死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

地獄の充溢――現職就労1年の振り返りなど

 はい、転職してからちょうど1年ですね。感慨深いものがあります。

 

 前職を3年やって思ったのは「あ、俺仕事向いてねえわ」ということ。そして現職の2年目の始まりを迎えた朝、「あ、俺人生向いてねえわ」と思いました。

 

 現職に多少なりとも希望を持っていたのは最初の半年ぐらいだと思う。その後、緊急事態宣言によって多少の空白が生まれ、自宅待機やテレワークを駆使して大いに趣味と空虚を楽しんだわけだが、その後が大変すぎた。所属部局の人員が純減し、俺の仕事は純増した。しかもその純増した仕事から派生してさらなる仕事がポップし始め、今まさに3人分ぐらいの仕事を1人で回し続けてもう3か月ぐらいになる。今年度中はこの仕事量をどうにかこうにかこなしていかないといけないっぽい。

 

 もちろん、仕事がメタクソ忙しい時期、そうでない時期というのがあるので、一過性の出来事なのかもしれない。だが俺は断言する。仕事の本質というのが現れるとしたら、それは紛れもなく前者の時なのである。このメタクソ忙しい時期に俺が教えられたのは、「この仕事って本当にやらなきゃいけないことなのか?」という全てを虚無に帰すクエスチョンが終始まとわりつくような業務ばっかりだということである。俺はこの仕事が語の最悪の意味で「ブルシット・ジョブ」であることを確信した(グレーバーの本は買いましたがまだ読んでいません。忙しいので)。低賃金・高ストレス・不要不急……その現だけがここにある。

 

 こんなもん転職だ転職だ、と思えなくなってしまったのは、多分一回転職で苦い思いをしたからだろう。学生の就活も割と厳しい思いをしたが、まあそれなりの企業にストレートで入った。ところがそれなりの企業でそこそこの業績を残しただけの俺の転職市場での価値はゲロカスみたいなもんだったので、とにかく民間企業は書類で落ちまくる。順調に進んでいたのは種々の公務員試験ぐらいだったが、官庁訪問でゴミみたいな経験を積み上げているうちに「マジでこの道しかないのか???」と頭をグルグル回していたところに今の職場からお呼びがかかり、一も二もなく即断してしまった。 まあ平均残業時間も少ないし、リベラルな社風っぽいから行けるかな~~~?と思ったが、今思えば残業が少ないのは、一部の人間がメチャクチャ残業しまくっているからだ。人はこれを「犠牲」と呼びます。そしてその犠牲のレーンに飛び乗ってしまった俺は、絶賛人々の充実した私生活のために自分の可処分時間を売り渡しています。前職(みなし残業制)と違って残業した分はちゃんと出ますが、そういう金はだいたい手元に残らない。俺はもうソニーの4万円するノイズキャンセリングワイヤレスヘッドホンを買うって決めたもんね。

 

 あと、この仕事の顧客は6割ぐらい頭がおかしい。この前本当にキレてしまった。何故なら俺は何もしていないのに勝手に悪者にされていたので。その時は本当に前職の殺人マインドが蘇ってきて、すぐにトイレに行って20回ぐらい深呼吸した。この職場だと手を出すとすぐに終わる可能性があるので。

 

 そんなこんなで1年目を終えました。昨日鳥貴族で日本酒ガブ飲みしながら俺は騙された、俺は騙された……とずっと泣きそうになっていた。人生はこんな感じです。それでも生きていくしかない。たとえ今年の健康診断の結果が要精密検査になったとしてもである。まあ去年もなんですけどね……(行くのめんどくさくて完全に無視してしまった)。

 

 最近レーニンについてあれこれ調べたり二次文献をひっくり返しながら読んでいたりと久々に思想的な頭の使い方をしていたのですが、「自然発生性への降伏」というワードは本当に刺さりますね。これは組合主義・経済主義といういわば修正主義的な発想と、イカれたナロードニキみたいにテロルに走る発想の双方をブッ叩くレーニンの言語センスが光った瞬間だと思いますが、まさに今の俺の状態がそれなわけです。現状に甘んじていいわけはないが、しかしマジで今疲れがとれない毎日を生きているので諸々が厳しい。たとえば家に帰ってから机に1時間も向かっていられないなどがある。

 

 結果として、家はプライベートを充実させる場所ではなく、ただの仕事からの退避地点に成り下がってしまった。昔どっかの記事で「労働と真剣交際しないといけなくなるかも~」とか言っていたが、もうセックスを済ませているレベルだ。毎日アナルファックをされています、私が。

 

 仕事で文才を遺憾なく発揮しているので(主に顧客に書いてもらうはずのドキュメントの代筆など)、このブログでは出涸らしみたいなすりっきれセンテンスのワケありセットみたいな高度に発達したゴミしか提供できなくなっており、非常に歯がゆい思いを感じている。こんなことならいっそのことやめてしまおうかと思うこともあるが、このブログも100年後にどっかの異常者が発掘してくれるだろうと思って細々と続けていきたいと思います。