死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

自分と社会の戦いでは、社会が勝たない程度に支援せよ――あるいは30歳地獄行き社不の意見

 ハッピーバースデー俺!!!! ついになってしまったよ……魔法使いに!!!

 俺は気分の高揚を抑えきれず、高らかに中空へと手を伸ばす。そうだな、まずは……命を終わらせる魔法を! そうだ、それにしよう。呪文はなんだろう。何でもいいか、自分にアバダケダブラ!!!! 

 ……もちろん、そんなことで死ねるわけもなく、そもそも魔法も使えないというわけだ。30歳にもなって性行為はおろか、異性とさえまともに付き合ったことのない人間に残されたのは、とうの昔に捨て去られた空想と戯れる道化らしさと、本気で人間と関わったことがない虚しさだけです。

 ※このブログでさんざん言及しているとおり、俺は女とセックスしたいとか女と手をつなぎたいとか女が電車で何事もなく隣の席に座ってほしいとかよりも、むしろ女を殴りたいという気持ちに支配されているミソジニーおじさんなので、30歳童貞おじさんになったことは全くどうでもいい問題でしかない。でも俺は内面化した社会というナイフで自傷するのが好きだからこうしてんねん!!!文句あっか!!!

 

 さてさて、30歳になって確信したのは、俺はとことんしょうもない人間になり果てたという、ただそれだけのことである。

 頭はハゲてきた、記憶能力も著しく減退した、肌も荒れてきた、知能もだんだんと摩耗してきた、集中力も欠けてきた、痛風や腰痛は一向に改善しない、会社にも居場所がない、両親が死んだら何もかも終わり、だけど介護は嫌だと思っている、新しい家族を形成するなんて絶対に無理だ、かといってコミュニティ開拓や友人探しも億劫になってできない、それなのに昔の友人とも疎遠になりつつある、人間が毎日嫌いになっている、かといって自分も嫌いである、そもそも最近自分のことを面白いと一切思えない、端的に言ってセンスがない、読書も動画もただ単に漫然と摂取して終わっている、早晩そのような趣味嗜好への意欲すらなくなる確信がある、その後どうすればいいのかまるっきり決まっていない、肉塊の生に甘んじる覚悟ができていない、心のどこかで自分が落伍者であることを認めたくない、だから落伍者を見下しているが本当は自分が一番最底辺の人間である、自己嫌悪と他者憎悪で微かな人類愛が消えてなくなりそうになる……。

 列挙しているうちに悲しくなってきた。なんとまあみじめな人生か。ガザ地区の子どもたち、ウクライナの人々、岡崎署で亡くなった精神障害者の男性、社会が打ち捨てた落伍者たちによる拡大自殺に巻き込まれた人々……そういう人たちが生きたかった明日を、俺は足蹴にし続けている。そういう人たちが死んでいった昨日から何も学んでいない。ただ流れゆく現在に嘆き続けている。もういっそのこと早く死んだ方がいい。それが社会のためである。

 

 しかし、である。

 おい社会!!!!お前俺のこと舐めてんだろ!!!!クソが!!!!!今日から俺とお前でサシの殺し合いや!!!やったんぞ!!!!

 法規範に従って社会生活を送りつつ、反社会的破壊活動の一翼を担っていく。徹底的に非社交的な態度を通じて、社会の大多数が護持する価値を少しずつしかし確実に毀損していく。非社交的反社型社交とカント的に言いうるだろうか、なんてジョークものたまってしまうけど、実際本気でそう思っている。クソデカ社会不適合者だから。

 毎日頭の中で身近な誰かを殺そう。平気で歴史上の最悪のifを思い描こう。空想上の絶滅機構に人間を全部投げ入れよう。動物も生贄に捧げよう。地球滅亡のお祈りを欠かさずしよう。可能な限り気候変動を喜ぼう。権威主義国家が生まれるたびお寿司を食いに行こう。女子ども老人外国人の人権を蹂躙する人間をメチャクチャに殴って、自分>蹂躙する人間>女子ども老人外国人の図式を作ってご満悦になろう。全方位に逆張りして自分というものを滅却しよう。

 そういう小さな積み重ねをしていくうちに、本当の本当に社会が終わるかもしれない。いや実際、社会なんて既に終わりつつある。俺はその転げ落ちていく社会の後ろに微力ながら手を添えて押して転がしているのである。いつか一緒に転げ落ちるだろう。その時がとても楽しみである。

 他方、簡単に社会が終わってしまうのも困る。俺は社会への憎悪だけで生きているので、社会が終わった後は樹海の肥やしになるほかないからだ。この点で、俺は多少なりとも社会貢献もしていかないといけない。メチャクチャ矛盾しているが、この際ありとあらゆる矛盾を体現して生きるのも悪くないと思っている。首尾一貫性なんてもんはクソくらえと思っているから。俺は論理学なんか死んでもやらねえぞ。

 繰り返すが、できることならさっさと死んでしまいたい。社会のために、というか、こんな痛々しいことをネットの場末に書いている自分のために、終わらせてしまった方がいいに決まっている。しかし、死にたい気持ちを引きずってもう30年である(生まれた時から死にたかったんかというまぜっかえしはノーセンキューですそれが当たり前だろバカ自分の胸に手を当てて考えてみやがれってんだ。)。そんな奴が自殺なんかできっこないに決まっている。こうなってしまった以上は、可能な限り社会とメンヘラ共依存していこうと思っている。俺は社会に悪態を吐くが、しかし社会の破滅的危機に対しては嘆き悲しむことにしよう。

 

 ……とまあ、狂ったことを述べてまいりましたが、30になったからね、そりゃ人間もおかしなるよ。早すぎた更年期障害。命の母オーバードーズしなきゃ。

 ずーっと抽象的な話に終始してきたが、具体的なことなんか書けません。明後日上司をぶっ殺すとか、国会議事堂にトラックで突っ込むとか、できもしないことはいいません。できることなんて限られているのです。以下、できることを少しだけ書いていきます。

 このブログも30になったらやめようかなと思っておりましたが、多少なりとも備忘録的意義があるので引き続き頑張ろうと思う。このブログが対社会の唯一の武器だしね。

 あとは、とにかく色々と本を読もうかなと。本当に言葉や思考を鍛え直さないと社会と戦えないことに気づいたので。記憶力はもう地の底まで落ちたので、冊数よりもどれだけ本の内容を外部化できるかに尽きる気がする。

 そして、きちんとコンテンツに向き合えるようにならないといけない。社会のクリティック練習だと思って、そこは頑張りたいと思います。

 

 とにかく後はどれだけ自分の人生賭けて社会に傷をつけられるか。一切傷つかないかもしれないし、むしろ社会がよくなっていくことだってあるかもしれない。その時は正々堂々負けを認めて、今度こそ死に場所を探そう。最悪を更新し続ける社会だからこそ俺の居場所があるわけなので、少しでもよくなりはじめたらさっさと退場すべきなのである。

 最後に。今や暴力が蔓延り、不正が居直り、絶望は物珍しくもない時代である。底が抜けた今、徹底的に底の底へと至る必要があるのではないか。その行き方=生き方は人それぞれだが、俺は俺なりのやり方でホントの底を見つけたいと思っている。