死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240318

【労働】

 やることねえので毎日キーボードをカタカタしている。やることはずーっとないわけで、そんな奴に給料払うのもちゃんちゃらおかしくねえか? 俺は「いる」料を毎月もらっているけど、普通にノーワークノーペイの原則とは、となってしまうねえ。

 一体全体どうしてこんなことになっても俺は「いさせてもらえる」のかと思ったのだが、結論として多分放置されているので「いさせてもらえる」というよりも「なんかいるけどまあいいや」の立ち位置なんですよね。これで仕事をくれると思うのが間違いなので認識を改めますです。

 いずれにせよ、俺という人間はもうこの職場にはいらないっぽい。そして俺も前職の狂った現場で脳がおかしくなった後に今の職場に拾ってもらったことはありがたいと思いつつも、その恩はいろいろな形で返し終えたと思うし、今抱えている辛さは普通に前職と同じくらいなので、一旦全ての関係を清算したいという素朴な気持ちが湧いてきました。書いているうちに諸々と悲しくなってきたし、普通に休職しようかな(最悪退職します)。まあ明日は諸事情で行かなきゃいけないけど、ちょっと所々休みを入れてゆっくりしようと思う。決めました、明日を乗り切ったら職場から距離を置きます。もうとことん嫌になった。

 

【ニュース】

「小泉さんより党をぶっ壊している」派閥なき自民、権力集中の未来図:朝日新聞デジタル

 これには我々もニッコリですね。とはいえ、この間の新聞報道でも解体されたはずの派閥幹部のクレジットでずっとコメントがのっけられているわけで。所詮何やらせてもダメなんですよこいつらは。

 しかし、シンボル的意味合いとしての派閥解散すらできないのかと呆れてしまう。こんな連中に国の舵取りを預けておこうと思うの、国民も自民党のDVで頭がおかしくなっちゃったんだなと諦めるしかないっぽい。普通に我々はこんなろくでなしどもを祀り上げているのに、プーチンやネタニヤフを下ろせというのはちゃんちゃらおかしいのではないか。

 

下村・元文科相「分からない」「覚えていない」 裏金の実態解明遠く:朝日新聞デジタル

 自爆テロぐらいの価値しかない男が自爆さえできないというの、普段あんなに勇ましいことを言ってる連中がイスラム過激派未満だったのかと嘲りたくなりますね。これのコメント+についている政治部の記者のコメントが面白かった。「ちょっとでも期待した私が愚かでした。(中略)自民党が最も改革すべきは派閥のかたちではなく、派閥の実質的な弊害であるこうした無責任体制ですが、最大の矛盾は、裏金問題を検察に立件されるまでこの面々が息巻いていた自民党にそんな改革ができるのかです。」じゃあどうすんねんって話だが、暴力革命しかないんじゃないですかね。別に俺がこんなことを言わずとも、そろそろ民主主義をシャキッとさせるために暴力君がアップを始めている気がする。

 

「52ヘルツのクジラたち」トランス男性の描き方 悩み、伝えたこと:朝日新聞デジタル

 朝日新聞を褒めたくない(n回目)ですが、この記事はよかった。ポストアポカリプスものに出てくるエゴ丸出しのキチガイ集団みたいな連中が棍棒を振りかざしてアイデンティティポリティクスをインターネット散兵線で繰り広げている最中で、トランスの人たちは本当に可哀想な立場にいると思っているので。俺は何でもかんでも女子トイレの問題にする女と、トランスを詐病か何かだと言い立てる男と、そしてステータスクオとしか言いようのない主張を汚い言葉で射出する狂人が嫌いなんだ。そういう腐った連中は俺みたいな邪悪と刺し違えてナンボなんよ。

 この記事とはあんま関係ないのですが、なんかこの映画を観た車椅子の人がどうのこうのみたいな話にもなっていて、本当にこの世の人間の地獄に関してのクリエイティビティには驚嘆しますね。どうせ地獄に落ちるのに。

 

【読書】

 萬代悠『三井大坂両替店(みついおおさかりょうがえだな)』(中公新書、2024)を読みました。新書だけ読むという奇妙な縛りを課している大学の先輩から面白いと言われたので読んだのですが、確かに面白かったです。同レーベルの『サラ金の歴史』同様に、金融と歴史というのは面白さが約束された分野なんですかね。
 著者は日本近世経済史を専攻する三井文庫研究員。同文庫の研究をしていたところ、当時の三井大坂両替店の信用調査の記録という大変珍しいものを発見した(こういった文書はあまり残っていないという。)。この両替店は元々呉服屋であった三井の資金調達のために創られたものだが、後に幕府御用達の両替商の特権を利用し、「江戸時代最大級の金貸し」(p10)を行う民間金融機関として成長した。家憲でハイリターンな大名貸を原則的には禁止していた三井の飛躍の秘訣は、①法制度上の優遇措置及び②「人柄」重視の信用調査を徹底したことにあると、著者は喝破する。

 幕府の公金を大阪から江戸に為替を用いて送金する「御為替御用」を担った三井をはじめとする御為替組では、江戸幕府への納付期限が90日あったという時間差を利用した「延為替貸付」(預かった幕府の公金をそのまま貸付に回す技法)という融資方法を創出した。

 このスキームは次のとおりだ。⓪まず、江戸と大坂の間では、西国の藩が江戸の藩主に資金を送る必要があったことや、為替送金の形で江戸と大坂の商人の間での為替送金取引があることから、常に資金の流れがあるという前提がある。①幕府が金ほしー!!!ってなった時に、大坂から江戸へ送金する必要が生じる。②その送金のために、三井大坂両替所が幕府の大坂城御金蔵から資金を預かる。③もちろん金を送付するのはクソあぶねぇので直接送金はしない。別途江戸の両替店と為替の形でやりとりする。こうすると、預かっていた大坂のお金はそのまま残るので、納付期限の90日間は自由な転用が可能になる。つまり、三井大坂両替店にしてみれば、90日分無利息で大口の融資資金を得られるわけだ。

 しかも、三井は幕府の公金のみならず自分たちの資金でさえ「幕府公金」という形を擬制してまで貸し付けることを行うほどであった。その理由は、幕府公金為替を用いた貸付が不渡りになった場合は、債権の優先弁済を受けられるようになるという大坂町奉行所管内の特権的な法制を利用できた。また、奉行所も債務者に対して執拗に返済を迫った。こうした手厚い債権保護によって貸倒れリスクを低減できたのである(「江戸時代特有」の「身分制的法制度」によって、武士階級である幕府債権が優先されるという構造にあった。逆も然りで、大名などが不渡りを起こした場合は幕府でさえ差し押さえ執行ができなかった。)。ただ、こうしたリスク低減措置のおかげもあってか、三井大坂両替店では低金利かつ大口の融資を手広く実施することができた(このため、三井は幕府公金枠をもっと扱えるように、大量の江戸の不動産を担保に入れていた。)。

 しかし、貸倒れリスクをさらに低減化すべく、三井は厳しい信用調査を行なった。子どもの頃から厳しい実地修行を経て「手代」として育てられた奉公人たちは、情報の非対称性を最小限にするために、周到に借主の担保の価値を見極め、借主の周辺情報や素行を徹底的に精査した。その信用調査を経て、「人柄」にお墨付きが得られなかった顧客に対して、三井は貸付を行わなかったのである。しかし、一度信頼した借主については、よほどの悪要因がない限りは常連として引き続き融資を行なっていた。「三井大坂両替店が高い利回りを実現した要因は、法制度からの厚い債権保護だけではなかった。日頃から丹念な信用調査と常連客の確保に努めた手代たちの功績があったことを忘れてはならない。法制度と信用調査の両輪が大坂両替店の高い利回りを実現させた。」(p236)という著者のまとめは説得力がある。

 以下、各章を見ていく。

 第1章「事業概要」では、上で書いたたような延為替貸付のスキームなどが説明される。元々大坂両替店ら御為替組は幕府公金為替の取り組み額と取り組み相手を大坂町奉行所に報告する義務を負って、公金転用を制約されていたはずなのに「幕府の人事交替の混乱に乗じて、宝暦12年(1762)分以降については、御為替組が個々の取り組み額と取り組み相手を非公開にするこtに成功した。」(p31)という点は興味深い。この点は強かだったんですね。

 第2章「組織と人事」では、三井大坂両替店の組織構造等が詳述される。興味深いのは、「手代奉公」と言われる長期雇用の従業員たちは、子どもの頃から店で働き、徐々に一人前になっていくにつれて、独立志向の人たちも出てきて一定数が退職するということである。「三井は、世帯独立という奉公人の願望を前提に、その願望を実現可能とする報酬制度を組み込むことで、奉公人たちの定着と勤労を実現していた。しかし一方で、世帯独立という願望は、常に自発的な退職の可能性を生み出した。三井と奉公人は、報酬を媒介にして、定着と独立の間で絶えず綱引きをしていたといってよい。」(p78)という記述は興味深い。そういった退職を防ぐために、三井はある一定の年限を超えてから賃金カーブの傾斜を一気にきつくしたり、江戸時代ではまあまあな食事や生活費、医療費も負担したり、さらには「息抜き」で売春宿じみた茶屋も御用達のものを用意してあげたりという太っ腹さである(固定の遊女がおらず適当に読んで集めるコンパ形式みたいなのが好まれた。奉公人が特定の遊女に入れあげないため。)。今でいうしっかりとした“福利厚生”という感じがありますね(よくない評言)。あと、「天下の台所」は大正時代、『大阪市史』を編纂した幸田成友露伴の弟)の造語だということを知ってまたひとつ賢くなってしまった(p54)。

 第3章「信用調査の方法と技術」は面白い。18世紀末、三井大坂両替店は経営不振に見舞われ、今一度経営をシャキッとさせるために、聴き合わせ(信用調査)を精緻化させようとした痕跡が、「日用留」「日用帳」「聴合帳」などにみられるという(こうした資料が残存しているのは極めて稀有であるとのこと。あとがきにあるように、著者もたまたま文庫内の史料をパラパラ読んでいたら見つけたとのことで、歴史家冥利って感じの話だ。)。この貴重な資料を著者は丹念に分析している。平の手代たちが丹念に聞き取りや照会を行うなどして作成した報告書を見た役付きの手代が、最終的に融資の可否を判断する仕組みだった。信用調査の事項もある程度類型化されており、担保が不動産の場合であれば屋敷の位置、町の盛況具合、空き家・空き地の有無、築浅あるいは修繕がきちんとされているか、土蔵の状態などが調べられた。また、担保が動産の場合は、米は納屋米ではなく蔵米をとるほうが望ましい、偽装に注意するなどの指示もなされていた。これぐらいの信用情報を調べるのは結構大変なことなので、手代にはそれ相応のスキルが求められたことは想像に難くない。

 第4章「顧客たちの悲喜こもごも」は一転して、信用調査の文書から借主の事情が描写される。「信用調査の対象者は、享保17年(1732)から明治2年(1869)までの138年間で、実に3825人にも及んだ。」(p164)とのことで、広範に調査をしていたことが伺える。いろいろな事情があるようだが、例えばお家騒動のあったところは評判がよくないので貸さない、強制隠居された奴がいる家もどうだろう、みたいな感じでかなりその家の評判を調べていたことが明らかになる。ギャンブル、遊郭通い、横領、その他諸々をやっている「不誠実」な人々が列挙されるが、もちろん三井大坂両替店はほとんど貸していないようだった(貸しても連帯債務者をつけるなどして、貸し倒れしないよう心を配っていた。)。

 第5章「データで読み解く信用調査と成約数」は、この信用調査や「究書」といった帳簿類を精査して、改めて三井大坂両替店の業務を浮き彫りにする。面白いなと思ったのは、著名かつ有力な豪商については、貸し倒れリスクがないのであまり信用調査をしていなかったということである。このあたりはまあむべなるかなという感じ。また、信用調査において、人柄がよければ、家計状況があまりよくなくても貸していた実情が指摘される(p225)。こうした中で常連客をこつこつと積み上げていき、幕末の混乱期にあっても安定した利回りを実現していたようだ。

 最期に、エピローグで示唆されている社会史的な指摘(三井大坂両替店に貸してもらうために品行方正に振る舞わなければならないという意味で、「防犯カメラ」的な誘因になっているのではないか)は興味深いとは思うものの、これまでの章ではあまり触れられていない論点なのでちょっと唐突感もありましたね。実際「ええい借りちまえ!」というモラルハザード太郎もそれなりに信用調査で明らかになっているわけですから。とはいえ、こういう金融史と社会史の架橋みたいな論点は、俺がメチャクチャ面白いと思う分野なので、是非深堀りしてほしいですね。