死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

相棒season19元旦スペシャルについて

 いやあ、よかったですね。ここ4,5年の中ではかなりよかったのではないかと思います。今日も酔っ払っているので後で書き直すかもしれない。

 

 筋書そのものはよくある話でしかないのでHPを見てください。(https://www.tv-asahi.co.jp/aibou/story/0011/)。それこそアンティゴネー的、あまりにアンティゴネー的な展開と言ってもいいかもしれない。つまり、二項対立が劇的に緊張する瞬間の提示であり、それを日本社会において繰り返されてきた「少年犯罪」に関する議論という鋳型に嵌め込んだだけである。しかしこのスペシャル回はその程度では約言できない素晴らしさがあることも事実で、それはやはり「杉下右京」と「それ以外」というこのドラマに特徴的な二項対立の劇的な瞬間を久しぶりに見せつけられたような気がしたからである。

 

 杉下右京は「絶対的な正しさ*1」を突き進む。杉下右京はそれが復讐であっても、加害者に対する私刑を認めないし、犯罪者を裁判なしに処断することを忌避する。今回のストーリーでは「罪を憎んで人を憎まず」「命の価値は等しい」といったものが、杉下右京の立つべき立場だったということになるだろう。

 ところが、その「正しさ」自体は常に疑いをかけられる理念であり、相棒とはその揺らぎを、杉下右京と対置する人物を通じて活写してきたドラマだ(官房長やダークナイトなど*2)。それは右京が提示するのとは別の形の正しさ、絶対的な正しさが取りこぼしてしまうことを救うために提示される形の正しさである。清濁を併せ吞むこと、法的手続きによって贖い切れない罪を犯した人物を野放しにしないこと。ある種の必要悪を要請する正しさであるが、「悪」の上に成り立つ正しさを杉下右京が許すことはない。杉下右京の正しさが「絶対的」なのは、そうした「悪」の否定に成り立っている。

 ところが、今回のストーリーのように、杉下右京自らが「正しい」と思ってやったことが最悪の帰結を招いたとしたらどうだろう。このことは、大沼の息子が行った「正しい」ことの帰結と、劇的なコントラストを生じさせる。大沼の息子もまた、クラスのいじめグループを注意するという「正しい」ことをやった結果、いじめグループの主犯格・柚木に銃を突きつけられ、その発砲が招いたガス爆発事故で死んでしまう。ストーリーの終盤、大沼が柚木に「お前が殺したようなもんだろうが!」と言うシーンは興味深い。柚木が外形的に「殺すぞ!」と言いつつも殺意がなかったことはドラマでは明白に描かれており、刑法的にこれが殺人ではないとは言える。しかし、柚木の「誤った」判断(大沼の息子を暴力で屈服させようとしたこと)と行動(上に向けて発砲したこと)によってガス爆発事故が発生した。杉下右京はそこに自らが「正しい」と言い張る判断(つまり、助かりそうな人を最初に助けること)と行動(柚木を先に助けて大沼の息子を後回しにしたこと)で大沼の息子は死ぬことになった。

 大沼の息子は、杉下右京やかつての大沼が信じていた「正しい」もののために死んだとすれば、その「正しさ」とやらに絶望する大沼の「誤った」判断と行動は、「誤っている」がために指弾できるものなのか。これは実は柚木にも当てはまる。柚木が掛け値なしのクズであることには見ている人の多くが同意するだろうが、彼は村木や北といった根っからの悪魔的な人物には程遠い。彼は「誤った」だけなのであれば、大沼によって処刑されるような人間なのか。

 杉下右京の答えは沈黙である。そして、杉下右京がもう一度命に関して「判断」を迫られた時、彼は自分を殺すべきだと言った。それは高邁な自己犠牲ではあっても、卑怯な答えでしかない。杉下右京を殺してもこの問題の解決には決してなりはしないのである。彼は自らの「正しさ」を掲げる代わりに、かといって大沼の復讐を正当化もせず、ただ自らの「誤り」の責任をとろうとしたわけだ*3

 さてどうなる……といったところで、デウス・エクス・マキナである冠城の介入によって大沼の犯行はすんでのところで阻止され、この問いを宙吊りにしたままドラマは幕を閉じる。復讐者である大沼に救いはない。いじめグループの主犯格であり特殊詐欺グループのリーダーである柚木に対する裁きは、一発の「流れ弾」でしかない(意図せざる行為とその帰結という意味では、劇としてはよくできた応報なのかもしれない)。後は相棒のお決まりのシーンに流れるだけである。

 

 相棒には後味の悪いストーリーはいくらでもある。このストーリーが提示したのはそうした後味の悪さというよりも、決定的な問いは宙吊りにせざるを得ないということの再確認であったように思う。杉下右京は今後も絶対的な正しさを掲げていく。その正しさは、腐敗した政治家や官僚、己の私利私欲のために他者を平気で侵害する身勝手な犯罪者を裁く剣としてはとても切れ味がよいものであり続けるだろう。しかし、その正しさについての問いが、今後もダモクレスの剣として彼の頭上で常に揺れている。いずれ剣が落ちる時、それが描かれるのはまだ遠い先の話かもしれない。だが、その剣を久々に劇的な形で可視化したという意味で、今回のストーリーはひとつのマイルストーンであるように感じました。まる。

 

*1:ここに括弧を付しているのは、もちろんそのようなものが存在すれば、という留保である。

*2:右京の理念と根本的に対立する「絶対的な悪」については、どうしてそうなったかのかという理由すら提示されないシリアルキラーの村木や快楽殺人鬼の北、狂気的な和合がおり、いずれも小日向文世野間口徹八嶋智人といった名バイプレイヤーが演じたおかげで作品としてはかなり素晴らしい出来ではあるが、相棒の主旋律ではないと個人的には思う

*3:森口瑤子演じるこてまりさんが、杉下右京が自分をすぐ助ける判断をしたとしたら「幻滅」したと言っているが、あれはまさしく視聴者的な目線であり、確かにあの場で杉下右京が柚木を見殺しにする判断をするはずがないというのはある種の「お約束」として予想されていたことではある