死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240115

【労働】

 今日も大したことはしなかったな。最近もうこんぐらい楽に生きられるならちょうどいいんではと思い始めてきた。もちろんいろいろと精神的に辛いところもなきにしもあらずだが、仕事忙しかった時のストレスと比較するとまあ……とは思う。人生をダウンサイジングしていきましょう。

 

【ニュース】

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 AIの創造的誤訳でトラブルになる世界が、見た~い!

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 道徳では勝ってるからヘーキヘーキ(何故ならドイツはナチスの罪のせいで道徳デバフがアホほどかかっているので)

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 これは有益な記事でしたね。アルカイダを引き渡せ理論と同じで日本もフィリピンとか空爆したらええんちゃうか。

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 2歳以下の女児に性的暴行という表現強すぎる……。乳児施設を肉TENGAの展示場としか捉えてなかった感じがする。まだまだ世界の残酷さというのは底が知れなくて恐ろしいでござあますわね。

 

【読書】

 蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書)を読了。実は発売当時に既に買って読んだのだが、おさらいも兼ねて読みました。もちろん読んだことだいたい忘れているおじさんなのでほぼ初読みたいなもんや。

 ワイマール期ドイツの政治思想史研究者である著者によって、「honorable enemy(バーリンが丸山に語ったとされるシュミット評)」シュミットの広範な業績を手堅く紹介されていてとても有益。『崩壊の経験』の姉妹本みたいな位置付けなのかなと。

 前期(ナチス加入期まで)から後期(ナチスでの影響力を失った時から)への変遷の特徴を著者は次のように捉える。「前期シュミットにおいては、理論的構築性、組織性、計画性、決断主義といった特性がはっきりと優位に立っていた。制度化される以前の具体的現実に注目する場合でも、これらの特性により、とりわけ主権者の決断によって安定的秩序が形成されるという構図になっていた。これに対し後期シュミットになると、理論や組織、計画、権力、および決断など、前期シュミットが重視していた諸特性による統制の及ばない問題領域への関心が目覚め、ときには秩序形成におけるそれらの問題領域の役割を積極的に評価するよう新しい傾向が生まれてくる。」(p12)。こういう整理から見ると、『政治的なものの概念』や『政治神学』のプロジェクトから、『リヴァイアサン』『陸と海と』『大地のノモス』に至るまでのシュミットの知的遍歴が、議論の力点は往々にして変わりつつも一貫して秩序構想という点にあることがわかる。

 また、著者は初期〜後期に通じるシュミットの思考の特徴として「論的の批判には鋭いものがあったが、それに代わる対案をはっきりと示せない」(p255)という重要な点を指摘している。これは本当に尤もで、シュミットの思考の鮮やかさと批判の鋭利さは欺瞞を撃つみたいなスタンスだと使いやすいのだが、建設的な議論にはおよそ向かない気がする。

 カトリックの中下層レベルの出身者として常にドイツのプロテスタント教養市民層とのアウトサイダー的な関係に立たざるを得なかったシュミットによるそれらの市民文化の批判を行っているという指摘は、和仁陽とも通じるところがある。尤も、和仁はあくまでローマ=カトリック(とフランス絶対主義)を祖型とする決断主義的な制度構造にシュミットが着目していたと見ているが、蔭山はあくまで決断主義的主権者の存在(その恣意的な決定可能性)に重きを置いた分析を試みており、このあたりは法思想史と政治思想史のディシプリンの違いなのかしらと邪推を働かせることもできる。

 シュミットの難解な著作を新書のボリュームである程度わかりやすく説明してくれている点で、本書はシュミットの一般的概説としては今後のスタンダードであるような気がする。シュミットを読みながら迷子になりがちな俺みたいな人間は手元に置いておくと有益なのかなと。ドイツ近現代の思想史への目配せもよくなされており、政治思想史の本としても読めると思います。

 以下、引用を留めておきます。

 「シュミットの政治理論には、「組織として確立していない政治現象」に優位が与えられており、「制度化されていないもの、まだ体制化されていないもの」への熱烈な関心が見られる。与党や改良主義的政党、そしてその背後にいる社会的勢力は、制度的現実や制度論的思考に親縁性をもつのに対し、制度の恩恵を与えられることの少ない左右の急進主義政党やその背後にいる社会的勢力は、具体的現実や具体的思考に親縁性をもつ。シュミットの理論が右翼急進主義勢力だけでなく、左翼急進主義勢力にも注目されている根本的理由はここにある。(中略)たかが「具体的」という言葉と、軽視してはならない。社会学カール・マンハイム(1893-1947)は、「「具体的」という概念の意味変化のなかには、ある意味で19世紀および20世紀の全社会史が反映している」(『保守主義的思考』)という衝撃的な言葉を記している。「絶対主義」や「自由主義」、あるいは「ファシズム」といった誰もが認める学問的な鍵概念だけではなく、「具体的」のようなありふれた日常語のなかに、「19世紀と20世紀の社会史」のすべてが映し出されている。例えば、子ども、ピアノ、疲労など何でもいいが、それが日常的な言葉であっても、読み込み方次第で、そこから現実なり歴史の重要な断面がみえてくる、という社会史や精神史の方法が、ここでさりげなく語られている。本書もこの方法を念頭におきながら、具体的現実や具体的思考、つまり「具体的」という日常語を手がかりに、シュミットの政治思想に基本的性格をおさえておきたい。」(pp29−30)

 「「政治のない世界」のキーワードが「興味」あるいは「興味深い」であるとすれば、「政治の世界」のキーワードは「真剣さ」だった。そうして真剣さを担保するのは生命が賭けられているということ、時に生命の犠牲を要求されることがあるという事実に由来する緊張感系だった。」(p56)

 「…一般には思想の「精神的基礎」を、ここでは自由主義思想の「精神的核心」、つまり自由主義だけに固有な考えを問うシュミット的な思考方法は、一面で、問題の核心をつくのに適しており、「鋭い」議論になっているのはまちがいない。しかし他面で、そのような思考方法によると、自由主義以外の思想とも結びつくような構成要素は、自由主義「それ自体」ではない、自由主義のみに固有の要素ではないという理由で、自由主義論からは排除され、それらが排除されてしまう分だけ、かれの言う自由主義は実質的な内容を失い、形式化された思想になってしまう。対象そのものの「基礎」に、その一点だけに関心を集中するシュミットの思考様式の問題点はここにある。」(pp78-9)

 「権力掌握のための「平等のチャンス」は憲法の正統性を承認し、その基本原則に従う場合にのみ与えられる。例えば、ワイマール憲法戦勝国から押しつけられたものであるとみなし、その正統性を否認したり、そこで規定された基本的人権を否定する集団にまで平等なチャンスは与えられない。それにもかかわらず、あらゆる主張内容を許容し「平等なチャンス」を与えるようなワイマール憲法自由主義的議会主義は自己否定に陥る危険性がある、とシュミットは警告する。」(p137、これは『ドイツ連邦主義の崩壊と再建』でも指摘されていた、ボン基本法にも受け継がれるヴァイマル的教訓ですね。)

 「シュミットの理論の鋭さと迫力は、その多くを例外状況の方法に負っている。「主権者とは例外状況に置いて決断をする者である」とシュミットが言う場合、極限状態と決断する状況は同じようにみえるかもしれないが、実は大きく異なっている。極限状況がどんな状況であるかは原理的に学問的に規定できる現実の状況である。決断する上古湯はあくまで極限的な現実の状況であるという意味では、両者の間に違いはない。しかし決断する状況において重要なのは、決断する主体にとっての状況であり、「例外」においては、科学的な状況認識や倫理的価値判断といった、およそ決断の根拠とされるようなものがすべて無力か史消え去ってしまう瞬間、つまり、あらゆる制約から解放された瞬間において決断がなされる。

 しかし現実世界において生きると言うことは、制約されて生きると言うことであり、人間としての能力や人間関係など、諸々の制約のもとでしかわれわれは生きられない。決断が下される例外状況に置いては、決断する主体にとって現実は制約とならず、現実としては消去されている。一方において西欧的な普遍主義であれ、世界革命の共産主義であれ、あれほど普遍主義的思考様式を嫌悪し、個別的なもの、具体的な場所に定着すること、すなわち「場所確定」を重視したシュミットではあるが、他方では例外の方法を重視することによって、つねに最終的場面では「現実」が消去され、確定された場所も消去されることになってしまうという根本的な矛盾を、おのれの思考のなかに抱え込んでいた。」(pp252-3)