死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

26歳男性がお風呂で感じた実存の不安を縷々と綴る

 今日、唐突に実存の不安を感じた。風呂の湯に浸かっていたら「俺という人間はこのままで大丈夫なんだろうか」という感情に心の全部署を絡めとられてしまった。

 

 きっかけ、というほどではないのだけど、何か来月の仕事の予定を手帳に埋めてたら孤独のグルメ井之頭五郎よろしく「うわあ なんだか凄いことになっちゃったぞ」と溜息が漏れるほど手帳がビッシリになってしまったのだ。諸々あって、来月から今の2.5倍ぐらいの業務量が増えることになる。それでも2年前の異常労働に比べれば大したことはないのだが、多分あんまり定時で帰れなさそうだなという雑感を抱いた。

 

 正直申し上げると、今の仕事はかなりの安月給しか貰えない。加えて、俺はほぼ新卒と大差ない扱いで入ったので、給料も同世代から見てもかなり低い。それでも俺が満足しているのは①実家暮らしであること②定時に帰れることの2点が挙げられる。だが、そのうち1つが雲散霧消するかもしれないと考えると、「はて、安月給なのに時間的拘束が増えるのか……???」という疑問が鎌首をもたげてきたわけだ。

 

 そんなこんなのモヤモヤ感を抱きながら今日も定時に退社し、そして突発的に明日の有休を取得した。来週からヤバいことになる以上、ここで3連休を生成することが死活的に重要だと考えたからだ。家に帰ってすぐに風呂に浸かると、最初の感情がデルタフォースみたいに心のドアをブチ破りフラッシュバンを投げてきたわけだ。

 

 安月給をポンと握らされ、生活の大部分を統御するシステムに俺はどれだけ耐えられるのだろうか? 前までは異常労働が向いていないのだと思っていたが、転職して確信したのは俺は労働そのものが向かないのだ。働くことに必要な精神が欠如している。隙あらばサボるし、できるだけ有休をとるし、あまり他人の仕事に関わらない。こういう精神性は、80点から100点の歯車群で動いてきた機構に60点の歯車が唐突に差し込まれるのでかなりよくないらしい。このままでは組織にとっても俺にとってもよくないことになりそうなのは明白だ。そう考えた途端、あと何年この仕事を、否そもそも労働を続けられるのだろうかという気になった。

 

 根本的に対人スキルがなさすぎるので(人間関係が充満していた前職が嫌になった大きな要因でもある)、俺はきっと組織の中の労働は長続きしない気がする。かといってじゃあ全てを投げ打って、食い詰める覚悟で「個」を売り出せるのか。新型コロナウイルスの肺炎で亡くなった外交評論家の岡本行夫が、外務省を辞めた理由として「僕自身は明らかにつまらない人間になりつつあった。それで、全く新しいことをしてみよう、食いつめてしまうかもしれない緊張感に身をさらして人生をもう1つやってみようと思い始め、その気持ちを抑えられなくなったのです」と話している(五百旗頭真伊藤元重薬師寺克行編『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』より、これはNHK政治マガジンからの孫引きです)。この言葉は俺にかなり響いた。理由はもう答えが決まっているからだ。俺にはできねえ。

 

 俺という人間は本当に危ういバランスの上に生きていたのだと思う。振り切っていけるほどのスキルや人間性がないため、本来自分に向いていない労働に従事し、でも自分はそういう「外れ値」だからしょうがないよねという話を狭いサークル内で共感を持って受け止めてもらい、何とか自尊心を保つ。だが、労働の向いてなさに自分が殺されそうになった時に、野に放たれる覚悟もなけりゃ、そんな自分をよしよししてくれる共同体もなくなっているかもしれない(俺が30になった時、自分の属しているコミュニティの半数が結婚等の理由を機に離れていくという悲観的な予想を見積もっている)。そんな時どうすればいいのか……。

 

 風呂場でこうした不安感に襲われて20分ぐらい湯船でウーッウーッって唸っていた。今の職に対する小さな不安がいつの間にか自分の足元全てを押し流すような洪水となっていた。そういう実存の不安に襲われなかったことがないといえば嘘になるが、人生でもトップクラスのクリティカルな奴だった。

 

 どうすればいいんだろう。答えは出ていない。しかし、やるべきことは山ほどある。とにかく1つずつこなしていく。このブログもまた俺にとっては「やるべき」ことだ。こうやって感情を文字にしていくことで少しだけ不安が相対化された気がする。「気がする」という気休めでもないと精神がおかしくなりそうだからだ。人生は辛い。以上。