死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

弔鐘――R.I.P.Abe Administration

 『二人セゾン』でも「春夏に恋をして 秋冬に去っていく」と歌い上げられていた。だからこそ、夏の別れはいつだって鮮明に記憶に残るんだ……。

 

 安倍政権の終わりを知ったのは仕事中だった。本来その日は夏休みだったのだが、会社a.k.a脳死法人が緊急会議(しかし当の緊急性は全く感じられなかった)を理由に夏休みを取り消したため、俺は憤懣やるかたない気持ちでその会議の議事録をとっていたところに役員の秘書が入ってきてメモを回してきた。安倍首相辞任の意向を固める。こう言っていいならば、その文字列には全き現実感がなかった。さて、議事録をとり終えて自席に戻り、5件ぐらい溜まっていたコールバック案件をこなした後に休憩室でコーヒーを飲みながら「ああ、もう安倍政権終わったのか……」とそこで実感実感じっかァァァァァん!!!したのである。20分ぐらい。俺は給料泥棒だが会社は休日泥棒なので奪い合い、夏だねえ(いや給料もサビ残で奪われてるわクソが)。

 

 安倍政権の総括は人々と歴史に任せよう。この憲政史上最長の政権を評価するにあたって大所高所から諸々申し述べるのは、全国紙の政治部長やメディア御用政治学者の皆様がやるべきことだ。俺は辞任翌日の朝日・読売・日経を読んでお歴々の見解に触れて「いやはや立派なもんですね」と感心してしまった。みんなもたまには新聞を読もう。朝日の特別編集委員の曽我豪氏の「日曜に想う」のコラムが出色だったということだけは書き記しておく。

 さて、ここは26歳年収900万外資系IT勤めのエリートが発達障害者の彼女をクソミソにけなすような記事が投げ捨てられるゴミ溜めプラットフォームはてなである。つまり基本はフリースタイルなので、非常に個人的な話から始めたい。というか、個別の政策の成否や政権の総括については適切な人がやるので、俺は俺個人がどう安倍政権を評価してきたかを、俺個人の精神の遍歴と共に明らかにしていくことを試みようと思う。

 

 俺にとっての政治の目覚めとは、安倍・麻生・中川の熱い男の友情に目頭を熱くしたことにある。つまり真正保守太郎、かつてのネトウヨの1億番煎じとしてネット論壇でオギャァと一発かましたわけである。その後、インターネットのまとめサイトの偏向情報を旺盛に摂取し、朝鮮半島や中国人に対する差別意識をすくすくと育て、南京大虐殺従軍慰安婦問題もなかったと本気で思っていた。インターネットの読み物はタダなので。今だからこそ言えるが、正しい情報は金で買った方がいいっぽい。

 そういった人間からすれば、悪夢(だったのかどうかはさておき)の民主党政権が終わった後の第2次安倍政権というのは「安倍政権しか勝たん!」とまさに歓喜もひとしおだったわけで、俺と同じくネトウヨだった友人(そいつは東大に行った)と興奮しながら今後の政治的展望を語り合ったのを覚えている。そして株価が上昇し、嫌気が差してきた衆参ねじれは解消され、ようやく日本人として政治に対して明るい展望が語れるような気がしていた。今となっては、安倍政権の経済政策は功罪相半ばという評価に落ち着いているだろうし、ねじれの解消がそれほどまでに民主党が嫌だったという国民の雰囲気が蔓延していただけではという気がするが、まあとにかく当時はそんな心持ちを抱いていたのである。

 

 そんな感じで安倍政権に対しては割と好意的な見方をしていた愛国青年のまま早稲田に進学したのですが、当の政権を美化する色眼鏡であったネトウヨ思考との別れは意外と早くに訪れた。言い換えれば、美しい歴史、美しい国、美しい日本人、そんなもんはねえと気づいたわけである。結局日本人は朝鮮人や中国人と同程度にクソというか、そもそも人類がクソなので人種差別にさしたる意味はないし、南京大虐殺従軍慰安婦も人間ならやりかねんだろおっかねえと思うようになった。リベラルに転向したわけでは全くないし、中国や朝鮮半島に対して態度が軟化したわけでもない。ただ等しくみんなクソなんだからクソをなすりつけあってもしょうがなくねえか?という程度の、皮相的な政治的相対主義者に成り下がったわけである。

 

 とはいえ、脳の襞の隅々までに行き渡ったネトウヨ思考を多少なりとも解毒できたのは、大学の勉強のおかげだと思う。その勉強の延長線上で、アカデミズムの左巻きのゲノムにちょこっと触れたことで、自分の思想がそれなりに「まともな」方向にチューンナップされたことは否めない。公的な場でのヘイトを撒き散らすことは絶対に許容できないし、いわゆる リヴィジョナリズムにはかなりの無理を感じる。また、国家・大企業・権力者というのをむやみやたらに礼賛してはいけないし、社会には虐げられている人々が一定数いてそういう人々への目配りを忘れてはいけない等々のリベラル的規範に対して一定程度共感できるようになった。

 

 そんな思考の変容期が訪れ、俺の中で安倍政権を見る目が「手放しの礼賛」から「是々非々」に変わっていった。ただ、この時期の安倍政権は、安保法制はともかく、戦後70年談話、慰安婦問題を巡る韓国との合意など、通常の保守的なイデオロギーの思考からは多少距離を置いた中道右派的な政策を提示していたので、俺としてはそこまで違和感なく賛成できた(異次元緩和や1億総活躍社会とかは正直俺にはよくわからない部分も多かったので態度を留保していたが)。その意味では、まだ安倍政権を「支持」していたと明確に言える頃だったと思う。大学生の頃は旺盛にツイッターをやっていたので、支持者と批判者がもはや非和解的に二極化した言論空間をどちらかというと冷ややかな目で見ていた。

 

 ただ、就職してからは日々の狂った労働に文字通り心臓を捧げていたので、もはやその手の関心事もどうでもよくなってしまった。従前の認識をアップデートするために広く情報を収集したり、識者の見解を精査したりというようなことはほとんどしなかった。言ってしまえば「勉強」を止めてしまったのである(今でもこれは後悔している)。ただ、周りの上司や同僚は割とリベラルな人間が多かったので、多少なりともそういう人たちとの交流を経て批判的な意識の方がちょっとずつ強くなっていった、と言えるかもしれない。そうした先輩たちが酒で酔っ払った際に「君は現今の政治をどう思うんだね」とかいう胸元を抉るようなマザファカクエスチョンを投げられた時、「いやでも先輩の言うのとはまた違う側面があると思うんですよ」と穏当に返していた程度だった。明確に反安倍のスタンスの人々に対して、「んだとこの野郎日本をとりもろすのら!」とファナティックな返しをするほどの支持をぶちまけるわけではなかったが、多少なりとも安倍政権を弁護する仕草をしていたわけだ。

 

 ところが、森友問題の発覚から、徐々に「本当に大丈夫なのかこれは?」と思うようになってきた。朝日新聞共産党の市議と協力して連日問題を明るみにする報道を打ちまくっていて、当初は「まあ流石に朝日も書き過ぎなところがあるだろうし、どっかでバックラッシュがあるのかな」と見通しを持っていたが、その後の国会審議での安倍総理財務省の説明は全く納得しがたいものであった。かの政権は当初から民主党政権の失策を持ち出して国民にその頃のトラウマを喚起しながら、ある程度自分たちの「理」を押し通してきたわけだが、いざ自分たちが失策をしでかすと押し通す以上に「強弁」を述べて批判を省みなかった。視野狭窄に陥った支持者と心中するかのように批判者を攻撃し続け、そこには真摯さは微塵もなかった。思えば、安倍政権はここから長期的な「終わりの始まり」に陥ったのかもしれない。その後さらに加計学園問題や、財務省による公文書改竄などの問題があれよあれよと出てきた。そしてこの改竄を原因として、近畿財務局の職員が自殺に追い込まれた。ここまで来てようやく「この政権は俺が高校生の頃思っていたようなものではなかった」と確信したのである。ひょっとすると、民主党政権が繰り広げた悪夢以上のものを、悪夢と気づかずに見ていたのかもしれない。おせえよ!と言われるかもしれないが、一度ネットで真実を見てしまったらそこから脱却するのは本当に困難なのであると俺は身をもって知ったわけだ。

 

 ただ、そういった不祥事を措いても、安倍政権はかなり行き詰まっていたように思う。北方領土返還を目指す対露外交は明確にデッドロックに追い込まれていたし、対韓外交もよかったとは言えない。経済政策も萎んでいたし、一億総活躍社会や女性が輝ける社会というお題目の美しさは逆に痛々しいものを感じた。一言で言えば、安倍政権に対して政策面でも「シラケ」てしまっていたのである。

 そして、桜を見る会、河井夫妻を筆頭とする政権の汚職、コネクティングルームで交わした約束は忘れちゃった官邸官僚の失点など、政権の明るいニュースより暗いニュースが報じられることが多くなってきた矢先の新型コロナ対応の拙劣さである。まあ、これについては贅言を要さないだろう。第二次安倍政権の後半期は、前半期にもチラチラ見え隠れしていたこの政権の負の側面が徹底的に顕在化した。国民の失望の増大は支持率に現れていたと思う。身近な例で言うと、俺の両親は長年消極的に自民党や安倍政権を支持し続けてきた(彼ら曰く「民主党よりはマシ」)が、今年に入ってからは公然と安倍政権への批判を口にのぼらせるようになっていた。

 俺個人としては、病によって道半ばで退陣することになった安倍晋三へ同情がないと言えば嘘になる。そして、安倍政権のやってきたこと全てが間違っていたとは思わない。むしろ好意的に評価できる政策(主に外交政策、また働き方改革も一定程度評価していいだろう)もある。しかし、それをもってしても、俺の安倍政権への評価は最終的には否定的なものにならざるを得ない。

 ……結局俺も大所高所から評価を下すことになりそうだ。しかし、この政権をどう評価するかは、俺自身の政治観や知的遍歴においても重要なものだと思うので、避けては通れまい。

 

 安倍政権は徹頭徹尾「強者」であろうとした。実際、国政選挙に6勝し、内閣人事局を創設したことによってこれまでの慣行追認型の人事に楔を打ち込み、「総主流派」の名の下で老練な役員人事を行って党内の批判の芽を摘んできた。「身内」には優しいが、弓を引くことがないよう目を光らせてきた。そして「身内」以外からの批判には強く噛みついたし、かといってまともに応えることはほとんどなかった。

 

 だが、安倍政権は本当に「強者」だったのだろうか? むしろ俺は「強者」であることを仮装し続けることを余儀なくされたピエロ集団でしかなかったのではないかと考えている。何故仮装し続けたのか。それは、こうした仮装こそが必要だったと、彼らが十分すぎるほど認識していたからではないか。

 安倍政権以前の政治状況を思い起こすと、「決められない政治」という表現は民主党政権について回った(民主党政権最後の野田首相はまさにこの言葉を施政方針演説に取り上げ、そこからの脱却を企図した)。ただ、そもそも「決められない政治」とは衆参ねじれ状況に苦慮した福田政権から言われ始めたものである。いわばある種の時代精神的に「決められない」時代というのが確かにあったのだろう。

 この時代を終わらせる、つまり変えることの印象付けに腐心してきたのが安倍政権だったのと俺は見ている。テコ入れした経済を背景に、野党や国民の多くから強い抵抗のあった法案を次々と通し、中身はともあれ「決める」ことを重視してきた。その一方で、消費増税の延期などを大義に掲げて解散を繰り返し、民主党政権の失敗から立ち直っていない野党相手に死体蹴りのような勝利を重ねた。しかし、そもそも議席上の数でも党別支持率でも圧倒的に有利だった状況下において、いたずらに解散権を行使し続けることは、とどのつまり彼らが「強者」であり続けることを見せかけるためのパフォーマンスだったと見ることはできないだろうか。

 そうした腐心も相まって、国民もメディアも「一強政治」というフレームワークで永田町や霞が関を見ることになったし、今もそうだったと概括している。この意味で彼らの戦略は奏功している。しかし、そもそもその「一強」を支えていたのは、見かけ上は好調な経済と野党がまとまりきれなかったという点だけではなかっただろうか。

 この方向性が蹉跌をきたしたのは、まさしく彼らが自分の「仮装」を本物だと信じ込んでしまったからにほかならない。アーレントがかつてこんな指摘をしている。

 

中世の或る逸話は、他人を嘘で欺く際に自分自身がその嘘に欺かれずにいるのがいかに難しいかを例証している。その話というのは、或る町で或る晩、敵が接近したら人びとにそれを知らせるために、或る男が町の物見塔で寝ずの番についていたときに起こったことである。その見張り番は悪ふざけが好きな気質だったので、その晩、町の人を少しばかり驚かそうと鐘を鳴らした。驚くほどの大成功であった。誰もが城壁に駆けつけ殺到し、挙げ句の果てに、見張り番自身も最後に駆けつける始末であった。この話は、リアリティに対するわれわれの理解力がどの程度まで、仲間との世界の共有に依存するものか、さらに真理であれ嘘であれ仲間と共有していないものに固執するにはどれほど強い性格が必要かを暗示している。(中略)自らも欺かれている場合のみ、真実に似たものがつくりだされるのである。  「真理と政治」『過去と未来の間』p346(みすず書房、1994)

 

 彼らの演出はいつの間にか「裸の王様」のような滑稽さを伴う真剣な喜劇と化した。剛腕の官房長官や優秀な官邸官僚による永田町や霞が関へのグリップは「専制的」なそれにしか映らないが、彼らは「強者」であるという思い込みから当然の如くそれを行うし、彼らを「強者」であるように見ている政治家や官僚はそれ相応にふるまう。思えば、野党や批判的なマスコミ、そして「あんな人たち」に対するこの政権の関係者の「強弁」や「非難」もこの思い込みの悲劇的な帰結ではないだろうか。

 だが、既に述べたように、森友=加計のような卑小な利益誘導や、桜を見る会の露骨な恩の売り方などでこの政権を馬脚をあらわした。それは「強者」の振る舞いではおよそない(このような利益分配はむしろ弱者の徳目ではないかと思われる。それは分配せざるを得ない「配慮」が見え隠れするからだ)。ある新聞の政治記者がこの政権をプラトンの『ゴルギアス』におけるカリクレスになぞらえていたが、政権は決してカリクレスが言うような「本当の強者」ではなかったように思う。そもそもカリクレスが述べるところの弱者の自己正当化としての「ノモス」に対置される「ピュシス」としての強者の支配などではなく、また別の弱者による偽りでしかなかったのではないか。

 この偽りはアーレントが言うところの、敵ではなく自国民及び自らを欺く「現代的な嘘」である。その帰結は破壊である。「こうした嘘はすべて、嘘の張本人が気づいているか否かに関わりなく、暴力の要素を潜ませている。組織的な嘘は、否定しようと決断したすべてのものの破壊へとつねに向かう」(「真理と政治」『過去と未来の間』p344)。公文書の改竄、「口頭決裁」での解釈変更、廃棄された名簿、こうした例を挙げるだけで十分だろう。

 安倍政権が終わっても、こうしたことを追認した官僚が未だに霞ヶ関にいることを我々は忘れてはならない。安倍政権に帰責されるべき問題ではあるが、その政権の終焉で問題がリセットされたことには全くならないのである。特に森友問題の不十分な総括については、近畿財務局職員の遺族の声もあり、今後も禍根を残し続けるだろう。

 「強者」であろうと腐心してきた安倍政権の試みは間違いだったとは言い切れない。どこかで国民もそれを待ち望んでいたのであり、その期待の上に築かれた長期安定政権である。しかし、その演出が単なる自己欺瞞に堕した時、我々もまた欺かれていたのである。レーニンが言ったとされる、「繰り返される虚構が、受け入れられる真実となる」というわけだ。これが、俺の安倍政権に対する総括的な診断である。

 

 冒頭で欅坂46の歌詞を引いたので、最後も欅坂で締めくくろうと思う。新曲の『誰がその鐘を鳴らすのか』を最初に聞いた時、「葬送」の曲であるという印象を抱いた。鐘という分かりやすいシンボルからもその印象は遠く外れてはいないだろう(鐘の音は際限のない自己主張を戦わせる人々に沈黙を強いることも示唆的だ)。もちろんそれは何かの「終わり」でもあり、その何かがいなくなった世界の「始まり」でもある。鐘は「いつ鳴るのか」「誰が鳴らすのか」という疑問に曲の中で答えは示されない。残念ながら、安倍政権の終焉が確定してもなお、我々の鐘も、状況も、未だに宙吊りにされたままである。