死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240124

【労働】

 面白くねえし残りの人生30年こんな感じでいいのか?ということを真剣に考え直すきっかけを与えられた以外は何一つ得るものがない。ただただ苦しい日々。

 

【ニュース】

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 集まり散じて名称変われど……ってコト!? さすが早稲田大学の先輩や……。普通に総裁選で岸田支援するンゴみたいな話もしていてこれほどまでの形骸化もそうそうないぞと思う次第。

 

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 森山派は刑事告発すら受けていないが流れに乗って解散するということのようだが、麻生・茂木はどういうロジックで派閥を維持するのか。
 事の本質はみたいな議論もあるが、派閥政治をおしまいにするぐらいの覚悟がない奴らに政治資金規正法が改正できるわけねえ。

 

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 正しい。

 

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 郵便局長ってこんな感じなんだなあ。イギリスのポストオフィス騒動とは偉い違いやね。

 

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 「局長会の事務局に新規則について尋ねると、「取材には対応できない」とし、担当者は「情報の入手元をできれば教えてほしい」とも尋ねてきた。記者は「取材源は明かせない」と伝えた。」

 ↑事務局とやらキチガイ解放しすぎでは??? 取材には応じないくせに人には情報を請うの恥ずかしいと思わないのだろうか。

 

digital.asahi.com 田中さんは、2012年に当時通っていた長崎市内の教会で、外国人神父に対して「告解(こっかい)(ゆるしの秘跡)」で、子どものころに受けた性暴力について打ち明けた。その後、神父から霊的指導と称し、4年半にわたって性交や動画撮影などを繰り返し強要された、と訴えている。
 ↑天草四郎もビックリやぞ。こんなんのために幕府軍相手に玉砕したんか。

 

【読書】

 ジョン・C・キャンベル『自民党政権の予算編成』(勁草書房)を読みました。昨日の『日本の財政』の関連本みたいな感じです。ワイは政治思想史畑なのでこの本をきちんと理解するほど政治学の素養があるとは思わないのだが、まあ普通に面白かったです。面白かったので、詳しめに書き残しておく。

 内容としては、1954年から1974年の予算編成過程を分析し、日本における予算編成参加者が諸外国に比べて「予算の優位」と言えるような特殊な政治システム内での政治行動を余儀なくされていることを、政治過程論の手法で明らかにした本。アプローチの方法としては、大蔵省主計局主計官や省幹部、支出省庁の官僚、政治家への90回以上のインタビューと、内幕情報が記載されている新聞記事をもとに分析したやや古い質的アプローチによる研究と言える。このため、統計はほとんど出てこない(1回だけ復活折衝に絡んで回帰分析がされていた。)。

 もちろん対象期間が数十年前というだけに、内容はかなり古い話をしている。しかし、予算編成における支出側と査定側の狡猾さや、予算最大化と最小化を志向する両者の戦略と、利害がはっきり対立しているのに霞ヶ関内では妙に協調的に見えるということなどについては、管見の限りでは現代でもあまり変わっていないように思える。また、自民党政権と大蔵省の間の予算編成の攻防の歴史を通じて、この国の予算編成における特殊日本的な経路を明らかにしている点では現代にも有益な示唆を与えてくれるのではないかと思った。大蔵省は財務省になり、自民党は一回下野しているのだが、予算編成過程自体と予算の優位的な構造はまだ変わっていないからである。

 まず本書が第1章で指摘するのは諸外国に比しての、日本の予算編成過程の特徴である。「政党の役割」、「予算の優位」、「高度経済成長」、「バランス」、「安定性」の5つである。「政党の役割」というのは、自民党の長期支配による統治構造の固定化によって、予算編成のあらゆるポイントにおいて政党組織(政調部会や党執行部)が浸透していることである。「予算の優位」とは、政策よりも先に予算が議論され、予算に応じて政策が規定されるということである。このため、諸外国と比べても日本は予算編成のルール=政策決定のルールと言える状況が強い(通常諸外国は予算以外の政策論争も活発に、予算とは別に行われる。)。「高度経済成長」は、日本の奇跡的な経済成長による歳入の自然拡大のおかげで、他の国の予算編成担当者のように「切り詰める」発想をしなくて済んだ点にある(このため、著者はアメリカ以上に日本においてインクリメンタリズムが顕著であると指摘する。)。「バランス」は、日本人の調和志向がそのまま予算にも反映されているという点である(ある政策Aと政策Bが、特に根拠なく同率の予算増を獲得している、みたいな)。「安定性」については、日本の予算構成比がほとんど変わっていない点である。アメリカではある時は保健政策、教育政策、宇宙政策などに突出して予算が割り当てられるが、日本においてはどの分野も予算配分が安定している=政策の優先順位が安定している点が指摘される。

 第2章から第6章においては、予算編成過程におけるアクター(順に支出官庁、大蔵省、自民党、党幹部など)ごとに分析がなされる。支出官庁は概算要求前に省内で大臣官房会計課を相手に疑似予算編成を行い、大蔵省への概算要求を行う。この前後に様々な折衝が行われるが、こまいことで信用を勝ち得たり、利益団体や自民党の圧力をアピールしたり、最初は重要な案件なので調査費だけ充ててくださいと言い次年度からなしくずしに事業突入する、項目ごとの「バランス」を主張する……など様々な戦術で支出官庁はなんとか予算を獲得しようとする(そして往々にして担当主計官と落とし所を探る)。大蔵省は大蔵省で、ミクロな部分では、主計官は支出官庁との情報の非対称性をどうやっても乗り越えることはできないので、前年度予算を手がかりに「漸増」していくような形で丸く収めようとする。このような「まるい予算」作りをしていく一方で、マクロレベルでは予算総額の検討が行われている(このあたりは大蔵省がかなりの程度裁量があったようで、歳入の見積もりに使う数字などについてはそれなりの操作(経済成長率は高く見積もる)などがあったという。)。自民党自民党で、なるべく地元や業界団体の利益が出るように引き出したいと考えているが、自分たちで総合的な予算編成をすることはできないので、予算編成の実行それ自体は大蔵省に渡しつつ、予算編成にできる限り有利に介入しようと目論む。党幹部や首相、蔵相が大蔵省の方針に理解を示そうとする時もあれば、どんどん積極財政をやれという時もある。このように各アクターが自分たちに期待された役割を行い続ける帰結として、かつての「お祭り的」復活折衝の舞台が幕を開けるのである(この分析は第7章で行われる。)。

 大蔵省が予算編成において考えていた優先順位は次のとおりであると著者は見る。

 「1、大蔵省の自律性、エリートとしての地位、管轄領域を保全すること

  2、経済情勢に対する正しいフィスカル・ポリシーを追求すること

  3、予算全体の規模を最小にすること

  4、予算編成を円滑に進め、期限内に終了させること

  5、各予算とのあいだの「バランス」を保つこと

  6、国家的な優先順位に従った政策の組み合わせを達成すること

  7、将来の支出膨張を回避すること

  8、ムダな支出と時代遅れの施策を排除すること」(以上、p115)

 ただ、この方針どおりに進んでいれば、「後ろ向きな」政策(米の価格に対する政府の介入)などはなかったはずである。本書の中核的な問いの1つである「大蔵省の掲げる財政理想が政治過程の中でどのように歪められた」のか、というのが、自民党政権と大蔵省との歴史的関係の中で考察される(第9章)。

 自民党は結党当時から、折に触れて大蔵省の予算原案に手を突っ込もうとしたが、大蔵省はそのことによる長期的影響を恐れ、短期的な利益を手放すような粘り強い交渉姿勢で何とかのらりくらりとかわしていた。ところが、戦前の反省を契機として戦後財政の根幹思想となっていた「均衡予算原則(歳出は歳入で賄う)」を崩して国債発行で対応せざるを得なくなった1966年以降、徐々に大蔵省は支出官庁や自民党に反論するための論拠となる「歯止め」を失い、後退的な主張をせざるを得なくなる。このため予算は増大していく一方だったが、大蔵省は「財政硬直化打開運動」と銘打って、主計局長の村上孝太郎を筆頭に攻勢に転じる(ひと昔前の矢野財務次官論文みたいなもんか)。補正予算も込みで計算する「総合予算」制度や、支出抑制を強力に主張したが、しかしこの効果はそれが主張された1968年度の抑制的な予算の成立のみに限定された。その後の経済状況の不透明化(ニクソン・ショックなど)なども手伝ってか、その後はなし崩し的に自民党の要求に応じざるを得なくなっていく。

 こうした経過について、著者は理由は次のとおり分析している。

 「(引用者注:財政硬直化打開運動)キャンペーンが長期的に見ると失敗に終わった原因ははっきりしている。「財政硬直化」は基本的には予算の問題ではなく、日本の統治システムの(そしてほぼ間違いなく日本の政治システム、社会システム全体の)問題であった。1969年にある大蔵官僚が述べたように財政硬直化は「その根底にある制度慣行の硬直化にほかならず、また制度慣行の硬直化は、それらを構成し、運用している人々の考え方の硬直化にほかならない」のである。このような硬直性の心理的、「文化的」側面に加えて、予算編成を含めたすべての政治過程を左右する基本的な権力関係が重要であり、これを行政的手段だけで変えることはできなかったのである。」(p235)

 「なぜ大蔵省はこのような地味な目標(引用者注:米、健康保険、国鉄への支出抑制)ですら達成できなかったのであろうか。この時期に特有の事情もあるが、1950年代から存在する二つの基本的要因によって大蔵省の困難を説明できるように思われる。第一は、佐藤政権の終わりが近づくにつれて、派閥間競争が激化して予算拡大の圧力が高まると同時に、それを抑える内閣総理大臣の個人的な力が大きく減少したためである。福田蔵相も水田蔵相もこのような党内の混乱に巻き込まれたために、大蔵官僚は後ろ盾を失うことになった。第二に、経済状況も大蔵省に不利に働いた。経済成長率は、「不況」であった1971年度(名目1.2%、実質6.6%)を除けば、1968年度から1972年度にかけて、毎年名目で16%から18%と高かった。すなわち、ほとんどの年度において、歳入は急速に伸びていき、財政危機を防ぐために支出の削減が必要であるという大蔵官僚の主張から説得力を奪った。」(p239)

 このような経過を経て、最終的に1973年の田中角栄時代の予算がピークを迎える。列島改造計画を打ち出した田中のリーダーシップによるによる巨額の予算手当……と思われるかもしれないが、著者の分析は違う。元大蔵官僚の池田勇人による積極財政の展開以後、大蔵省でも単純な支出抑制よりもフィスカル・ポリシーの積極活用をすべきという考えが生まれ、省を二分するようになっていたのである。こうした考えが大蔵省の財布のひもを緩くするきっかけとなった。田中の列島改造計画に大蔵省や支出官庁、自民党の利益誘導大好き陣笠議員がうまくのっかった、というのが著者の以下の見立てである。「予算編成過程の初期と選挙活動中に振りまかれた美辞麗句にもかかわらず、国の政策の優先順位を反映して公共支出を決めるというトップダウンの総合的な計画が実際に予算に影響を及ぼした形跡はほとんどない。田中が信念をもって構想を打ち出したことは疑うべくもないが、そのような総合的計画はきわめて困難である。振り返ってみれば、列島改造計画は、日本の予算の歴史のなかで最大の利益誘導の結果にすぎない莫大な予算を崇高な理念のもとに隠し、自民党議員や大蔵官僚をして組ませることを可能にしたこと、すなわち単に多額の支出を正当化したことだけが、この計画の真の効果であったように思われる。」(p265)。このポークバレル的予算とオイルショックの結果、破滅的な経済危機に見舞われた田中は、不倶戴天の宿敵でありかつての伝説的主計局長である福田に蔵相就任を請い、福田は翌年度予算を極めてうまく調整し抑制的な予算に戻したのである。

 本書の結論は、古典的な先行研究であるウィルダフスキー『予算編成の政治学』で示されたミクロな予算編成のモデル(俺の言葉で勝手にまとめると予算の経路依存性、予算編成の専門性・断片化、施策の内容の不問、予算編成の継続性・反復性、予算編成の紛争調停的性格)に、日本が驚くほど適合的であると総括する。つまり、ウィルダフスキーが分析対象とした欧米よりも、日本の予算編成は「ルーティン化されており、非政策的であり、毎年過去と同じ予算をつくりだす可能性が高い」(p280)とされる。これは、欧米の予算編成は予算担当官は細かいことを決めるのみなのに対し、日本の予算担当官は予算編成をいちから決めてしまえるシステムになっていることが背景に挙げられている。

 こうしたことを許している事情として著者は次のとおり説明する。「日本社会で目標に関する一般的合意があり、政府がそれを実行していることに対する満足感が存在してきたこと、そしてそれが同意しない者を排除しがちな政治構造に支えられてきたことが、検討すべき政策課題の範囲を狭めるとともに、基本的に高い合意のある政府エリートを長期間きわめて安定的につくりだしてきたのである。その結果、国内の政策決定は大部分が漸増主義と微調整によって行われ、諸問題は予算編成を通じて容易に処理されたのである。以上の理由から、予算編成システムは、日本ではほかの意思決定過程よりもいくつかの利点をもっていると言ってよいのではないだろうか。このように、ほかの国に比べて多くの政府の仕事が予算編成システムを通じて処理され、参加者は予算編成が粛々と信仰するのに任せておいたのである。」(p288)。これが「予算の優位」と言われるゆえんである。それはまさに高度経済成長によるパイの絶えざる増大が可能にしていた。

 こうした予算の優位が日本の政治にもたらした帰結について、長くなるが極めて重要な指摘を含んでいるので引用しておきたい(下線は引用者)。

 「第一に、日本政治のスタイルあるいは基調が影響を受けてきたことである。国民は、意思決定を、閉ざされた扉の背後で、少数の参加者間による秘密のルールに従って行われるゲームとして見るようになっている。予算編成過程は、政策構想に関する議論を細部に関する議論に変え、原理原則をめぐる争いを駆け引きに変え、観念的なものを金額に変えてしまうところがある。政策問題は、無味乾燥な技術的基準を適用することによって、あるいは一方の側の他方に対する戦術的優位によって、決着がつけられる。政治家や活動的な有識者は、偏狭で、利己的で、近視眼的であると考えられる。全体としての国民は何らの役割も果たしていない。個人や利益団体は、予算編成に直接参加している人々に対して、多かれ少なかれ遠慮がちに「陳情」することによってのみ、自らの要求を聞いてもらうことができるのである。政治過程についてのこのようなイメージはエリートにも浸透しており、新聞報道(予算編成過程は「インサイダー」の視点から、毎年、広範かつ集中的に報道される)を通じて誇張され、流布されている。一般国民が統治に対してもつイメージは、日本国民の伝統的な文化的傾向、すなわち政府に対するインプットよりも政府からのアウトプットを重視する、受動的で遠慮がちな、アーモンドとバーバの言う「臣民的」政治文化を強化することになっただけと結論づけなければならない。

 第二に、予算による意思決定が優位を占めていることは、ほかの意思決定方法が優位している場合とは異なる利益と不利益を政府システム内のメンバーにさまざまなかたちで及ぼしている。すなわち「予算の優位」は現実の政治構造に影響を与えている。主な参加者を順番にとりあげると、各省庁内では事務次官、官房長、大臣官房会計課などの中枢部門が、概算要求と復活要求の内容を決定していることから、各局に比べて強い立場に立っている。各局が中枢部門を出し抜くことは、たとえばアメリカにおけるよりも難しい。しかしながら、予算の優位は、自民党内においては、このような集権化とは正反対の効果を生んでいる。省内に対応して設置され、専門化した政務調査会の各部会のほうが、予算については影響力が大きい。政務調査会審議会および総務会という全体を統合する組織は、各部会の要求をほぼ無修正で承認するか、「総合的」予算決定を行うという途方もない仕事をするかの選択に直面する。そして彼らは当然のように前者を選び、その結果、彼らがもっている潜在的な影響力を失うことになる。以上のような事情の為に、自民党の政策に対する影響力は大きいが、きわめて断片的である。同様に、予算の優位は、ほとんどの内閣総理大臣が強力な影響力を直接的に発揮することを抑制する効果をもっている。

 最も得をするのは明らかに大蔵省である。予算の優位は決定の大部分が、大蔵省が中心的役割を果たしている領域内で行われることを意味している。大蔵省の権限は、すべての予算要求は(ほかの国におけるように大統領や内閣に対してではなく)大蔵省に提出しなければならないというルールや、大蔵省原案で決められた予算総額は決して増額されないというルールのように、用心深く守られた原則に依拠している。これほど公的ではないが、政策論議が行政的あるいは財政的な観点から行われるという慣行は、明らかに固有の専門的技術をもつ主計官に有利に働いている。第9章で考察したように、日本の政治組織における大蔵省の監督者としての地位は、大蔵官僚の地位の基本的源泉であり、大蔵省はこれに庁瀬ウするすべての脅威に対して激しく対応してきた。

 もちろん大蔵省が高い地位についていることには逆説的な側面がある。大蔵省は日本の政府組織の頂点にきわめて微妙なバランスの上でに立っているため、いかなる方向であれ突然の変化が怒れば、大蔵省はその地位を低下させることになるからである。大蔵省は自らの権力の行使を控えることによってのみ自らの権力(あるいは権力をもっているという評判)を維持することができるのである。もし大蔵官僚が、たとえばある省庁やある政策分野から別のところに多額の資金を移そうとしたならば、それに反対する動きが即座に起きるだけではなく、予算全体に対する圧力が高まり、おそらく予算全体の枠組みを脅かすことになるであろう。大蔵省は、1968年の「財政硬直化打開運動」に見られるように、ある程度までは策を弄することができるが、1969年にそれをやめたことに示されるように、限度がある。実際のところ、大蔵省がもし財政硬直化打開運動にあくまでも固執していたならば、予算編成機能の内閣への移管要求が再び行われ、実行されていた可能性もある。大蔵省は、アメリカにおけるように行政管理予算局と大統領の関係のような制度上の関係をもっていないし、イギリスにおけるように不文憲法上の高い地位をもっていないことには注意を要する。大蔵省の真の権力は見た目よりは弱いのである。

 第三に、予算の優位は公共政策に対してどのような影響を及ぼしてきたのであろうか。政府の(予算の構成比で測った)アウトプットは、われわれの研究期間の大半を通じて非常に安定していた。この安定性の原因は、本章で述べたほぼすべての点に関連している。しかし繰り返すが、とりわけ重要なのは、ほかのダイナミックな意思決定の領域ではなく、予算編成が支配していることであると思われる。政策決定の流れの大部分が予算編成システムによって方向づけられるために、毎年同じ決定がなされることになるのである。このような安定性が個々の政策分野に具体的にどのような影響をもたらしたかを明らかにするのは難しい。しかし、「時代遅れ」の政策が、ダイナミックな意思決定領域におけるよりも多くの資金を与えられてきたことはおそらくは間違いない。たとえば、もし日本の予算において「バランス」が重視されていなかったならば、防衛予算が予算全体(およびGNP)の伸び率とほぼ同じであるという事態にはおそらくならなかったであろう。」(pp290-2)

 著者はこうした状況が既に変質し始めている点も指摘しており、予算の優位構造がいずれは衰退するのではないかと推測している。にもかかわらず本書で導かれた洞察の多くが恐らく現代の政治的な動向をも説明しうるという点は興味深い(財務省対政治の関係性の変化、補正予算の無際限な拡大、予備費の濫用など。)。

 

【雑感】

 家に帰ってクイズ!ミラクル9を見てたら北海道上士幌町の高校にある熱気球部が紹介されていて、こういう部活は素朴に面白そうだなと思った。ちゃんと部活をやっていたらこんな腐った人間にはならなかったのかもしれない。いや世界が腐っている。