死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

現在進行形の奈落について

 どうやらほぼ1か月ぐらい日記更新を怠っていたようだ。いや、書こうとしていたのだ。300字ぐらい書いて、それを全部消すみたいなことを繰り返していた。「こんなんブログに載せることか?」みたいな迷いでそのままバックスペースキーを押し続ける。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。ブログに載せるに値するかどうかなんてことを考えていいのはアルファブロガーだけだ。こんな底辺ブログでそういうことを考えると、いつの間にか廃墟になりかねない。一市井の途切れた日記なんてルネサンス期であれば貴重な史料かもしれないが、現代では掃いて捨てるほどの死霊でしかない。文字の死骸。意味の墓地。情念の悪霊。インターネットの墓荒らしすら打ち捨てるようなうらぶれた言語空間。このブログにいつか怨念が宿って、見たものを呪い殺すようであってほしいと心の底から願う。

 

 まず近況について振り返ろうか。現在、仕事上でいくつかの時限爆弾を抱えている。いつ爆発するかもわからない。そして、どうやって爆発を防げばいいのかわからない。分かっているのは、この爆弾は必ず爆発し、俺の精神は四散するということだけだ。その絶望的な状況の中、長距離走を続けている。仮に爆発しないままゴールしたとしても、俺の精神はボロボロになっているだろう。どっちにしたっていいことはない。

 

 仕事を取り巻く状況は前にもまして最悪だ。今や部下はいないも同然。上司も俺の無能さを理解したのか、直接部下に命令を出す始末。この前、俺に対する命令が上司から部下に伝えられた時に全てを察した。信頼はない。既に終わっていることだ。人々と目を合わせたくない。吐きそうになる。会社に上がろうとすると胃液がこみ上げる。先週も嘔吐した。だが、上司に「元気でやっているか?」と聞かれた時に取り繕ってしまうのは、最低限の社会性なのか、勇気の欠如なのか。今やどうでもいい。俺は明日も出勤し、またしても取り繕い続ける。引き裂かれた魂への安易な弥縫策は、いつか魂そのものを変質させるだろう。

 

 今の俺は俗にいうメンヘラなのだろう。大学時代、精神に余裕があった頃はメンヘラの体験談や異常なストーリーを若干の憐みを込めながら、それでも異界の面白体験話として笑いに消費していた。ところが今や俺はあいつらの仲間入りだ、今度は俺が嘲笑を投げられる番だ。ところで、メンヘラは女だけの特権なのか? 俺は病弱さと薄幸の女性が分かちがたく結びついたロマン主義の戯言を21世紀にもなって聞かなくてはならないのか? いや違うな。俺は男がメンヘラを自称することに不愉快さを感じている。そして、死に瀕するオフィーリアの如き美しさをメンヘラに夢想しているんじゃないのか? ロマン主義者は俺だったというわけだ。そりゃ間桐桜如きに性癖折られますわ。

 

 生活も破滅が差し掛かっている。水道が使えない。恐らく凍結だろう。トイレはコンビニ、風呂はスーパー銭湯、洗濯はコインランドリー……とりあえず今のところは何とかなっている。だが、それは生活に余計に時間をかけることにつながる。結果として疲弊は蓄積している。仕事の疲れを生活で癒し、次の労働を再生産する態勢を整える――こんなこともできなくなっている。蓄積した疲労がどのような結果を及ぼすのか。わからない。わからないことだらけだ。俺はどうすればいい?

 

 俺は幽霊を待ちわびている。俺に取り憑いて、俺を呪い殺し、俺を引き入れるそれを。ひとつだけ願いがある。その幽霊は、とびっきり美しくあってほしい。さてはて、どうなることやら。