死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

新入生、友達を作ろう

 このほど、我が故郷にして大いなる暗闇の生産拠点であるところの早稲田大学文学部を訪れる機会があった。本当はいわゆる本キャン(Fuck)の中央図書館で論文をコピーしようとしたのだが、あいにく受験が重なっていて学内施設は大体使えないということだった。仕方なしに、戸山図書館4階とかいう「ハナダのどうくつ」的隠しエリアに校友会カード(本は借りられないけど中には入れる奴)を使って入り、そこでしばらく2~3時間図書館の本を読んでいたのである。

 

 戸山図書館4階の何がいいかというと、そこは静謐の起源覚醒者しか入ることを許されないため、基本静かである。悪魔的な空調のせいで死ぬほど眠いのだが、まあ寝落ちしたところであまり迷惑をかけないぐらい閑散としているのもいい。そして並んでいるのは分類番号で言うところの1××、つまり哲学とか倫理学とか宗教学の類なので、ガチガチのイッパンシャカイズムに毒されたアホとかがあまり来ないのもいい。俺は学生の頃、わざわざ2階、3階の本を4階まで運んできて読んでいたぐらいここにハマっていて、というか講義がない時に大学来ていたらだいたいここかサークルの部室にいた気がする。親からお小遣い月3万円をもらい、後は小学生の頃からのタンス預金で大学生活の私的な消費をやりくりしていたので、昼飯を食って古本を買いたまに飲みに行く以外に金を使うことが考えられず、その時はカフェで読書するなんて行為が高級文化に思えたほどだ。そういう人間が読書をする場所というのは必然と図書館になるわけである。いつかお礼に図書館の床を舐めさせてほしい。

 

 そういう懐かしさもある図書館で、本を読むのに疲れて目を瞑っていると、大学生時代をふつふつと思い出した。1年生のドイツ語のクラスの1回目、俺は勇気を振り絞って他者と話し、何とか会話を成立させた。その涙ぐましい努力を以下に示す。1限の授業に30分ぐらい早く来て、誰か来るのを待っていた。そこで任意の人間Aが来る。1年生の1回目、要はみんな社会契約を結ぶ前の個々人なので、俺はそこに賭けた(いつか言及したが俺は「すでにできている輪」に自分から参入するのが死ぬほど嫌で、今もそれで困っている)。任意の人間Aも「友達100人できるかな?」状態なわけで、とりあえず会話は友好的だ。そこに陸続と人間がやってきて、俺と人間Aの会話に参入する。

 

 こうして人間の輪ができ、一件落着……と皆さんお思いでしょうか。そんなことはない。染色体に異常でもあったんじゃないかと勘繰りたくなるレベルで欠陥品な俺は大事なことを忘れていた。継続が必要ということである。俺はこの1回の会話に満足し、それ以降の授業ではとんと会話しなかった。つまり、わざわざ1限30分前に来て人間Aと形成した「輪の中心点」というアドバンテージを維持するどころか、張作霖ばりに爆殺してしまったのだ。関東軍と同じ程度の知性と想像力しか持ち合わせていなかったので俺はこの不作為後の顛末を全く予想できなかった。何と人間A、俺が声をかけてやったという大恩をすっかり忘れ、俺抜きで人間関係を形成しまくり太郎と化した。そうすると俺の必然性は2回目の授業でなくなり、3回目で孤独なオタクが完成した。そして俺も某中将と同レベルの無謀スピリッツしか持ち合わせていなかったので、その孤独のまま突き進んでいった。最前列で1人で座って授業を受けていたので、ドイツ語のスピーキングでは必ずネイティブと組むという虚無中の虚無をずっとやっていたのである。嗚呼、無念。結局こういう失敗を重ね、学部に友達ほとんどいないオタクとなってしまった(ただ、ツイッター経由で知り合った人とは今でもそれなりの付き合いがある)。その分サークルでは終生の友人ともいえる人たち(向こうがどう思っているかは知りません)や、面白い経験をたくさんしたと思っているので、大学生活全般を通して孤独だったわけではない。

 

 どうしてできてしまっている輪に入るのが難しいんだろうと想念を巡らせていると、多分俺という人間はいつだって距離感を間違えているなという結論に行き当たった。距離感をうまくはかれず、徹底的に離れるか、徹底的に密にするかのどっちかになっているのだ。よく考えたら語学クラスの人間となんてそんな深い仲にならなくてもよくて(いやなってもいいんだけど)、適当に会釈して世間話する程度でいいのである。如何にも享楽的で大文字のバカというべき大学生が考え付きそうな「ヨッ友」なるワードをよく耳にしたが、あれは今考えると適切な距離感というのをそうやって健常者ははかっていたのだなと思う。俺を突き放した人間Aのグループも、よくよく観察すればとりあえず曖昧にその輪に加わってますよー程度のスタンスの人ばっかりだった。この結論に至ったのは大学を卒業する直前である。そして今は社会人3年目だが、その距離感というのはいまだに掴めていない。何故なら俺も学習能力がないから。酉年なので。

 

 結局、今の職場(これ業種が限定される言明ですが、会社から俺が出向しているところ)でも俺はこんな感じで、この前なんか「あいつ何考えているかわかんねえから何か物事頼みに行きにくいよな」みたいな陰口をたたかれてしまった。しかも、会議の資料が先に俺だけに配られ、他の人たちに配布されるのが時間かかる、みたいなことになったので俺が「すいませんこれ僕だけ貰って申し訳ないんで回覧していただければ」と言ったら誰も何も言い返してくれなかったのである。いや確かにあいさつもほとんどしない俺に問題の根源があるんだが、せめてガチの仕事の時は何か返してくれよ……と思う次第。職場でこういうハブり方をされ、会社は会社で人をこき使うことしか考えていないので、こりゃやめるわという話である。ナチスでさえユダヤ人に見せられなかったレベルの悪夢をあいつらに見せてやりたい。

 

 さて、自分のゴミ経験談を一通り書いてすっきりー!(ゆっくり語)したので、タイトルを回収するべきだろう。新入生諸君、友達を作ろうということである。まあ別に友達ができなくたって困るのは語学とかの時だけで、後は何とでもなる。というか、友達作らんでも、1人陰鬱に図書館で古典を読み耽っている方が人生のコスパがよさそうな気がしてならないが。それでもせっかく大学なので友達1人ぐらいいた方がいいと思う。俺だって読んだ本の感想ぐらいは誰かに言いたかったのだ。結局のところ人間そういうもんで、孤独と人恋しさがウロボロス的に噛み合っていて人生はいつだってアンニュイということなんだ、水銀燈……。