリンチして殺すソマリアの人びとよろしく殴りまくったという次第である。非ユークリッド空間でデルタフォースに囲まれたことがないからそういうことができる。

 

 さて、「政治利用」の方を見ていこう。文芸共和国首都スノッブの「サロン・ド・人文漫談」会員No.0721の「知識でマスターベーションする太郎」としては、ここで古代ギリシアの事例を唐突に召喚することは論を俟たない。まあ、今トゥキュディデスを読んでいるからなんですけどね。

 

 恐らく『戦史』を読んだことのない人でもちょっとは聞いたことがあろう「ペリクレスの葬送演説」というものがある。(デロス同盟という帝国主義的財政軍事機構に支えられた)アテナイVSスパルタ率いるペロポネソス同盟の戦端が開かれ、毎年スパルタ側がアッティカに侵攻する「アルキダモス戦争」というタリバン春の銃(ガン)祭りみたいなことをやっていた時のことである。戦いで死んだアテナイ人の国葬に際し、当時の指導者であるペリクレスがあーだこーだ述べたのである。岩波文庫版でも10頁ぐらい(『戦史』上巻のpp224-234)にわたる長大な演説をトゥキュディデスが取り上げているのだが、古代ギリシアの弁論の価値を感じる凄い部分なので暇な人は本屋で岩波文庫を立ち読みすることをお勧めする(もちろん買った方がええのですが……)。

 

 もちろん、トゥキュディデスがこうした演説を「再話」しているのが、『戦史』の面白いところであり、実際にペリクレスが一言一句同じことを言ったとは考えづらい。ただ、メロス島の対話やスパルタにおけるコリントス使節の開戦論演説などアテナイ出身のトゥキュディデスが絶対にその場に居合わせなかったであろう話と比べれば、若干の真実性を認めてもいいかもしれない。政治思想史的には、よく前半のアテナイの民主政の価値や都市の壮観さ、教育や文化の偉大さを述べるところ(個人的には「われらを称えるホメーロスは現れずともよい」は最高にブチ上がるパンチラインだった)などが引用されがちだと思うが、ここではあえて後半部分を取り上げたい。

 

 ペリクレスのうまいところは、死者を効果的に「政治利用」していることである。当たり前だが死者に「マジおめえスゲェ奴だったよ、最高のマイメンだよ……」といっても聴いているわけがない。もちろんその演説は生者に向けられている。そこで戦場で散った死者の意義が伝えられるのである。

 

ギリシアに人多しといえども、この市民たちのように、惨事の重みに勝るとも劣らぬ実績の重みを担って平衡を逸しない者が幾たり見いだせようか。いまこの地に安らぐ者たちの最期こそ、一個の人間の徳を何よりも先んじて顕示し、これを最終的に確認した証しである、と私は思う。(中略)。さだかならぬ勝敗の運に希望を託し、目前に迫る敵鮮烈に対してすべてを己が槍と盾に託すことを潔しとした。危険のさなかに残っては、命のかぎり立ちつくすことこそ、退いて身を守るより貴しと信じて、かれらは来たるべきものを生命でうけとめ、己が名を卑怯のそしりから守った。ついに死の手につかまれたとき、恐れは去り、生死の分明はとるに足りぬ偶然のさだめという誇らかな覚悟がやどった。こうしてこの市民たちは、われらのポリスの名にふさわしい勇士となった。(p231、引用は全て岩波文庫版の久保正彰訳から)

 

 ここでは死者の「功績」が高らかに述べられているが、現代人の感覚からすれば、そんなことあるめえよと言いたくなる。白ひげみたいに「一切の“逃げ傷”なし!!!!(ドン!!!!!)」みたいなアテナイ人兵士ばかりではあるまい。押し寄せる軍勢に対して恐れをなして逃げ、矢を射かけられるか背中に槍をブスリされる兵士もいたはずだという考えは決して不当なものではないだろう。だが、ペリクレスの演説を聞いていた人々はそのようなシニカルな思いは至らなかったはずだ。一家の長を弔う妻や子どもたち、盛りの時に死んでしまった我が子を悼む親たちのような「死なずにすんだ者」にとって、死んでしまった者たちの物語はできるだけ美しくあるべきだと思うからだ(それは志村けんが今際の時まで人工呼吸器とECMOをつけてまで頑張って生き抜いた、と集中治療室の中にいなかった人びとが信じていることにも似ている。志村本人が「頑張って生きるぞ!」と意志したかはともかく、人びとがそう思うことが重要なのである)。

 

 ペリクレスはこうした自分が思い描いた「りっぱな」死者に倣えとして、アテナイという「ポリス」の利益に個人を奉仕させようとする。

 

諸君はただ報国のすすめに満足するだけでなく、われらのポリスの力の日々の営みを心にきざみ、ポリスを恋い慕う者とならねばならぬ。そしてその偉大さに心をうたれるたびに、胸につよく噛み締めて貰いたい、かつて果敢にも己の義務をつらぬいて廉恥の行いを潔くした勇士らがこの大をなしたのである、と。(中略)己が勇徳をポリスのために惜しむべきではないとして、市民がささげうる最美の寄進をさしのべたのである、と。(中略)かれらの英名を若し諸君が凌がんと望むなら、幸福たらんとすれば自由を、自由ならんとすれば勇者たるの道あるのみと悟って、戦の危険にたじろいではならぬ。(同)

 

 そしてペリクレスはダメ押しで、「家族」を媒介するような言説をのたまう。これだけ書くとまるで市民社会抜きのヘーゲル法哲学みたいだが、実際そんなところがある。

 

ここに集っている戦死者の親たちには(中略)慰めの言葉を伝えたい。あなたたちは、さだかならぬ人生の転変を通じて人となり、すでに覚悟も固いはず、人の世の仕合せとは、死すべきときには、あなたたちの子供らのように、死にふさわしい至高のいわれをもつこと。そして悲しむべきときには、あなたたち自身のように、何よりも貴いなげきをもったことではないか。(中略)まだ子供がもてる年の人びとは次の子供たちに希望を託すがよい。年を追って育つ子らが亡き子らの追憶を己れの心から遠ざけてくれよう。また新しき子らは亡きものの空を埋め、守りを固くし、ポリスにも二重の益をなすこととなろう。(中略)のこされた子供たち、弟たち、諸君にとってこれからの試練は嶮しいものとなる(人はみな逝きし父兄たちを称えるからだ)。(中略)かれら(引用者註:戦死者)の子らが受けるべき養育は、この日から成年の日までポリスが国費によっておこなうであろう。この特典は、かくの如き試練を耐えた勇士らとその子らに、ポリスがささげる栄冠である。(pp233-234)

 

 死者と最も深い絆を持つ家族らにこう呼びかけることで、ペリクレスは死者を媒介にして彼らをアテナイと強く結びつける。そしてこうした言説は、アテナイ人の努力が今の繁栄を築き上げたこと、そして現在の民がそれを守り抜かねばならないとするような語り方と巧妙に時制が一致する。このようにしてペリクレスはポリスの「過去」と「現在」を巧みに結び合わせ、その都市を守り続けることを呼びかけたのである。これが死者の「政治利用」でなくて何であろうか。

 

 ただ、俺が言いたいのは、「政治利用」そのものが悪いということではない。少なくともこのペリクレスの演説は、死者を弔うことと生者を意気軒昂させることを両立させるためにかなり委曲を尽くして練られたものであることは疑いようがない(それがトゥキュディデスによる修辞的再現を含んだとしても)。その結果として「死者」が「生者」のために利用されることになったとしても、死者がそんなことを望んでいないとか死者を悼むという気持ちはないのかという道徳的な論難が、果たしてペリクレスの「演説」ほどに説得力を持つだろうか。今回の小池百合子の発言自体はどうなのと思うところはあるが、その人の死をもって今生きる人たちがどうあるべきということを考えるためのよすがとするという意味では、決して悪いことではないと思う。

 

 結論。小池百合子志村けんの死を「最後の功績」としたことを、俺としては言葉の使い方としてはどうなのと思うが、その言葉のパフォーマティブな側面として死者を生者のために活かすことを、たとえばある種の「政治利用」だとして論難はしない。そもそも過去に遡れば、ペリクレスのような死者の「政治利用」もあったが決してそれが悪いことだったとも思えないので、「政治利用」という言葉そのものに特定の価値判断を含めるべきではないと思う。なので、小池の当該発言が「政治利用」だとしても、決して全てが悪いとも言い切れない部分がある。ただし、「中国」や「アベ自民党」という敵を批判するために死者を「殺された!」と言うのはゴミカスプロパガンダなのでやめましょう。

 

 最後に余談をひとつ。ペリクレスは過去と現在を結び付けはしたが、未来には禁欲的だった。ペロポネソス同盟との開戦を決する際の演説でも「自分から危険を増すような道をえらぶべきではない」(p190)として、戦争中の支配圏拡大を禁じるほどだった。だが、『戦史』はかの葬送演説の後、唐突に「一 転 攻 勢」と言わんばかりの展開を見せる。そう、アテナイに疫病が流行るのである。このページに差し掛かった時、まさに俺はドラッグストアのマスク待機列の最中にいたので、「うへえ……現実と読書がリンクするってこういうことなんやなあ……」と思った(ホントはこれで一本書こうと思ったのだが、既に古代ギリシャ研究家にしてアサシンクリードオデッセイの解説でおなじみ藤村シシンさんがツイッターで言及されているようなので諦めました。https://togetter.com/li/1488010

 

 ホメロスとかだと「アポロンが疫病をはやらせて兵士がワーッと死んだ」ぐらいの淡々とした著述で終わるが、トゥキュディデスの著述はかなり絶望感が凄い。詳細については上掲の藤村氏のまとめに譲りたいが、現下の状況で読むとかなりうーんとなってしまう。そのような絶望的状況下でも、スパルタは元気にアッティカに襲い掛かり、アテナイの国土を荒らしていった。二重の不幸が重なる中で、アテナイ市民の批判は戦争を開始したペリクレスに向けられる。そしてペリクレスは批判をかわすために、アテナイギリシア中のみならず当時の超大国ペルシアをも制して「無敵の王者として君臨する」(p247)未来をまざまざと思い浮かべさせ、現在の損失をそんな気にすんなよというような大演説を打ったのである。

 

 だがこの後ペリクレスは死に、その後アテナイはシケリア遠征というまさに拡大政策のための大ポカをやらかしてスパルタに降伏することとなる。傑出した政治家であるペリクレスでさえも現下の状況に対する不安に対して、実現するかも怪しい未来を提示することしかできなかったというのは我々も教訓とすべきではないだろうか。「コロナが終わればV字回復だ!」とか「1年で終わってオリンピックも無事開催だ!」と明るい未来を歌い上げている我が国はさて、この「国難」とやらを乗り切れるのだろうか?