死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240407――余生と落魄、あるいは救済について

 お久しぶりですね、本日は長めにやろうかと。

 

【労働】

 近々に退職することになりました。なんとなく、この職場にはずっといるもんだと思っていましたが、こんなしみったれた人生であってもまだまだ驚きと波乱に満ちていますね。ずっといたら、まあ俺がどんなに無能でも40~50ぐらいには年収600~700万の安泰な暮らしを保証されていたとは思うのですけど、致し方ない。

 こんなことになってしまった責任分担については、会社4:俺6の割合だと思う。会社4は、①破滅的なマネジメント、②他罰的な人間関係のプレッシャー、③この間の諸々に対する柔軟性のなさ、④基本的に嫌われている、で、俺6は①堪え性なさすぎワロタ、②人間関係リセット症候群発症、③仕事を“全く”面白く思えないという社会人にとって致命的な「性分」、④思慮の欠如、です。

 「ここにいてもいいの?」っていう碇シンジ君状態をずーっとやっていると人間はおかしくなる。それを学べたのは貴重な体験ですね。エヴァQでシンジ君にWILLEの面々が「もうなんもせんといてくれや」っていうの、ニアサーがあったからというのはわかるっちゃわかるけどやっぱきっちぃっすよ。俺の場合は存在が無視できないインパクト(ビジネス用語)だったってこと? 俺の母ちゃんの出生をバカにするな! という気持ちになった。そりゃ変な人に言いくるめられておしまい畑になろうとしますわね。

 前職では退職交渉をした時にかなり慰留された(実際そのせいで想定していた退職時期よりもかなり遅れた)。それは「お前みたいなクズでもいないと数合わせ上困るんや」という上長の極めて実利的な判断によるものであって、決して俺の能力が評価されてというのではなかったように思う。それでも必要であったという意味ではなにがしかの価値が俺にもあったのだろう。が、現職現ポジションではそんなのが微塵もなかったので、退職を申し述べた際も非常にあっさりと終わってしまった。所詮1~2年は遮二無二働いたとしても、組織にとっては使い捨てでしかないというだけです。まあこれはこれでありがたかった(本当にこれ以上いると精神汚染がひどいことになるので)。

 次の仕事は決まっているが、正直今の職場より好転するかどうかは見通せない。前職はガチガチの高給漆黒、現職はまあまあの薄給ゆるグレー(まあ通年では結構残業もしまくったし)という感じで、次のところはその中間かややブラック寄りになると思う(給料はちょっとだけ上がる程度)。普通に労働時間は倍増すると思うので、そこに耐えられるかどうかですね(これについては覚悟の上)。この職場も長続きしなかったらいよいよ組織に飼われるタイプの労働は諦めるしかないと思う。しかし、①人間関係ガチャ、②案件ガチャでSSRを引かないと長続きしないシステムに依存することのリスクも真剣に考えるべきなんでしょうね。だって2回も退職してんだもん! 士業とか大変そうだし、フリーターでやっていくためのバイタリティもないし、金融資本主義に対する不安が強いのでNISAやらFIREみたいな発想にもなれないし、で結局雇用労働に舞い戻っているという点はありますが、普通に一旦全部をフラットに検討し直す機会はあってもいいように思いましたね。

 

【雑感】

 退職に際して、人生を振り返ってみましょう。

 思い返すと、やりたいことを全力でやり抜くみたいな経験に乏しい人生だった。もちろん、何かをやっているうちは結構頑張っていると思うのだが、頑張りどころがまだ残っている段階で「まあここらでいいかな」と思って切り上げてしまう「手癖」が俺の人生のあらゆるところに見出せる。それが自分のどんな好きなことであっても、である。

 まず、俺は一応ゲームオタクの端くれだ。だが、俺はどんなにハマっているゲームでも「トロコン」をしたことがない。もっと言えば、いわゆるストーリーやゴールのあるタイプのゲームで全クリまで行ったことがほとんどない。このブログで何度も言及しているFallout4やSkyrimも、実は全てのクエストをクリアしたことがない。Fallout4に至っては発売から9年ぐらい経っているが、DLCの「Nuka World」は一度もプレイしたことがない。まあ、オープンワールドゲームだとこういうのってありがちだと思うが、普通のゲームでもクリアまで行かずに放置しているのがたくさんある(CoDとかグラブルリリンクとか……)。最近きちんとクリア!まで持っていったゲームはほとんどない(ゴーストオブツシマとかアサクリヴァルハラとか……)。今ここに挙げているのは分かりやすいような客観的な目標値に過ぎないが、主観的な目標として「まだまだやりどころがあるな」と自分でも思っているにしても「まあいいか」とうっちゃっておくことがあまりにも多いのだ。

 同じことは読書についても言える。俺は濫読が大好きだが、この学問を究めたい!みたいな気持ちがとんとない。言い換えると、体系的に学ぼうというパッションがない。このため、知識は歯抜けだし、都度連関を欠くので記憶にも定着しないというコスパの悪すぎる読書を行っているが、別にもうどうでもよくねと思っている節がある。また、個々の読書行為についても、分からんところは結構の頻度で飛ばしがちになっている。この前、必要に駆られてこれまで全く読んだことのない分野の本を1日かけて斜め読みしたのだが、数式は全部すっ飛ばして、数式以外で訳わからん部分も適当に読み流した後に、一応まとめを作ったら1000字もいかなかった。つまり1日かけてもその程度の理解粒度でしかなかったということだ。しかし、そういうななめ読みあるいはつまみ読みであっても、自分の頭で考えられる人であれば、ひとつのテーマを深く広く考え、たとえ雑な読書でも多量かつ広範に読むことによって抽出したデータを有機的につなぎ合わせ、思考の糧としうることもあると思う。ただ、基本的に俺は一冊の本を端から端まで読まないと気持ち悪いので、中途半端な理解度でいたずらに時間を費消するという、傍から見ても頭の悪い読書をずっと辞められないでいる。自分である程度客観視できているが、直そうという主体的な動機が生まれてこないのは、やはりどこかで「まあいいか」という気持ちになってしまっているのだろう。

 好きなゲームや読書でさえこの体たらくなので、仕事なんかはまさにそういう悪いところだけがずっと出ていたように思う。まあ、これは別によかったですけどね。仕事を100%熱心にやらないのは働き過ぎな現代社会への報復としてとらえているので。生産性は人を痛めつけても出てこないということを永劫に学び続ける罰を負わされている社会への鞭が俺です。

 さてさて、人生に通底するこの「まあいいか」メンタリティを今更変えられるのかというとビミョーなところだ。もしかして読書もゲームも「ちょっと好き」程度にとどまっていて、まだ「本当に好きなこと」に出会ってないだけかもしれないが、30年生きてきて「本当に好きなこと」に出会えないなんてある???という素朴な疑問があるし、読書もゲームも「本当に好き」だけどコンセントレーションの程度が他人よりも著しく低いだけという現実に向き合うべきな気がする。そう、30年生きてきたのに何事にも真摯に向き合わなかった結果、俺はこの現実と真摯に向き合うように『時計じかけのオレンジ』よろしく目かっぴらいた状態で拘束されている感じがある。

 とはいえ、そもそも男に生まれたからには一事を成し遂げるべき、みたいな話をしたいのではない。そんな規範からとっくに自由になった以上は、このあてもない自分探しは自由の対価として恭しく受け取る類のものだろう。一事を成し遂げられないにしても、知的な漫遊をできる限り楽しみ、死なない程度に逸楽に興じるというありふれたディレッタンティズムを然り!と肯定してもいいのである。大学を卒業して以降の廃墟じみたアディショナルタイムではあるが、結局どうやってもこうなるしかなかったんだと開き直って生きていく決意を遅まきながら固めていこうと思った。

 とはいえ、である。俺もいつかはプロセスの濁流を抜け出せるだろうか、という淡い希望ぐらいは持ち続けていたい。天から垂らされた糸をしっかり掴めるように目を凝らしていたい。だからこそ閉鎖的なコミュニティに甘んじるのではなく、もっと漫遊と逸楽のフィールドを大きく広げていく必要があるのではないかと思っている。今後の人生のテーマはそれかもな、と漫然と思っている次第です。

 

【読書】

 高山博・亀長洋子編『中世ヨーロッパの政治的結合体――統治の諸相と比較』(東京大学出版会、2022)を読了しました。A5判で600頁超、そしてお値段1万円+税という本当の「専門書」ですね。極めてハイブラウな西洋中世史の学術論文集でした。

 中世シチリア王国に関する研究などで斯界の第一人者とされる高山だが、その院ゼミの共同研究の成果とのこと。近代国家への過渡期的な存在として王権や領邦を捉えがちな「中世国家論」の視点を脱却し、王権、領邦、教会、修道院、村落、都市、(本国から離れた)居留地といった多様なアクターを「政治的なまとまりとみなされる人間集団=政治的結合体」と捉え直して、結合体の内外における統治実践や統治規範、さらに各アクター間において繰り広げられたコミュニケーション行為を比較検討するというのが本論集の目的であると理解した。高山の問題意識を総論から引くと次のとおりである。

 「ヨーロッパにおける歴史研究の基本的な枠組みは19世紀の自国史研究の中で作られたため、中世ヨーロッパを認識の対象とする場合にも、限られた特定の国や地域の研究成果に基づく議論がなされてきた。ヨーロッパ各国のどの学会を見ても、中世史研究が自国史研究の一部として行われていたため、自国を中心とする地域に関する研究の蓄積に比して、他地域との比較研究や他地域を含めた規模での研究は驚くほど少ない。商業や文化・宗教など広域を扱わざるをえないテーマを除けば、現実には、近代以降の国家の枠組みを超えるような研究はほとんど存在していないのである。私たちが求めるような、つまり、相違点と共通点を適切に説明してくれるような比較制度研究はなく、各国の研究者たちが自分の学問的伝統に基づいて集積した国ごとの情報の束が併存しているに過ぎない。」(pp6-7)

 まさに本論文集はそのような意味で「相違点」と「共通点」を浮き彫りにする作業と言える。実際に扱われている地域は北欧・西欧・南欧ビザンツと幅広く、また教会制度も対象となっている。論文集であるので、どうしても玉石混交の感は否めないし、また専門的過ぎて「???」となるものから俺のような一般読者にも多少なりとも面白いなと思えるものまで様々であったが、全体としては極めて水準の高い研究がなされていると思われました。ただ、「政治的結合体」っていう形の大きな括りが成功しているかというと、個人的には結構何でも入る箱化してね?とちょっと思ってしまいましたね。

 ここでは、俺でも面白いなと思えた論文を紹介します。取り上げなかった論文がクソとかそういうわけではなく単純に俺がよき理解者ではなかっただけです。

 第1部第2章の小澤実「収奪の場としてのイングランド――北ヨーロッパ経済、デーンゲルド、クヌートの統治政策」。ヴァイキングにとってイングランドはまさに略奪のための場でしかなく、人やら物やらを盗んだり、貢納金をもらったりする略奪経済を主としていたが、クヌートはスカンディナヴィアとイングランドを統べる王になって以降は、その海上王国が北海全般を掌握し商圏として発展させることが可能になり、政策の転換が行われた。クヌートがイングランドの王になったことで、イングランド本国内でのヴァイキングの恣意的な略奪が難しくなり、また貢納金も廃止された。そしてスカンディナヴィアの交易によって富がデンマークイングランドに集積され、ヴァイキングの経済手法が「略奪」から「交易」へとシフトしていったことが指摘される(背景にはキリスト教文化の伝播もある)。

 第2部第1章の菊地重仁「「恩恵の剥奪」――フランク諸王の統治における「威嚇」行為に関する一考察」。メロヴィングカロリング両王朝時代は、王が出す命令文書を携えて役人が命令を執行するという行政構造だったが、この命令文書の中に当の執行する役人に対してちゃんとやらねえと「王の恩恵」を剥奪するぞという威嚇条項がしばし盛り込まれていたという。この「恩恵の剥奪」が、初期中世における統治者と役人との間の命令伝達のコミュニケーション行為として把握しようとする試み。「恩恵」ってそもそも何やという話だが、「王の「恩恵」を得ること・維持することは、有形無形の利、たとえば官職・特権・土地財産の授与につながり、他方でその「恩恵」の喪失は、その剥奪につながる。」(p140)という。この「任意性」が、後で何されるか分からんということを受け手に印象づけることによって、命令不履行への脅しとなったことが挙げられる。他方で、こうした命令文書には「徐々にぽめえの忠義を頼りにしてるポヨ」みたいな忠義を確かめる文言も徐々に出てくるようになり、「カロリング期の君主の名で起草された命令書においては、恩恵概念と忠誠概念の双方が巧みに引き合いに出され、命令遂行の可能性を高めるコミュニケーション上の工夫がなされていた」(p143)と見えるのである。

 第3部「教会世界の政治的結合体」は一番面白く思えたブロックだった。要は教皇を頂点とした教会官僚制や、修道会のガバナンスなどを扱ったところ。以下やや詳しめに紹介します。

 第1章の藤崎衛「教皇使節論――代理人による教皇の教会統治」。教皇使節(legatus)について扱った章。「旧約における神の代理人としての預言者という関係に重ねられる形で、新約以降はキリストの代理としてのペトロ、ペトロの代理としての教皇、そして教皇の代理としての教皇使節」(p297)は、教皇との一体性を担保すべく、衣装などは教皇に近いものを使っていたという指摘はなるほどと思った。

 第2章の纓田宗紀「中世教皇庁の財務管理ネットワーク――北欧における聖地支援金徴収の事例から」では、十字軍のために募集された聖地支援金の資金の流れを追う論考。キリスト教文化圏では新入りの北欧に対しても、十字軍の金寄越せということで徴税人が派遣されるが、現地からの協力はなかなか得られない。それでも何とか集めたお金は、既存のイタリアの商人などの金融ネットワークを介して、教皇庁に送られる。実際この金は十字軍に使われるかというと、アンジュ―家支援のために使われている形跡もあり、まあそうだよな……という何とも言えない気持ちになりました。

 第4章の大貫俊夫「盛期中世における修道会ガバナンス――シトーとクリュニーの修道会化と巡察制度」。元から複数の修道院が集ってできたシトーと、クリュニーの一極だったのが遅れて修道会化したクリュニーを対比しつつガバナンスの対比を論じている。シトーは緩やかな分権的な構造だったが、クリュニーはあくまで中央集権的だったという大枠の対比もさることながら、それによってシトーは修道院の規律等の査察においても、査察する側とされる側のパーソナルな関係性で強制をなるたけ避けるような形式で行われていたという。そういった中で査察側は記録文書を残さなかったことなども興味深い(クリュニーでは文書を残して、それがその後の意思決定にも影響した。)。しかし、そうした口頭主義的なガバナンスは蹉跌をきたし、13世紀には文書主義的な転換がはかられたという。

 第4部第1章の阿部俊夫「「大レコンキスタ」期における教皇庁のムデハル対応」では、レコンキスタ後に現地に存在するイスラム教徒(ムデハル)への処遇が論じられる。「皆殺しやーっ!」という対応ではなく、割かし柔軟であるし、勝手にイスラム教徒に危害を加えたら破門といった宣告などもされていたという。このあたりのグラデーションは見えにくいので、こうやって論文になっているとありがたいですね。

 第5部第1章紺谷由紀「『新勅法集』と『エクロガ』にみる皇帝立法の柔軟性――六―八世紀の身体切断刑の導入過程に着目して」。これが個人的には一番面白かったです。身体切断刑はローマ法を編纂したユスティニアヌス帝時代にはなく、むしろその後のビザンツ皇帝時代に書かれた要綱的な法律書『エクロガ』によって導入されたとして「ローマ法の野蛮化」として説明されてきたが、実際のところ既に身体切断刑はユスティニアヌス帝の『新勅法集』にあることを指摘される。『新勅法集』と『エクロガ』の違いは、前者が手足だけに言及しているのに対し、後者は舌とか目とか鼻とか陰茎とかも多様化しているところが指摘される。しかし、著者は皇帝立法の趣旨全般を注意深く読む必要があるとして、『新勅法集』における身体切断刑の導入それ自体にフォーカスする。それ以前のローマ法下にあって、裁判担当者らが恣意的に刑罰として身体切断を行うことがままあったようで、「身体切断刑の詳細な規定が既存の刑罰全体に対して人道主義的な側面から修正を加え、さらに属州役人に対して詳細な刑罰の規定を提供するというより大きな目的の一部」(p526)をなしていた。同じ『新勅法集』で財産刑を緩和化していたことを考えると、むしろ一定の枠組みを刑罰に設けることで皇帝の慈悲深さを示そうとした、というなんとも逆説的な主張が展開される。これと同様の趣旨で『エクロガ』においても刑事手続のコントロール化と見なすことが可能ではないか、というのが著者の主張である。もちろん、これだけでは何で切断部位が多様化したのかの説明にはならないが、7世紀において切断刑で色々な部位の切断がなされるようになって、その「有用性」が理解されるようになって明文化された?という仮説も提示される。

 

 完全に関係ないことをひとつ。マジで本は高いけど、とにかく自分の限界(資産・収納スペース・読解力など)まで本を買っていこうと決意を新たにしました。そのためにちょっと蔵書の整理にも着手しようかなと思っています。本を買うことが、自分にとってできる唯一の社会貢献なので。