死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

使用人を雇った

 タイトルの通りだ。先週月曜日から使用人を1人雇った。家事全般をやってくれている。料理、皿洗い、洗濯、掃除、ゴミ出し、風呂沸かし……。使用人には住み込みで、食事代などの滞在費用+生活費をこちらが出す。滞在期間は2週間ほど。そんな感じでやっている。

 

 この生活を続けてそろそろ1週間になるが、いろいろ感じてきたことがある。この土曜日は使用人が家を空けているので、それを好都合に少し書いてみようと思う。

 

 まず、これは「生活費を稼ぐ人」と「家を守る人」という役割を持った人が共同生活する古典的な役割的結婚生活に近いということだ。どっちも男同士、しかも使用人はシスヘテロで俺はAセクシャルなので結婚でも何でもないのだが(しかし偽装結婚も結婚の一つの形である、あれを偽装などと言うのは失礼千万な話ではないか)、しかしその生活構造は極めて近似している。俺が朝から晩まで働いて、家に帰ると風呂が沸き、飯が作られている。俺は風呂に入ってから飯を2人で食べ、そして寝るまでの時間を酒を飲みながら共に過ごす。大体こんな感じで過ごしている。

 

 この生活のメリットは俺が生活にかけるコストが極度に減少したことが第一にあげられる。要は、俺は家に帰ってくるだけでいい。使用人がやっている「生活」に俺が身を任せればいいだけなのだ。家に帰ってから「生活」を始めるのは大変だ。以下に示してみよう。

 

 今までの独り身生活だったら、まず飯は外で適当に食ってくる。その店を探すのが大変だったりする。地方だと店が閉まるのが早く、そうなると飲み屋で飯を食うかファストフード店に頼るしかない。飲み屋だとだらだらとタバコを吸いながら時間を潰してしまいがちだ。飯を食って家に帰ったらまずシャワーを浴びる。風呂に水を入れるのはだいたい週に1回だ、何故なら風呂を洗うのがめんどくさい。結局カラスの行水で終わる。洗濯物をする、掃除をする。これらは大体後回しになる。そうして疲れ切った身体で何をするでもなく、適当にYoutubeの動画を見て寝て終わる。

 

 ところが、これが今では、俺が家に帰ってくるとまずあったかい風呂が沸いている。俺はまず風呂に入って、しばし今日一日を回想する。大体仕事がダメだったということと上司の悪口をリピートする感じだが。風呂から上がっているとご飯ができている。それをもぐもぐと食べる。酒も一緒に飲む。いい気持ちになった後、今度は食後酒を飲む。あとはアニメやらテレビ番組やらをみてだらだらと午前1時まで過ごす。どっちの生活がいいだろうか?

 

 それと、やはり家に誰かがいると安心する。俺も大学卒業までは実家暮らし。家に帰ると両親がいた。遅い時間に帰ってきても、両親が寝ている家と、誰もいない冷えた1LDKでは訳が違う。それに会話ができる。使用人と俺は年来から交友があるので、そこらへんは好都合だ。変なジョークとか変な話をしている。たまにアニメやら落語やらを見ている。どうせ家に帰っても一人でYoutube見るか何かしてるだけなので、こういう時間の潰し方をしてもいいだろう。ただ、今週は昨日まで1ページも読書はしていない。今日慌ててジュンク堂に行って文庫本を買い求め、喫茶店で読んでいたぐらいか(そういえば喫茶店の隣でベレー帽被った姉ちゃんがInDesignで同人誌か何か作ってた、絵柄はメッチャよかった)。

 

 使用人の方も生活に満足しているようだ。俺も今週後半から仕事が若干緩くなったので(それでも急に忙しくなったりはしたが)、昼飯とかは使用人を連れてどこかで食っている。そういう時も全部費用はこちらで出す。使用人にしてみれば普段からしている生活に俺の必要分を加えるだけだし、それで三食ついて酒も飲めるから満足ということなのだろう。俺が仕事をしている間は、論理学をやるか寝るかしているそうだ。この前はおじゃる丸忍たま乱太郎を見ていた。半分ぐらい専業主夫みたいなものだ。

 

 今のところ生活に不満はない。むしろいいくらいだ。今までだと週休2日もらっても働いた分の疲れがたまってなかなかうまく動けないことが多かった。ところが、今日は不思議と身体が軽い。なので午前中使用人がイベントに出ていったので、こちらも外に出て散歩したり、適当に本屋を覗いたり、そして本を読んだりしていた。概ねよい休日を過ごしたと言えるだろう。

 

 人間は一人でも生きていける。昔の俺はそう信じていた。思えばハンナ・アーレントが『人間の条件』に書いた「飯は誰か一緒に食った方が美味い」という言葉に過度に反発し、彼女を生涯の思想上の敵だと定めたこともあった。だが、それはある程度生活も自由も守られていた段階での想念に過ぎなかったと思う。今や生活はボロボロ、仕事も破滅的、自由は限られている。そんな時に誰かの助けを乞うこと、これがどん底の脱出の最適解なのかもしれない。まあ、俺は一生を独り身で過ごすつもりなので、シェアハウスか雇用契約でもなければこの生活を持続させることは不可能なのだが。

 

 つまりですね俺が言いたいのは、逃げるは恥だが役に立つというアレのアレには一面の真理があるのではないか、ということでした。