死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20231222

【労働】

 今日は何かとても忙しそうでしたが俺は俺の人生に忙しすぎたので何ら顧慮せずに帰った。多分人間の信頼ポイントが減ったっぽいけど、俺はそもそも職場への信頼ポイントがマイナスなので何も問題がない。このまま殺し合いを続けていくが、お前らのスタミナが切れねえことを祈ってるZE☆彡

 

【ニュース】

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 ワロタ。「叩き殺す」と演説で言う人は違うねえ……。結局岸田政権の対応のちぐはぐさに対して自民党内でもアホほど評判が悪いのだと思い、こういう不満が噴出しまくってるのだと推測する。

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 いいバッテリーだったンゴね。

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 マクロンとかいうおじさん、多分岸田と仲良くなれそうな気がするな。しかし普通に人権の最果てみたいなことが議論になるので、20世紀クンがひょこっと顔出してきた感がありますね。

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 俺はこのジジイは早く死んだ方がいいと思っているのだが、長崎の離島の人たちにとってはありがたい存在なのだろう。長崎の離島の人たちには長濱ねるを育てていただいた恩が……いや俺には特にないのでやっぱこのジジイは早くブチ殺せ。こいつが死に際に般若心経を唱えるか見物ですぜ!

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 中世ジャップランドもしっかり御恩と奉公をアメリカ様筆頭の自由主義世界においてしていかなければなりませんポヨ。

 

【読書】

 和仁陽『教会・公法学・国家ーー初期カール・シュミット公法学』第1章「学知と審美主義の間で」を読んだ。この本は大学時代に大学の図書館で借りて読んだっきりですが、その時も「難しさ」にうんざりした記憶がある。今回久しぶりに繙いてみても同じ感想を抱いた。例えば、普通にドイツ語やらラテン語が訳なしで出てくる(大学時代どっちも多少やってたので何となく意味はわかるが、断りなしに『ファウスト』の原文を公知の事実みたいに出してくるのは流石に辟易した。)。また、膨大な先行研究をしっかりと批判的に整理検討されており、その含蓄が遠慮なく高速で投げ込まれるので、こっちはピッチングマシーンの前で縛り付けられた加藤みたいな気持ちになる。かなりの知的負荷なので、狂った知の高山トレーニングがしたいか、シュミットや20世紀ドイツ思想史と真摯に向き合いたいという人間以外は手に余ると思われる。

 しかし、シュミット研究書、いやことによると日本人による西洋思想史の研究書としても間違いなく最高峰の一冊であることは、アカデミズムの外にいる俺でも何となく雰囲気で伝わる。

 第1章(と第2章は本論に入る前の予備的考察という位置づけなのだが)の段階ですでに大変勉強になる指摘がてんこ盛りである。正直間違いなく俺の手に余るのだが、簡単なメモ書き程度に残しておく。

 シュミットにおいてユンガーとも共通する一貫した態度は、シュティルナー的な徹底した個人主義(無政治的個人主義)であるが、この個人主義の帰結は徹底した政治的無関心アナーキズムであるだろうに対し、シュミットは制度としての近代国家を所与の前提として受け止め考察を展開せざるを得なかったことに和仁は注目する(和仁はこの理由を、シュミットが時代に対して覚えた自らの生存に対する不安感に帰着しうるのでは、と指摘している(pp52-3))。審美的イメージにおいて世界国家を夢想しえたユンガーとは異なり、シュミットはあくまで、学知の範囲内で徹底的に国家と対峙する無媒介的な個人への安全保障を与える国家という「保護と服従の連関」なる理論展開を、自身の「知的冒険」において辿るしかなかった(この結果がシュティルナーホッブズの奇妙な結合としてのシュミットの行論であった。)。

 このシュミットの難しい立場とその帰結を、著者の明快な整理を借りると次のとおりである。

 「シュミットの二重のディレンマは明らかである。第一に、歴史的に、個人は近代国家と不可分の関係に立たざるを得ないのだが、この国家はまさに「経験的個人」を抹殺する存在であった。(中略)しかしそればかりではなく、第二に、シュミットが受け入れざるを得なかったところの、この国家と個人を対置するプリケァリアスな秩序さえも、今日では国家内における強力な団体・階級・政党の出現により脅かされている。(中略)シュミットは、国家の没落を描写しながら・近代国家の消長と自己の運命を同一化し(「ヨーロッパ公法の最後の自覚的代表者」)・国家の再活性化に絶望的な努力をするという苦境に、自らの学問的構想によって自身を追い込むのだが、この背後には、最終的には自己の無政治的個人主義と近代国家=ヨーロッパ公法との抜きさしならぬコロラリーの関係の認識があったと考えてよい。」(p49、下線俺)

 また、クロコウによって提出された「決断主義」という分析視角でシュミットを解そうとする態度にも根本的批判を加えている。カール・ハインツ・ボーラーのユンガーに対する美学的な分析概念である「衝撃的恐怖の美学」を援用し、シュミットの「決断主義的」に見える口吻をある種のレトリックとして分析するよう要請する。和仁曰く、シュミットの「主権者とは、例外状態をめぐって決断する者のことである」というブリリアントなテーゼは、実際言っている内容よりもその文体的な特徴が強く、結果として「分析能力と法的素養を欠く多くの読者の誤解を招くという、多大な犠牲を伴ったのである。」(p58)とのこと。

 その上で、『政治神学』の通俗的な読解を、初版と第二版の異同を精緻に分析しながら批判しているのは見事と言わざるを得ない。例えば、多くの論者がシュミットを決断主義者とみなす根拠として『政治神学』第二版における次の著述を示す。

 「まさに具体的生の哲学と名のつくものこそ、例外と極端なケースを前にしりごみすることは許されず、それらに最大限の関心を寄せねばならぬはずである。この種の哲学にとっては例外は原則より重要でありうる。これは逆説的なロマンティク流イロニーからくるのではなく、全く真剣な洞察に、平均的に反復される事象を一般化した平明な命題よりも深くを見通す洞察に基づくのである。ノルマールなものは何も証明しないが、例外はすべてを証明する。例外はルールを確証するばかりでない。ルールはそもそも例外から生命を得ているのだ。例外のかたちをとって、現実の生の作用が、反復で硬直した機械的な外殻を突破する」(訳文は和仁によるもの)

 これがまさにシュミットが例外を重視するステートメントではないか、というのだが、実際にはこの著述はエーリヒ・カウフマンの立場を敷衍したものであることを和仁は指摘する。第二版でナチへの迎合のために、ユダヤ人法学者カウフマンへの初版での言及を機械的に削除した結果、この論述が浮く形となり、カウフマンの立場がシュミットの立場と取り違えられたのだと和仁は指摘する(これを和仁はシュミットの反ユダヤ主義的迎合に対する「全くの詩的正義、より俗な表現を用いれば自業自得である」とするが、他方第二版の著述だけで性急な解釈をした論者にも「まさにgerade」が出てくるのをおかしいと思わないのかと手厳しい(p60註111)。)。

 他にも一応この記述を、というのは以下に書き留めておきたい。

 「国家と個人をめぐるシュミットの基本的な歴史展望は、次のようなものである。すなわち、封建的な中間権力を排除して成立した近世の絶対主義国家こそが、近代的個人の置かれた条件を作出した/そして、この点では、フランス革命は絶対主義国家を前提し、それを継承発展させている/ところが、階級対立の激化を契機に国家内にあらたに強力な団体が形成されたことにより、現代ではこの国家と個人とを直接的に対立させる主権国家の秩序は崩壊しつつある」(p48、これはシュミットの『独裁』において明瞭になったと書いてあったがそこまで読み取れなかったポヨ~)

 (クロコウの決断主義テーゼを批判し、シュミットにおける「決断」の主体が「非制度的な経験的個人」ではなく「特殊な意味での公的な存在」であることを指摘しつつ、)「シュミットにおいて、一箇の、アムトや制度と全然関係ない人間の下す決断の概念があらわれるのは、ヴェーバーの影響が想定されるPolitische Romantikのみといってよい。個人が自らを道徳的なり宗教的なりに正当と恃んで、「勝手に」ばらばらの決断をすることが、まさにシュミットの意味の(制度的)「決断」を要請するのである。」(p58註104)

 

【動画】

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 こういうの見て「俺にはないもの……」って言いながら奥歯噛みしめてます。俺の日常はいつだってどす黒い狂気に犯されているので。でもなんか時たまメンバー間の会話が拾われたり拾われなかったりしているところを見て「アッ」ってなっちゃうの、俺が人間の邪悪さの探求者だからと思う。

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 これは静謐な気持ちになって見てください。とても穏やかな気持ちになれる。呪術廻戦の公式ノベライズで真人が魂に全く代謝を魅せないホームレスに出会って「アンタみたいな奴ばっかりだったら俺は生まれなかったのにな」っていう気持ちになる奴!

 

【雑感】

 読書する時に、iPad Airに以下のCombo TouchというものをつけてノートPCライクに運用しているのですがメチャクチャ捗る。

 

 

 このブログ書くときに一番嫌なのが本をまとめ直す作業なのですが、これを読みながら同時並行でスムーズにできるので心理的な負担軽減が凄い。あと読んでから時間経って読み直すとそれに同じぐらい時間がかかって効率が悪すぎるので、1章単位で読んだらまとめるみたいなフローがちょうどいいっぽい。今回みたいに学びが深すぎる本は結構力入れてやっていいと思うのですが、まあ普通の本はもっと軽くやろうかなと。塩梅が難しいわね。