死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20190304

  ここのところ、家には必ず誰かいる生活をしている。悪いわけじゃない。家に帰って誰かと談笑できるのは精神の回復ポイントが高いからだ。しかし、俺は孤独を勝ち取るものだと考えている。コミュニケーション過剰、情報過多、コンプレックスのスパイラルなどなど、現代は他者という呪いについて真剣に考えないと頭がおかしくなってしまうようになっている。

 

  なので今日はあえてひとりで飯を食っている。食いながら『ヨーロッパの日記』第4章を少しだけ読み進め、性欲と自己破壊ということについて考えた。カフカでさえも売春婦とのセックスに喜びを求めようとしている。ヤノーホの『カフカとの対話』でみえるカフカとは全く別人だ。しかし、種々のヨーロッパ文学、とりわけ日記文学や自伝文学、書簡などの方面について並々ならぬ知識がなければ、この本は面白く読めない気がする。本の内容が知識を前提としているというよりは、インプリケーションの理解に知識を要するという感じ。内容はわかるけどその奥の話を読めているのかという不安に苛まれながら読み進めている。とはいえ普通に面白く、このご時世過ちでさえ自己陶酔の種としてしまう嘆かわしい所作が常態化しているが、その淵源を見たような気がした。

 

   仕事をやめるのにメチャクチャ仕事を振る文化、いつか弊社(来月から御社)の首を絞めますように。