死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

5月を振り返る

 恒例の振り返り記事です。最近はドラえもんの感想+αみたいなマジのマジのマジノ線……じゃなくて雑文しか草していなかったので、ちっとは真面目に書こうかね(さっきローソンでプレモル2本買って飲んだ酔っ払いなので厳しいかもしれない)。

 

 月のほとんどが緊急事態宣言期間であるという点では4月も5月も大差ないのだが、俺の生活環境は大きく変わった。具体的には、4月はほぼほぼ何もしない自宅待機+多少テレワークだったが、5月は出勤+テレワークに移行したということが挙げられる。そのため、割と仕事の方にステ振りしないといけなくなってしまった。4月は仕事の動きがなーんもなさそうだなと思ったら普通に散歩したり昼寝かましたりという就業マナーへの積極的なラフプレーができたのだが、テレワークだと謎の「仕事は特にないけど何かあった場合は対応しなければならないという前提から生じる虚無時間」が発生する。ここで割り切ってゲームするなり読書するなりできればいいのだが、俺はこういう時間が昔から大の苦手だ。前職でもこの手の空虚な時間に何をすればいいのかわからないということが結構あった(辞める数か月前はそういう時間に図書館に行ってたが)。じゃあどうするかといえば、積極的に他の人の仕事を手伝うでもなく、かといってそもそも仕事がないので、無為に自分のパソコンでネットサーフィンしたり、まあちょっとベッドでゴロゴロしたりするのが関の山という感じ。

 

 ここで突然の箇条書きがスポーンする。そういう思考のランダムエンカウントってあるやん?

 

 テレワークのいいところ

 ・みんながのびのび利用できる(fromドラえもんa.k.a.東京メトロの犬っころ)

 ・職場の雑談を気にしなくていいし、わけのわからないお叱りを受けることもない

 ・昼休みの時間の自由度が大幅に向上する(例:昼飯と一緒にビールを飲む)

 ・通勤時間が消えてなくなる

 

 テレワークの悪いところ

 ・仕事に意味もなく緩急が生じるので、突然仕事が降ってきた時は心臓に悪いし、逆に仕事がない時は「こんなんで大丈夫なんだろうか」という謎不安に襲われる。

 ・テレワークのせいで定時が曖昧になっている。この場合、テレワーク中に「お先に失礼します」を定時タイミングで言うことがかなり気まずくなる。

 ・通退勤の時間を読書にあてていたが、これが雲散霧消したためなかなか読書のリズムを作れないでいる(朝は普段通りの時間に起きているが、通勤時間が消えた分は朝飯食ったあとの二度寝に使っているため)。

 ・みんながみんなテレワークしているためかPCの動作が遅くイライラする。

 ・(俺特有の理由だが)騒音があり、なかなか集中できない。集中を要するタイプの仕事が多いため、細かなミスが生じる。

 

 まあこんな感じである。しかし6月以降もこのテレワーク主+出勤従の態勢は継続していく方針が確認された。慣れていくしかないし、結局やるべき仕事さえやっていれば後はオールオッケーなのだから寝たり読書したりすればいいのだと割り切っていきたい。しかし3年やった前職の最後の数か月間しかその割り切りができなかったのだから、初めて1年経ってもいない今の仕事ではどうなることやら……。ホントはこんな人生になるはずではなかったのに、全部コロナが悪い。

 

 5月は文化的活動のほとんどが停止した。映画も観に行けないし、美術館も行けない。ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行きたいという気持ちが凄すぎてさっき「いぎだいいいいいい!!!!」とエニエス・ロビー編のニコ・ロビン並のシャウトをしていた。どうも公式サイトを見ると「新たな入場方式」を検討しているらしい。まあ密を避けられればいいですね。

 ちなみに昨日アマプラのレンタルで399円払って観たのがジェラルド・バトラー主演の『エンド・オブ・ステイツ』。アレですネ、異常なシークレットサービスのおっさんがガバガバテロから大統領を守るシリーズの奴。第1作ではホワイトハウス警備体制どうなってんねんとなり、第2作ではイギリスに対する熱い風評被害じゃんと思ったが、今作はアメリカ国内で適当にケリをつけてくれてよかった。プーチンモーガン・フリーマンが一緒になって映っている安っぽい合成映像を見た時は流石に笑った。ただ、マイク・バニングも今作はスーパー殺人マシーンではなく脳震盪や腰痛を抱えるおっさんとして人間味が描かれていて、そこはまあまあ見せ方がうまかった気がする。ベトナム戦争で心を病んでしまった父(何とニック・ノルティが演じている!)との向き合い方あたりとかはよかった。アクションは近年のハリウッド映画に比べるとかなりさっぱりしている感じはあったが、まあ一応新作レンタル料金相応の価値はある映画で、結構面白かった。

 

 世の中的には、日本社会がその生きにくさをバチバチに見せつけてくれた月だったと思う。誰それが沖縄行った、誰それが彼女と自宅デートした、誰それが会員制マンコと酒飲みに行った、誰それがコロナ終わりの風俗楽しみやわ~と言った、誰それが賭け麻雀した、誰それが自殺した(その後に「と思われる」をつけるのが正しい)人に誹謗中傷した……何か普段だったら「うーん、その話、後じゃダメかな???」となってしまうようなお話でずーっとこの社会は騒ぎまくっている(もちろん、日本社会に蔓延る性差別と結びついたミソジニー検察庁法改正、そして当該人物の自殺?は重要な問題である)。反吐が出そうだ。やはり人間は定期的に外に出ておいしい空気を吸い、SNSを一切見ない時間を作るべきなのだろうと思った。

 最後の件についてイッチョカミおじさんします。生まれてこの方テラスハウスを見たことがないし、そして実際どんなことがあったのかも報道ベースでしか知らないが、このカアイソ案件の原因は恋愛リアリティー番組の特質に帰せられるべきか、はたまたSNSの邪悪なアレと見なすべきかというしょうもない論争があるらしい。俺が言いたいのは、人間はみんな弱い生き物だがそれをしばしば忘れるということただそれだけである。その弱さの延長線上にテラハもSNSもあるというだけで、事の問題をAかBかあるいはその両方に帰すというやり方は極めて表層的である。弱さに無自覚な人間が他人の恋愛を襞の襞まで分け入ってピーピングした奴を公共の電波に流そうと思い立つし、その中の一部分にいきり立って強い言葉を使うのだ(そういう奴を藍染大先生は弱く見えるとたしなめたが、実際弱いのである)。弱さに耐えられない弱さという表現はあまり好きではないが、自分の小ささ、弱さというものについて徹底的に考え直す必要があると思うし、そうした思考の営為がウィズコロナ(この表現は精神なき専門人こと小池百合子にはお似合いだと思うが、しかし感染症と人類の関係性としては正しくものを言っている気がする)時代に求められているのではないか。

 俺自身の率直な気持ちを申し上げると、もうコロナのアレコレには疲れた。徐々に普通の生活に戻ればええと思っている。ただ、一応実家に住んでいる以上、今年で64になる両親にだけはうつさないようにしないといけない。そこだけは俺に帰せられた責任として配慮すべきだろう。だが、社会の全体最適を考えてあれを自粛しろこれを自粛しろと言う気には到底なれないし、逆に言われたら中指を突き立てるだろう。そんな程度である。皆さんもまあ、お身体に気をつけながらやっていきましょう。