死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

竈門禰豆子と金与正の妹力バトルにしか興味がない

 毎度のことながらタイトルは虚無です。佐藤優的な人物がよく言う「タイトルや目次だけ見れば中身ってのは一発でわかるんですわ」系のアレに反発したいお年頃なので(東京都男性・26歳)。

 

 ブログ更新をかなり懈怠してましたね。まあ別にいいんですよ。更新欲がいずれ衰えるだろうなという予測は4月段階からしていたのですから。でも、5月はまあ暇だったので多少は更新したけど、6月になって割と諸々忙しくなったので、まあちょっと衰えちゃいましたね。忙しいというのは、ゲームと読書です。あと緊急事態宣言解除されてから割と金曜や週末に飲みに行っている。つまりドラえもんリアタイ視聴→感想をブログに書く→ついでに日々の細々を徒然なるままに書き散らす、みたいなリズムがブッ壊れてしまったわけだ。かなちかなちだねえ。

 

 それでも、ここ数日何故かブログのアクセス数が異常に伸びていてビビった。とはいえ、普段のアクセス数が10~20に対して、まあ100から130になったというだけだ。1日でこのPV数というのは、本当にこのブログがインターネットの最果てであることの証左だろう。知っているかい? 最果てとはこうもつまらないものなんだよ。

 

 仕事もかなり忙しくなった。それに伴い不満もある。というか俺は就労継続支援B型で働いている人よりもよっぽど労働に適性がないことがわかってきた。テレワーク中だと仕事する気がマジで起きないのである。結果、出社日になってから地獄を見るというか、かなり忙しなく働いてタスクを殲滅する「夏休み最終日にさんすうドリルに適当な数字を書いて埋める小学2年生」と化している。まあ今の例はまんま昔の俺ですが。マジでそういう労働に大事なタイムマネジメント観念がゼロなので、ここはいっそ授産活動からやり直した方がいいのかもしれない。授産活動で思い出したけど、障害者が作ったパンを食べる気がしないと素朴に言っていた中学校の女同級生素朴に地獄を見ていてほしいし何ならDV彼氏に多目的トイレで拷問されていてほしい。多目的トイレで思い出したが、アンジャッシュ渡部建欅坂46渡辺梨加と長沢菜々香(卒業したのに文春がわざわざ別の怒られを発生させていて可哀想だなと思う)が怒られた例の山梨のパン屋で働くことが復帰の近道でないだろうか。俺はあのパン屋のおっさんを見るとかつてない不安を催して吐きそうになりますが、やはり彼我の人生経験が違い過ぎると理解を拒むレベルの何かが生じるっぽい。

 

 何も考えずにタイプしまくっているので連想に連想を重ねて色々書いている。ツイッターを見なくなった代わりに、ニュースは幅広くチェックしている。文春も実は最近雑誌を買うようになった。黒川賭け麻雀をスッパ抜いたご褒美である。ただ、基本的に世の中は終わっているので、腐りきった大人たちのニュースばっかりでゲンナリする。こういう大人たちを見ると、令和の元勲総出内閣みたいなのが必要じゃないかと思いもしたが、ようく考えるとそんな立派な大人物はもうこの国にはいないっぽい。正直な話、俺でもまだこの国では中の下ぐらいの倫理レベルを持っているのではないかと思っている。

 

 最近すっかり二次元をご無沙汰しているので、マジでちゃんと新作アニメを見ようと思い「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」を見た。しかし、基本的にマンコの気持ちに共感できない「市民社会の外れ値」なので「ふーん、まあ破滅を全力で楽しむっていう気概が大事なんじゃない?」以外言えなくなってしまった。まあ見せ方とかは割と異世界ものの中では面白いのかもしれないけどね、異世界ものほとんど見たことないけど。他には、ドラえもんは欠かさず見ているが、それ以外にテレワーク中にあたしンちを流して無限に見ている。1期のほとんどは見てしまった。普通に考えてこんな母いたら嫌だろと思うし、父もテンケテキテキ九州人でうちの親父と似ているところがありうーんとなってしまうし、みかんも大して共感できないが、ユズ彦の気持ちは死ぬほど分かる。ただ別にユズ彦が登場してなくても何となく見てしまう。あたしンちはかなり生活を切り取るのがうまいからだろう。小津安二郎が都市生活のエモーションをフィルムに収めたような感じのアニメ版かな(知ったか)。俺は『東京物語』しか見たことありませんが……。

 

 本について。緊急事態宣言が解除されたので、ここぞとばかりに図書館に行って本を借りている。本が借りられるという当たり前の幸せだねえ。一方で、第2波に備えて本の購入予算を今月から貯金することにした。俺は例の10万円は全額親にあげるという家族大事ムーブを行ったので、そんなに貯金はできないが、塵も積もればナントカ、じゃないナントの勅令だ。あと、PS5を買わないといけないことがわかっているので、今年いっぱいはかなりの程度緊縮財政を強いられるっぽい。なので、図書館大先生には引き続きお世話になります。地元の図書館に早速名古屋大学出版会の某本のリクエストしちゃたねえ。

 

 最後に世の中について。まあ色々述べているが、人々には頑張ってほしい。渡部が六本木ヒルズの多目的トイレにUberBitchを呼んでイラマチオさせていたとしても、黒川さんがテンピン賭け麻雀で記者等と濃厚接触していたとしても、やはり個人的にはどんな人間にも「やり直し」のチャンスが与えられるべきだと思う。安倍ちゃんだって理由はどうあれ一度政権を投げ出したわけで、そこから立派(?)に長期政権を作っているのだから。俺も昔おばあちゃんからもらったお年玉を盗んだ小学校同級生の自転車を川に投げ捨てるという犯罪に対して犯罪で報いるタイプの異常者だったが、一応その後やり直して(?)、早稲田に入って、まあそこそこ名前の知られた企業に入って、それなりの給料をもらって社会人を擬態していた。俺は激情に駆られやすい人間なので小学生の時のような間違いが今後人生で起こらないとも言えない。それで人生オワタとなるのは嫌である。成り立ちからして不条理なこのクソッタレ人生に、諦め悪くしがみついていくというのが、自殺なんかよりもよっぽどよくできた「生」への抵抗である。渡部は時間はかかると思うがコントで再出発してほしいし(俺はアンジャッシュのコントが好きなので)、黒川さんだって弁護士登録して細々とやっていくか、余生を存分にいかして回顧録を書いてほしい(フロッピーディスク改竄ニキだってYahooニュースに投稿しているのだ。個人的には黒川さんが関わったとされる訟務局設立の話とか結構気になっている)。「やり直し」というのは、以前の状態に戻ることではなく、本人がその人生を生き直すことであり、そして社会がそれを認めてあげることが大事なのだと、俺は本当に今の社会に口を酸っぱくして言いたい。

 これは俺の信念みたいなものなので、他人にどうこう言われても曲げられるものではない。そこから敷衍して、俺は死刑制度には原理的に反対の立場をとる。それに、アメリカの警察が過剰に「急迫不正」を強調して「適正な職務執行」と称して犯罪者を殺害することも即刻辞めるべきだと思う。ただ、この種の主張に例外を認めることはやぶさかではない。差別主義者にやり直しの機会を与え続けて差別煽動を繰り返させるような社会は、自らの寛容によってその社会を掘り崩す自殺行為に淫していると言わざるを得ない。池田小ややまゆり園みたいな大量殺人を遂行中の犯人を止めるためにそいつの頭をブチ抜くしかなかったという警察官を、その犯人の遺族が殺人ないしは特別公務員暴行陵虐致死で刑事告発するのは直観的にも正義に反する行いだと感じる(あえて告発を是とする「正義」もありうるかもしれないが)。こうした事例は「その原則に固執することで原則を維持する前提そのものに危機が訪れる」というありがちな「例外」である。しかしその「例外」は「一般」を相対化するものではない(意外に思えるかもしれないが、カール・シュミットでさえ「例外」の一時性を強調している)。よくインターネットではこの種の例外を持ち出すことで議論に勝ったと思っている人が一定数いるが、本当によくない仕草なので辞めてほしい。

 

 いろいろ書いてすっきりしたのでスカイリムに戻ります。ウィンターホールド大学が俺の助けを待っているので……。