死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

終戦、してますか?

 終戦記念日ですね。

 

 生まれて初めて終戦記念日靖国神社に行き、本殿には参拝せずに池の鯉に餌をやって遊就館をぐるっと見て回り、その後千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて献花した。

 

 これだけ見るとザ・ノンポリティカルな終戦記念日しぐさなわけだが、靖国はやはりすごかった。どう見ても反社みたいなおっさんたちが名刺を切ってたり、「先生方待たしてますからね!」と案内役のおっさんに急き立てられた政治団体?の連中が遊就館の真ん前で写真撮ってたり、見るからに竹槍で1000人の鬼畜米英を殺して連合軍から「ブラッディスピアカトウ」と恐れられたみたいな風体のおっさんがザ・リバティ特別号配ってる若い女の子に「2.26事件って知ってる?」という高校日本史レベルのマンスプレイニングをかましたり、親と一緒に歩いていた中学生の女の子と小学生の男の子が境内から出る時ヒトラーユーゲントばりにくるっと180度回転して本殿に向かって一礼したり……。家に帰ってからあの「一日限りの総力戦紛い」を楽しんでいる右翼集団たちのことを振り返ってみると、あれはやはり見ておくべきものだったなと思ったのである。

 

 リベラルはこういう年季の入った心情右翼のお気持ちをバカにしがちだ(それは排外主義的、ともすれば差別主義的な前提を持っているので当然ではある。撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけなので)。しかし軍服やら何やら昔の服を着ているおじいさん連中と若い男女が一体となって何か昔の歌を大声で歌っているのを見て、俺は「ヤベェ~~~」以外の感情が沸き上がったのも事実だ。

 

 川崎のチャラ箱どころか日本中をタテノリで揺らしたことで有名なかの玉音放送から74年経った今、ああした光景を目の当たりにすると、セピア色の記録映画をずっと見ているような気持ちになったのだ。いや、記録映画というよりも、むしろファンタズマゴリアに近い。戦争を語る世代、戦争体験を聞いてきた世代、「戦争」を議論する世代、幾多の世代がゆっくりとしかし確実に交代しているはずなのに、彼らは何らかの自らが体験しなかったであろう過去を「創出」していた(もちろん、まだ戦争を経験した人々は存命のはずだが、しかしもはや彼ら彼女らはあの現場の「大勢」を占めていないことは異論はないはず)。

 

 終戦記念日にわざわざ靖国に集まることは、戦火に散った御霊にどうこうというよりも、体験したことのないはずの得体の知れぬ「過去の原像」を皆で生み出し、体感することにあるのかもしれない。つまるところ、戦争が凝集した「ナショナル」なものを今一度分かち合いたいということになるだろう。彼らは戦争の悲劇的帰結を無視しているというよりも、戦争の生み出したポジティブな紐帯に先祖返りしたいという感情が先に出てしまっているのだろう。忠良な「臣民」として、隣にいる人も同じ仲間として、そう思いたいという素朴な気持ちが、あの人々の合唱に現れていたように思う。それは、リベラルが彼らの本性だとして捉えている反動的な言動を吐く醜悪な側面よりも先行している、彼らの純粋なお気持ちのように思えてならない。

 

 しかし、自覚のない臣民ほど始末に負えないものはないというのは、日本でもドイツでも明らかになったことだ。終戦記念日靖国は、今でも戦争と地続きになっている問題の所在地として、「英霊」の安寧など期待すべくもないところであるという意味で、見る価値があると思った次第である。

 

 終戦記念日のついでに報告。内定をもらったので、俺の〈戦争〉も終戦しました。以上。