死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

全てのコンテンツは終わる

 ツイッターとグループラインを見るのを辞めて感情に落ち着きを取り戻す営みを始めた。ブログもちょっとお休みしようかと一時期閉鎖したが、考えてみればブログはただひたすらキモ自我こじらせインセル丸が無限にブツブツ呟くソリロキアスタイルだから閉鎖する必要なくない?と思い再開することにした。

 

 ツイッターもラインも辞めて、友人たちの羨ましい近況とかインターネットの不毛な争いとか二次元の女の画像共有とか諸々見ないとやはりある程度落ち着くことがわかってきた。こうやって考えると如何にSNSに呪われていたことか。ツイッターとかはやはり未来永劫やらないのが正解な気がしてきた。

 

 しかし、それでも生活は普通にしているわけで、土曜に職場出勤して仕事をしたり、日曜は久しぶりに高校の同期3人と酒を飲んでいた。まあみんなそれなりに普通の暮らしをしているようだったので特筆すべきことはなかったと思う。

 

 いや、ひとつあった。きったねえデブ(なお俺も同族)のアイドルオタクの同級生がいて、そいつは高校の頃からAKBが好きすぎていた。ちなみに脱線するが、AKBオタみたいなのは同級生に結構いて、しかも医学部進学のための特待コースの連中が多く、そいつらだけが使える勉強用の教室でAKBのDVDとか見て怒られたりしていた。握手会とか総選挙のためにCDを買いまくる行いに対して、今も昔もニヒル気取りの俺はバカだなこいつらとしか思わなかった。

 

 ともかく、そんなオタクの中で横山由依単推しだったそのデブが、最近というかだいぶ前に乃木坂46に鞍替えしたと聞いてメチャクチャ驚いたのである。以下、その時の会話である。

 

 俺「エーッ、昔乃木坂ができた時は断然AKBの側に立って唾吐いてた側ですよね? 顔面以外アバズレとか言ってたやんけ!」

 デブ「いやそうなんだけどさ……人の好みって変わるじゃん?」

 俺「誰推し?」

 デブ「箱推し!でも強いて言うならあしゅとか与田かな……」 

 俺「齋藤飛鳥与田祐希?お前マウスコンピューターのCMから入ったんか?」

 友人A「何でお前詳しいねんwお前が三次元の女に関心持ってるのキモすぎるわw」

 俺「いやまあ前職で知り合った人がファンやってん話合わせるために多少は知識拾ってんのよ……いやしかし何故乃木坂?」

 デブ「何かグループの雰囲気が和気藹々としてて、SHOWROOMとかでの絡みとか見てて微笑ましくて俺パパになってるような気分に……(ここから先は愚論を並べ立てているだけだったので割愛)」

 

 まあ、本当に気持ち悪い会話をしていた。周りの客には申し訳ないと思っている。まだバビヤールの虐殺の話とかしてた方がよかったね。

 

 それで、帰りの電車の中でYoutubeで乃木坂の動画を見させられた。最近は二次元の女画像ですら出来る限り避けている俺が、三次元の女の絡みを見せられても当然「ウェ」としか思わないわけだが、そのデブはとても楽しそうにしていた。が、動画が終わった後に一転して悲しそうな表情で「アイドルオタクはいつか迎える『終わり』に怯えながら生きてるという意味で、他の人間と比べて人生の重さが違う」とか言っててやっぱこいつ殺した方がいいなと思ったわけだが。

 

 別にアイドルに限らず、どんなコンテンツも終わりが来る。この当たり前のことが極度に早いサイクルで行われているのがアイドルなだけでは???と思うわけだが、かといって「終わり」に備えられる人間というのは存外少ないのではないか。頭では理解しても受け入れられない、受け入れたくないという気持ちがあるというのは一定程度わかる。しかしアイドルだって人間だし、辞めたいと思うこともあれば自由に生きたいという気持ちもあるわけで、それをオタクの感情を慮って続けさせるのは人道的にどうなのというリベラルな感想が頭の中をよぎる。今の議論には全てのコンテンツが代入可能だ。そういう意味で、過ぎた感情で傷つくのはいやだなーと思った次第である。

 

 しかし、他人がドン引くレベルでコンテンツに対して「好き」を覚えた経験を最近しただろうか。多分してないし、今後もしない気がする。人生の砂漠化はとっくの昔に始まっているし、もはや止める術はないのだ。まとまりのない独白をこれ以上続けても詮ないことなので、不定期に適当に更新しますと約束だけして今回はここで終わりにする。