死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240424――橋を落としたのならば

 つまり、後顧の憂いなく、自らと引き換えに、恥ずべき所業を厭わぬ人非人セクストゥスから街を守ることに喜びを覚えなければならない。

 

 もちろんマコーリーの「Horatius at the Bridge」です。たまには自分のちっぽけな記憶の中の文学が役に立ちますね。もちろん、俺は別に死ぬわけではないのですが、死ぬわけではないからこそ、少なくとも自分で退路を断つ決断をした以上はいつまで経っても思い悩んでんじゃないよと自分で気を吐いています。なお、この記事は部分的にかなり芯を食っていますが、もうバレても問題ないっすわ。

 

 職場を離れるにあたって、友誼を暖めていた数少ない人たちと飲む機会があったのだが、そのたびに君が離れるのが惜しいと言ってもらえる。もちろん色々と腹積もりがあるのかもしれないが、そういう言葉を聞くと、次の職場でうまくいくかというと不安も相俟って「ああやっぱ転職しない方がよかったのかもな」と思うようになっている。

 だが、そんな思いをきれいさっぱり忘れさせてくれるのが平時の職場だ。何が最悪なのかは書かないが、もう今日という今日だけはという気持ちになってしまった。流石に信じがたいレベルの軽侮を受けてショックがすごかった。

 なるべく波風立たせずに辞めようと思っていたが、どうやら無理っぽい。実際問題、俺だけの問題なら本当に辛いがこのままやり過ごそうと思っていた。だが何人か別に犠牲者がいるとなる以上、今後もこういうことがあるかもしれないと思った時に、この問題を戦わないままにしていいのかと思ったんですよね。先日読んだコールハースを思い返し、やはりどんなに落魄した人生であっても理不尽を許さないという気持ちを持つべきではないかと思いを新たにした。

 と、威勢よく述べてみたものの、今のうつじみた精神状態でできることは神経戦が精一杯だ。そのため、どこまでやれるかは分からないが、とにかく手を尽くしてみようと思う。どうせいなくなる職場なので、ある程度はお構いなしにやってしまえるが、それでも突然机を蹴飛ばして欠勤して懲戒を喰らうほどのボルテージには至っていないのである。

 最後の一仕事を頑張ろうと思います。今日はそれだけです。