死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240116

 『ホグワーツ・レガシー』全クリ部です。面白かった~! しかしアバダケダブラをハリー同様反対呪文的に防げるの設定崩壊過ぎるやろ。古代魔法……ってコト!?

 ゲーム性はかなり高く、また原作設定にも忠実でよかったですね(ビンズ先生とかほとんど首なしニックとかピープスに会えたのはよい、あと灰色のレディに偶然遭遇した時は「おおっ!」となった。)。ストーリーに絡んでくるキャラクターがポリコレ対策みたいな黒人少女(グリフィンドール)、LGBTPZNの「Z」のガイキチ女(ハッフルパフ)、許されざる呪文をかけるのもかけられるのもOKなシスコンバカ兄貴(スリザリン)と軒並み狂っているのもよかったですね。こいつらのサブクエをクリアするとホグワーツ近辺の闇の魔法使い8割壊滅させられるのヤバすぎるやろ。闇祓い仕事せえや。そのエキセントリックなホグワーツ生たちと比べると敵役の薄さが気になるところでしたが……。とにかく、オープンワールドでウィザーディングワールドを旅できるといういっちゃんの魅力を余すことなく再現しているのはよかった。正直DLCがないのがメチャクチャ惜しい。続編では闇祓いか闇の魔法使いになるかどっちかの展開があるような奴にしてほしい。

 

【労働】

 特になし。最近はかったりいなと思うことがあったらぶらぶら社内を散歩して深呼吸して気持ちを整えている。これでだいぶマシになったかもしれない。

 

【ニュース】

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 いやあんたはもちろん謝らなきゃいけなくて、それはあんたがそういう発言をしたまま議員の座に居座っているということが、この国が人権後進国家であることを鼓吹しているようなもんで、普通に国家の価値を毀損していることに思いが至らないというのはステイツマンとしては失格なのではないか。もっともその意味でのステイツマン(もちろん藤田省三的な意味で言っています)というのが現代の議会に存在するのかはさておき……。

 人権侵害の手続上確かに杉田の主張通り、申立人に対する人権侵害であるという話になるのだが、そもそもアイヌ民族在日朝鮮人への「差別的言動」を公人が弄することが問題なのであって、そこを法手続上の問題に矮小化しているのは詐欺的だと思う。「傷ついている人がいないのであれば」というのは想像力としてもお粗末であることを露呈している。というかお前は不特定多数の代表なのだから常に不特定多数に向かって語りを発出しているのであって、「傷ついている人はいません」なんて軽々に発信できるのは端的に議会政治家としても失格ではないか。ヘイトをやるんだったら俺みたいに殺される覚悟を持ってやってほしい。俺はいつか女に殺されてもええと思って生きてるわ。羊水下水おばさんこと杉田水脈と一戦交えたいンゴねえ。

 

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 個人的には武器輸出には賛成というか、どうせたくさん兵器を買っているので売り始めたところで道徳的なレベルはあんまり変わらんのではないかと思っている。

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 一気飲みってよく考えると凄いことだなと思う。ヤクルト1000とかウォッカならまだしも、最近ものを一気に飲み干すことができない気がする。

 

【読書】

 小谷賢『日本インテリジェンス史』(中公新書)を読みました(読んだのは昨日ですがまとめたのは今日)。戦後日本におけるインテリジェンス・コミュニティの発展の歴史を、警察インテリジェンスや彼らが主要ポストを占める内閣情報調査室によるけん引という形で整理しつつ、公安調査庁や国際情報統括官組織、防衛相情報本部や自衛隊の別班・別室などにも目配せしながら手際よく整理された本。シギント関連の記述もきちんとあります。英米ではクリストファー・アンドリューなんかが数百ページのクソデカ大著で書くようなテーマを、新書で読めるというのは凄いことだなあと、改めてわが国の知的アクセシビリティのよさを感じた次第。そういや類書のサミュエルズ『特務』も昔読んだのですが、何かメチャクチャ読みにくかった記憶しかないけどまた引っ張り出して読もうかな。

 大要は著者のまとめを借りると次のとおり。

 「終戦直後からのインテリジェンス・コミュニティの歴史を振り返ると、終戦直後に立ち上がった小規模な組織は、まず米国に依拠することによって存続し、その後、吉田政権時代に欧米に準ずるような中央情報機関を立ち上げようとするも、その試みは頓挫した。その結果、権限の弱い内調と小規模な組織が各省庁に分立したのである。内調は自ら対外情報を収集することも、インテリジェンス・コミュニティを取りまとめることもできなかったし、各省庁の情報組織は自分たちの組織内で完結するような縦割りの情報運用を行っていたため、それぞれがコミュニティに所属しているという自覚はなかった。

 冷戦が終結すると、日本はようやく外交・安全保障分野で自立することを求められ、各省庁は縦割りのわだかまりを超えて、国家インテリジェンスのための活動を意識するようになった。そこには日本を取り巻く国際環境の激変と、それに危機を感じた政治家や世論の後押しもあった。そしてその原動力を得て、各省庁の細分化された組織は改変・統合され、中央情報機関である内調の権限も強化することで、内閣官房を中心としたインテリジェンス・コミュニティが形成されていった。

 そして官邸やNSC/NSSの情報要求に応えるために、組織間の協力も進んだ。おおむね向かう方向は、外交・安全保障や危機管理のために、国家レベルでインテリジェンスを運用するというもので、今後もインテリジェンス・コミュニティの一体性というものが重視されていくものと予想される。ただし省庁間の縦割りや縄張り争いが完全に克服されたとはいいがたく、時としてそれが顕在化することもある。」(pp241-2)

  元々旧軍人によるGHQへの情報協力から始まり、アメリカの下請け的なところを乗り越え、独自の情報を国家政策のために役立てられるようになるまで、75年の歩みが必要だった。著者が重視している点はいくつかある。まず第一に政治的には困難とされてきた秘密保全法制(特定秘密保護法)の整備であり、これは①秘密適用の介錯が際限なく拡大する「実質秘」を基準を設ける「形式秘」へ決定的に転換したこと、②従来であれば漏洩の罰則規定が異なっていた防衛機密や外交機密などを「特定秘密」として一元化することによって省庁間での情報共有ハードルが低くなった③外国情報機関から情報提供を受けやすくなったといったポジティブな点を評価する。また、NSCと事務局のNSSという情報機関にとっての「顧客」が国家の政策企画に必要な情報要求を行うことで、単なる情報共有で行き当たりばったりだったコミュニティの連絡会議が意味あるものになったという点も面白い。

 この発展の原動力になったのは、著者は機構的には警察であったとみる。次の記述は誠に興味深い。

 「またこの時期の日本のインテリジェンス・コミュニティは警察の影響力が強くなり、他省庁から見れば「警察がインテリジェンスを独占した」とも映る。しかしこれは戦後の平和主義による軍事部門の極小化と、冷戦という特殊な環境の影響が大きい。冷戦時代に求められた情報は主に国内の治安情報であり、ここでは公安警察公安調査庁が活躍した。また実践を経験することがなかった自衛隊に対して、警察は国内での実戦のため、組織的にインテリジェンスの人員を育成していたことも大きい。内閣情報調査室は法令によってどの省庁と定められているわけではないが、結局、適任者を送り込めるのが警察しかなかったのだ。

 結果的に、日本のインテリジェンス・コミュニティに統合力を与えたのは、警察であったとも評価できる。警察は各省庁の情報部門に自ら要員を送り込むことで、ややもすれば四散しそうなコミュニティを何とか取りまとめ、それを次の時代に繋げたとも解釈できよう。」(p129)

 これは、現代的には内閣情報官や内調幹部が現在も警察指定枠になっていることや、日本初の対外情報機関の萌芽形態と目されるCTU-J(国際テロ情報収集ユニット)が外務省に設置されているにもかかわらず内調や警察出向者が実質運営しているという点などでも顕著である(この主導権争いをめぐって外務省と警察がやり合ったのは有名)。

 著者がインテリジェンス・コミュニティ推進の重要な駆動力として指摘するのに政官の関係がある。吉田茂が情報機関構想を明確に持ち、緒方竹虎がそれを積極的に具体化しようとし、警察官僚の村井順が汗をかくという、政官の協力図式が戦後直後はあったが、それが再び生じたのが、安倍晋三と北村滋の関係だというのはなるほどと思った。もちろんその前史には、日本の情報機関を一人前にしようとした町村信孝の功績があるわけだが。

 脱線的にはなるが、公安調査庁の発展の歴史が素描されていて興味深い。元々はソ連からの引き揚げされた人員への聞き取りから活動が始まった公調は米国依存だったが、東京五輪を利用したスパイ活動の徹底監視で得た情報が糧となって独自に活動できるようになったという。しかし、有力な政治的庇護者がいなかったため、公調が幾重にも課せられている軛(外交情報一元化原則を盾にする外務省、業務丸被りの公安警察、そして検察キャリアとの関係など)を脱して有力な情報機関に成長しきれなかったことが指摘される。ただし、現在はオウムや破防法団体のほかに、経済安全保障などに力点を置いているので、そこで脱皮できるかどうかという点が今後の論点になっていくのだろう。

 そして、著者の言うとおり、情報機関職員の分析能力を底上げしていくことが今後重要になるだろう。