死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

読書・記憶・メモ書き――ここ2週間の体験をもとに

 さて、今月からこの死にかけていたブログに対して真剣に向き合おうかなと思った次第です。何故かって? ゴーストリコンブレイクポイントをクリアする前に飽きたからだよ!!!!(オープンワールドゲームでメインクエストそっちのけでやってたらクリアする前にお使いゲーに耐えられなくなって投げる奴もう10本ぐらいやってる。特にUBIテメェだよ)。

 

 事の始まりはこうだ。前の記事でも書いたがヘロドトスの『歴史』を読破した関係で、じゃあトゥキュディデスの『戦史』を読み始めるかと思い、3月の中旬から少しずつ岩波文庫版を通勤時間を使って読み始めていた。

 

 ここでヘロドトスもびっくりの脱線をやります。朝の通勤時間は満員電車なのだが、割といい定位置を確保しているので、基本的にはほとんど読書できている。退勤時間はだいたい定時だが、俺は労働不適合者なのでグッタリしているので座ると寝てしまうことも多い。立っているとだいたい本を開く(ただ朝よりも記憶に定着している感じはしない。多分頭が疲れているからだろう)。で、家に帰って気が向いたらページを捲るが、そうでない時はYoutubeかゲームをやる。まあそんな感じで暮らしていた。

 

 ところが、諸事情で別の本を読む必要が出てきて、一旦トゥキュディデスを第1巻まで読んだところで中断した(上巻の200頁ぐらい)。それでその本と苦闘しつつ何とかタスクを終わらせ、さて今日から『戦史』の第2巻、即ち「ペロポネソス戦争、はっじまるよ~!」のところから読むかと思ったが、魔が差して最初のところから読み始めた。周知のとおり、岩波文庫版の上巻は訳者である久保正彰の解題から始まる。トゥキュディデスの一族はトラキアに金鉱を持っている太実家の生まれで、ペリクレスべた褒めのくせに実は民主派とは反対党派に属していて……みたいな話を読んでいて「へえそうだったのかあ……」と思いふと気づいた。

 

 あれ、これ2週間前に読んでるのになーんにも覚えてねえ!!!!!

 

 その時のビビりようといったらない。思い出すというよりも、初めて読んだなという感覚である。嘘だろと思いながら解題を読み終え、第1巻へと進む。海軍大好きオタクトゥキュディデスがペロポネソス戦争前の歴史を振り返るいわゆる「考古学」のところで、ホメロスの記述の雑解釈でトロイア戦争の規模大したことなくねえ?みたいなことを言ったり、戦いは(船の)数だよ兄貴!みたいな言説だったりとか、「ほへえ」と思いつつもこれまでにそうした記述に出会ったという記憶の引っかかりすらなかった。

 

 断っておくと、そもそも『戦史』を初めて読んだのは大学1年生の夏ごろである。もはや7年も前のことなので、2週間前に読んだ時に「ああ読んだ記憶ねえな、まあ仕方ないわな……」と思いながら読み進めていたが、その2週間前の記憶すらまっさらだったらそりゃもう1週間フレンズよ。どういうことやねん。

 

 もちろん、有名なメロス島の対話、ミュティレネ処罰の議論、そしてスパルタのアテナイへの恐怖が戦争の要因であるという「トゥキュディデスの罠」みたいな話は7年経ってもかなり鮮明に覚えている(まあそれは割と政治思想史とか国際政治の話いろんなところで触れる機会があったからだろう)。それにアテナイを襲った疫病の話なんか、今のご時世にぴったりだろうっていう程度には覚えている。そういうトピックごとの記憶は多少あるが、それ以外の記憶が急速に素早く消えているのだ。

 

 それで言えば、ヘロドトスの『歴史』でさえもあまり覚えてないことが多い。ミイラ職人が高貴な女性の死体を犯しがちなのでそういう死体はちょっと経ってから引き渡すとか、コリントスの僭主ペリアンドロスが奥さんを死姦したら枕元に奥さんが「冷たいかまどにパンを入れた」とか言い出すとか、「尊敬する人物 ヒトラー(虐殺はno)」と額に書き入れているタイプの陰キャが大好きな話は結構覚えている(今この話で調べると南方熊楠の「屍愛について」という論考がヒットしてまんま同じ話を引用していた。最高かよ!!!)。だが、じゃあサモスの僭主ポリュクラテスが実際にどうしたとか、テミストクレスがどんな戦術でペルシア人を困らせたのか、ぼんやりと覚えているが、そういう奇譚と同じぐらいの記憶力はあまりないのが正直なところである。

 

 流石にこの状況はか~な~り~まずいなと思い始めている。よく読書家は「一回目読むのと二回目読むのでは読後感が全然違うよねー」とのたまっているが、俺の場合は永遠に「一回目」をやることになりかねない。俺の脳だけ永劫回帰の呪いがかけられているのだろうか。単純に記憶力が低下しているのもあるが、恐らく「そろそろ人生も終わりに近づいてきたし古典を読まなきゃ……」みたいな義務感で岩波文庫をひっつかんでいるからあまりやる気が出てない部分もあるのかもしれない。

 

 しかし、それでは通勤時間に岩波文庫を開いているイキり散らすこと桜の如しという安倍昭恵好みのサラリーマンだし死んだ近畿財務局職員も浮かばれねえということで、メモを取り始めた。セブンイレブンのあのデスノートみたいな黒い表紙のちっちゃいノートをジャケットの胸ポケットに入れて、そこに面白いなと思ったところのページ数と行数を書いたり、一応簡単にまとめみたいなのを書き留めたりしている。ひと段落したら、これをパソコンで転写する作業に着手する予定だ。もうこうなると記憶の外部化を無理やりにでも押し進めるしかないのである。それに、こういう所作、読書をしている際に能動的に身体を動かすことが、少しでも記憶にいい作用を与えてくれると信じている。読書スピードは著しく遅くなるが、まあそれは仕方ないかなと思う。世界の本をどれだけ沢山読むかというより、この人生という壮大なロスタイムにどれだけ本を挿し込めるかということだろう。またこのことについては記事にしていきたい。