死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

年末年始、お侍さんの戦い方の先にたどり着いた――ゴーストオブツシマディレクターズカット編(PS5)について

 以前のエントリでゴーストオブツシマをやっておりますーというような話をしたと思うのですが、年末年始の時間を全振りしてようやくメインストーリーと大体のマップアイコン潰しを完了したので報告します。読書とか英語とかそういうのをぶん投げてひたすらPS5コントローラーを握りしめていました。年末年始はそこそこの酒(年末は成城石井で曖昧に買った5000円のバローロ?とかいうイタリアワイン、年始は徴用工じゃなかった長陽福娘純米吟醸をいただきました)飲んで、そこそこいい飯食って、孤独のグルメ見て、あとは狂ったように蒙古を殺して……これ以外に必要なことはないんですよね。徹底的に自分の精神を緩めることができたという意味では最高の年末年始でござんした。

 

 まあもうこれは多くの人が言っているように傑作ゲームですね。今更その評価を俺程度の人間が揺るがすことなどできないぐらいよいゲームだと思います。適度に爽快感のあるアクション性、それなりに芯のあるストーリー、適切な広さと密度を兼ね揃えたオープンワールド、個々それぞれの部分で言えば「良作」の域を出ないのでしょうけどそれをきちんとまとめ上げたという総合力で言えば近年稀に見るオープンワールドゲームだったのではないかと思われます。

 

 このゲームの推進力は何と言っても中世ジャップランドの武士として夷狄である蒙古をとにかくバチ殺しにしていくという一点にある。敵もなかなかにろくでなしばかりで、蒙古側の大将コトゥン・ハーン(チンギスの孫、フビライのいとこという設定)は顔だけ見るとX代目淫乱テディベアか?という感じなのだが、とりあえず突っ込んで撫で斬りにするしか能のない鎌倉のシングルコア脳御家人どもと比べるとメチャクチャ狡猾で抜け目なく、しかしそれでいて残忍さも兼ね揃えた「悪」らしい「悪」であった(他にも、蒙古襲来以前から人身売買に手を染めているばかりか、あろうことか蒙古と結託して旧来の悪事を加速させる「蝮の兄弟」や「黒犬」などの旧日本軍の御先祖様みたいな奴らも出てきて本当に気分が悪い)。こいつをとりあえずブッ殺して対馬を守っていくために、あくまで武士らしく正々堂々討ち死に覚悟でカチ込んでいくか、それともThe end justifies the means.だねえということで毒・暗器・暗殺などのダーティーな手段でドッタンバッタン大虐殺するかの二択を主人公が迫られるのである。といってもそれはフリーローム中のプレイングスタイルとしては自由にプレイヤーで選択できるが、ストーリーとしては主人公はどうしても後者をやらなければならなくなる。

 

 主人公の境井仁は、伯父でもある志村の補佐役として蒙古との最初の会戦で奮闘するも、圧倒的な兵力差や技術(主に蒙古側の火薬兵器)の差を前にあえなく敗れ(というか武士は仁と捕虜になった志村を除き全滅)、砂浜で死にかけていたところを女野盗のゆなに救われる。コトゥン・ハーン打倒のために囚われの志村を解放すべく、まずはゆなの弟で鍛冶職人でもあるたかを蒙古側から救うことから始める。武士らしく蒙古側の野営に突っ込もうや!と13世紀の特攻の拓みたいなことを言い出す仁に対し、ゆなはそれで人質死んだらどうすんねん!とミュンヘンオリンピックみたいなことを言い出し、葛藤を抱きながらも仁はステルスキルで蒙古の野営を攻略していく。一回童貞を下ろしたらあとは坂道を転げ落ちるように仁は暗殺テクニックを磨いていき、救い出したたかから「お侍さんの戦い方じゃねえ……」とビビられる始末。「仁は既に侍の域を超脱し、冥府の底から蒙古鏖殺のため蘇った「冥人(くろうど)」である」とゆなが方々で噂を広め、島の住民からは冥人様と恐れ半分、期待半分でみられるようになる。最初は「は?ワイは武士やが!!!」と言っていた仁も、徐々に正攻法では蒙古には勝てないし犠牲者がいたずらに増えるしで、島の民を守るために冥人としての役割を自覚的に引き受けていく。毒や暗器を使った「卑怯な」殺傷手段を進んで使うようになり、また鎌倉武士的にはよくない(ホンマか?)とされた背後や死角からの不意打ちの合理性を説くようになる。これはもちろん伝統的な鎌倉武士である志村にとっては受け入れられるはずもなく……というのが本作の一応の筋である。

 

 仁がこうまでせざるを得なかった背景については、約言してしまえば蒙古と武士の間には「お約束」が存在しないことが挙げられる。たとえば武士が「やーやーわれこそはー」と名乗りを上げて構えてきたのに蒙古が「デュフフww当方の一番槍は拙者でござるよww」と応じる義理はなく、無言で油をかけて焼き殺してしまう。そして蒙古は蒙古で対馬各地で調略工作を展開するが、一向に肯んじない武士勢に「えっこいつらマジでなんなん……?」となる(モンゴル帝国は敵対民族や国家に対して徹底的な事前調査を行い、その上で調略を仕掛けて領土を拡大してきたことが多く、世間一般で言われているように「残虐な民族」であるということ自体が彼らのイメージ戦略ではないかという説がある。この点、コトゥン・ハーンも日本語や日本文化を学んだうえで、対馬側の大将である志村を拘束して何度も降伏せよと呼びかけている)。

 このようにお互いの間で戦争の仕方に関する基本的な認識の一致がないので、武士側は蒙古を「名誉もクソもない残虐な民族で話し合いの余地なし」と評価するし、蒙古側は武士を「いやこいつらどうやっても勝ち目ないのに死ぬまでやるんか……」と思い込み、落としどころが全く見えないまま対馬をめぐる争いが激化していく(ゲームでは読み取りづらいが、遊牧民族であるモンゴル人が「ウルス」という人間集団を核としたアイデンティティの結合意識を持っていたのに対して、鎌倉武士はまさに「一所懸命」と対馬とその民を守るという場所を中核とした結合意識があったため、最終的な落としどころという点ではほとんど嚙み合わないのではということも東洋史ド素人ながら思った次第である。)。

 この中で蒙古も従う民には寛容だが、そうでない民を徹底的に苦しめたり、場合によっては殺害することで士気をくじく方策をとり、そして仁は仁でそうした暴虐を尽くす蒙古を兎に角ブッ殺していく絶滅戦争へと雪崩れ込んでいく。まあ何かよくある戦争のエスカレーションみたいな話だが、島のほぼ唯一のまともな抵抗勢力であった仁がそのエスカレーションを「冥人」として一挙に引き受けてしまったことが後の悲劇につながるのだろう。(しかし、そもそも武士が武士らしい戦い方で蒙古に一矢報いることができたのは、仁が八面六臂の活躍をしてお膳立てをしたからであり、その意味で「誉れある戦いをせよ!」という志村の言葉が如何にも空虚であることは明らかだ。もっとも、先鋭化した仁の行いに蒙古も先鋭化し始めるのだが、それはまあネタバレになるのでここでは控える)。

 ただ、このストーリーの眼目は、旧来的な武家封建社会の間隙と限界(それはメインクエストのみならず、安達政子、石川先生、ゆなのサイドクエストでも顕著だ)を剔出した上で、それらを超克した冥人たる仁だからこそ、対馬を救うという「if」を実現できるのだという、まあよく言えば分かりやすく悪く言えば安直なものであり、それをきちんと描き切っているという意味ではストーリー的な瑕疵はあまりないように思えた(瑕疵というのは、そこに至るまでの感情の流れが急であるとか、明白にそうじゃないだろと感じるような、プレイヤーの納得感を削ぐような展開を指す)。逆に言えばその分かりやすさに引いてしまうのではなく、しっかりと感情移入できれば、個々に配置されたシークエンスの見せ場では血が滾るような思いを抱くことは間違いない。少なくとも俺は中盤のあるシーン以降、コトゥン・ハーンゼッテェ殺すと思ってPS5コントローラーを強く握りしめていた。

 

 とまあ、ストーリー自体はそこまで新味のない話だが、ゲームデザインが相補的に絡み合ってこれにいいスパイスを足している。仁は蒙古を殺すたびに噂が広まっていき、これがアビリティポイント(本作では技量と呼ぶ)の獲得に繋がるRPG要素となっており、プレイヤーに蒙古をどんどんブッ殺していく動機を与える。そして「あのヤベェ戦いで侍はみんな死んだけど1人だけ生き返ってバッタバッタ蒙古殺しているらしい」という噂が広まるたんびに、ゲーム上で仁は武士の誉れを投げ捨てていくのための暗器(くない、てつはう、煙玉など)を獲得する。ゲームを進める=蒙古を殺すたびに仁が「冥人」として先鋭化していく様がストーリーのみでなく、ゲームプレイングにおいても感じられるようにするというあたりの設計は心にくいものだと感じた。それを達成するための「寄り道」として用意された蒙古の拠点は過不足なく配置されており、サイドクエストもWitcher3ほどではないにしろそれなりに芯食ったものがあるなと感じさせられ、飽きない作りになっているのもよかったと思う。

 クソデカいだけがとりえのマップ、10種にも満たないパターンしかない自動生成のお使いクエスト、単調なデザインの「狩場」だけを用意して「はいじゃあ適当にやってね」と言わんばかりのオープンワールドも近年少なくなく、かつてはゲームの可能性を押し広げたこのジャンルもそろそろ食傷気味だなと感じてきた人が多いと思われる中で、及第点のストーリーとしっかりしたゲームデザインを兼ね揃えているというだけでこのゲームは素晴らしいものである。最近はオープンワールドを10時間やったら飽きてほかのことをやってしまう飽き性の俺でさえなかなか楽しめたのだから、

 あとPS5版ではロードがメチャクチャ早いことも美点に挙げたい。実はPS4版でもちょっとやっていたので、ファストトラベルロードで2秒も待たないPS5版への最適化っぷりが凄すぎて感動した(ツシマをやった後にちょっとプレイして匙を投げたBloodborneでメチャクチャロードが長く感じるほどだった)。

 

 総評すると、重ねて言うとおり近年のオープンワールドゲームでは出色の出来だと思われる。あんまりPS5でやるゲームがない中で、これはマストバイではないだろうか。 追加コンテンツである壱岐編やオンラインはまだやっていないが、暇な時に少し触ってみようかなと思う。少なくとも、年末年始の食う寝る以外の時間全てを費やすだけの価値はあった1本だったので、本当にありがとうございましたという気持ちです。