死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

六十死順

 先週の金曜日、会社のベテランの先輩・俺・後輩の3人で飲みに行って、まあ酷い飲み方をやらかしてしまった。俺は酔いに任せて10分に1回は誰かのことを「殺す!!!!」とか「クズ野郎が!!!!」と絶叫してディスってたらしい(あんま記憶がない)。先輩はタバコはぶんぶんふかすわ、酒はガンガン飲むわ、職場の若い●●ちゃんは可愛い△△ちゃんはエロいなど普通にのたまうわ、端的に言って昭和の搾り粕みたいな人で、そして俺と後輩はどっちも戦闘的●●(ここには好きなwokeっぽい思潮が入ります。例:フェミニズム、リベラル左派……)の爪の垢を煎じて飲む機会がなかったので普通に「ハハッそうすね」と付和雷同していた。その先輩がふと「俺もう最近眩暈も凄いし毎日息切れしてるから多分60までに死ぬんだよなあ……」と言いながらガンガン酒を頼むのでほへえとなってしまった(実際まともに歩けずフラフラしていたので、多分その日に交通事故で死ぬ可能性もあったっぽい)。

 

 さらに別のエピソード。先々週の土日に、大学の同期や後輩たちと某所でBBQを泊りがけで行った。その集いに参加したある後輩はまあまあの喫煙者だったのだが、肺が破れてしまったため医者からドクターストップを出されもう吸えなくなったのだという。実はその後輩や他の連中と吸うためにたまたまマルボロを持参していた俺(ここ数年吸ってなかった)が「ああ残念やねえ」と言うと、こともあろうかその後輩は「いや肺に入れなきゃいいんすよ」とか意味わからんことを言い出してアメスピを取り出して普通に吸い始めた。確かに葉巻でやるような口腔喫煙っぽい吸って吐いての動作なので大丈夫っぽかったが、医者から止められているのにようやるわと心底感心してしまった。別に俺らが吸わなかったら彼も吸わなかったかもしれないということを考えたら、その豪気さには感じ入ってしまったところである。

 

 この2つのエピソードに共通するのは喫煙です、ということではもちろんない。ここで示したかったのは、老い先短い人生という観念を積極的に自分のものにしていこうやというスローガンである。漫然と長生きしようというのではなく、さっさとある段階で死ぬ前提で今の享楽に身を投げ入れていこうという、頽落と先駆的決示の最悪なアマルガムである。

 そういう観点に立つと、少し前にインターネッツで流行った「30までに何となく死ぬだろう」なんていうのは結局社会不適合者気取りの「顔や能力などは問題ないが、たまたま時の運で「踊ってない夜を知っている」側にいただけのフェイク野郎」によるfatalな思い上がりでしかないのだ。つまり、「死にたい」というそれ自体では大切な気持ちを脇に押しやって、人生のどうしようもない流れに身を任せて、自分が嫌悪していたはずのしょうもない生へと馴致させていくというお決まりのルートへの分岐が確定したようなもんだからである。

 しかし実際はそれがお似合いだしそれでいいのである。俺はそんな人々を心の底からエンパワメントしたい。彼らはそういう人生を送ってしかるべきなのだ。一方、俺みたいに誰かに憎しみを投げ続けることでしか生きることができないホンマもんの社会不適合者が、漫然と死を待ち望んでいても辛く苦しい人生が無限のように続くだけなので、間違ってもこの気持ちに流されてはいけない。さっさと自殺すればいいのに、という皆様のお声はグッと飲み込んでくださいますようお願い申し上げます。自殺できたら苦労しねえしお前みたいな優生主義者(語の厳密な意味からの逸脱だがこうやって人は人を殺す言葉を彫琢していく)が先に首吊れボケが。

 もちろん、恋空の主人公みたいに若い身空で癌だったら「あー30までに死ぬかもな」と思う資格もあるやもしれない(いやむしろいつ死んでもおかしくないので、30までにとは思わないだろう。)。しかし、特に身体的に重篤な疾患を抱えているわけでもなく、ただ単に漠然とした希死念慮を持て余らせつつも、ピャスカルにヤリ捨てられた例の女子高生ほどの蛮勇もないので「はあ誰か殺してくれないかな」と思うのは、白馬の王子様を待つメルヘンメンヘラ神待ち少女と同じメンタリティである。(この喩えは女性蔑視的なのでダメかもしれないので)あるいはいつ来るか分からない終末とやらを待ちわびながら日々の厭わしい生を生き延びることにうんざりして、適当な理屈をこねて「あと何年後には最後の審判っす」と主張する終末論者のメンタリティと同じである。ただ、待っていたところで神も終末も来ないどころか、小島一朗や青木政憲とランダムエンカウントする可能性すら極めて低いのである。これらのダクソの闇霊みたいな連中に殺されたいのであれば、社会を徹頭徹尾最悪へとチューンナップしていく乱数調整しぐさでエンカウント率を上げることは考えられるが、死ぬのは貴方ではなく東大卒のエリートサラリーマンかもしれない。

 まとめに入るが、社会不適合者にとって「漫然と死ぬかも~」なんてマインドセットでも得るところは全くないし、ホントは辛い気持ちを押し殺して健常者の仲間入りしてある日突然発狂して誰かを殺すぐらいなら、「この生活の延長線上にいたらまあ長生きできないわな」ということ(具体的には喫煙・過度な飲酒・孤独・暴食など)をしっかりとやってで生の末期を措定する「社不シャキッとプラン」でどうにかやっていこうやということである。何ともまあ当たり前のバカ話に帰着してしまった。バカなので。

 というわけで最近俺はまたタバコ(アイコス)を吸い始めたし、とにかく酒を飲み外で飯を食う機会を増やそうと思っている(そのためにも来年ぐらいから一人暮らしをするかもしれない。)。こんないい感じで不摂生することによって、50ぐらいで身体が衰え始めて、60に癌か何かで死んだら最高だなと思っている。60で「あれ、もしかして……」となった時どうするかは30年後の俺に任せることとしたい。

 ただ、これも希望的観測に過ぎないとの批判は免れないのは承知の上で俺の見通しを述べさせていただきたい。わが国はLGBTQや外国人、キモくて金のないおっさんやシングルマザーやヤングケアラーなどの弱者に極めて冷たいし、そういった弱者を分断して争わせる「蟲毒」を壺の上から眺めて悦に入ってる偽装リベラルのゴミ野郎(自分の気に入る弱者に気に入らない弱者を攻撃させるいじめっこオブザイヤーみたいな奴)が社会の上層でふんぞり返っているわけだが、多分次にこの壺の中に投げ入れられるのは老人だろう。世帯年収1000万を超えて自分たちの人生の「勝ち」を確保したいい人たちというのは結局自分たちだけで国を作りたいし、彼ら/彼女らが時たま感じる良心の呵責から逃げるために「こども真ん中」を打ち出してせっせと少子化対策(というよりかは自分たちの面倒を見させる奴隷の創出で、フーコー的世迷言を許してもらえるならばただの「出生政治」だ)を打ち出しているわけだが、そんな連中のクソッタレな悪辣さを考えれば、海賊船ゴーイングジャップ号のお荷物たる老人に「ウソップ、お前船降りろ」と言うのも時間の問題である。その時には「60になったら確かに死ねる(死んだ方がマシ)」という社会が到来しているはずなので、俺たち社会不適合者は60を人生の局限と割り切って自殺した方がいいかもしれない。

 じゃあお前自身は、60になってもフツーに健康だった時に自殺をするのか、と問われると、俺は多分自殺しない気がする。だって一回やって失敗したのだもの。そんなことを微塵も思わないように今から健康を破壊し、60になってから一切生に希望を持たないように不摂生していくだけだと覚悟している。とはいえこの段階で身体を完璧にブチ壊すと残りの人生が全く楽しくなくなるので、この健康と不健康のサンバという極めて難しい問題に取り組まなくてはいけない。これが今後の人生において俺の重要課題となるのだろう。

 

 とはいえ、まず一旦人生のリミットを仮に措定しておくことで、いろいろとクリアになってくるものもある。あと30年ある/しかないので、とにかくいろいろやってみようということと、損切りもメチャクチャ早くしなければならないと思っている。

 例えば最近まである極めて優れた思想史の本を読んでいた。重要な文献なのだが、残念ながら訳が極めてよくない(一応断っておくと、俺は人様の訳に口を出せるほど英語能力が熟達しているわけでもない。人生で読み切った英語の洋書はVSIとか含めていいなら十数冊程度のまあちょっとだけ背伸びした大学生レベルである)。訳語の選択もかなり時代錯誤的でトンチンカン(たまに訳注をつけてくれている用語もあるが、説明が間違っているところがある)なので、この本を訳すのに必要な基礎的な知識が欠落していることが察せられる(訳者は斯界では押しも押されぬ大学者なのでそんなことはないと思うし、多分学生とかに下訳を作らせてそのままゴーしたのだろうか……?)。そういう枝葉末節のところは措いておいても、「あれ何でこんなこと言ってんだ?」と思って原文を見ると関係代名詞の制限用法と非制限用法を取り違えてるので先行詞が違うとか、anything butを「ほかならない」と逆の意味で訳しているなど、もう何か嘘だろと思う誤訳のオンパレードである。それでも原文を一から読み進めるのはメチャクチャ大変なのでないよりはマシだが、流石にそこまでの努力をして読むもんでもねえぞと思って、久しぶりに途中で読むのを辞めた。実は「何とか原文と突き合わせつつ読むか」と思っていたのだが、この人生60年説に目覚めた途端「いや他の本もたくさんあるしこれを読まなきゃいけない理由はねえな」と思い、ソッコーで切り捨てた(書名を言ってしまうと本腰入れてきちんとディスらないといけなくなるので、このエントリの本題から逸れてしまうので辞めておく。ヒントは某叢書の最初の本)。

 とまあ、とにかく自分の限られた時間をあまり無駄にしないためにもテキパキとやっていこうと思っている。今挙げた例は読書で、結構長く続いている趣味なのだが、そのうち知的関心が減退する時も来るだろう(30後半になると性欲がなくなるみたいなアレ。まあ俺は元からないんですけどねワハハ)。その時に埃だらけの本棚に囲まれて暮らしてたら最悪で本を全部焼くかもしれないので、もっといろんな趣味を開拓しておきたいとは思っている。映画は昔好きでそれなりに見ていた(西部劇は結構見たはず)が、最近単館上映のものはおろかシネコンのものも観に行っていない。基本的にはサブスク落ちかDVDスルーを待つ人間と化しているが、それでもいいので何か見ようかなと思う。あとは最近サイクリングを多少はするようになったので、都内のあちこちを頑張って回ってみようと思っている。タイムズカーシェアも登録したので、休みの日はどっかドライブするのもアリだ。酒や料理も多少は趣味判ができるようになりたい。

 とまあ色々と趣味の種は撒こうと思うし、何か実ればいいなと思っている。面白くないと思えばすぐやめてしまっていいのである。また、どうせ金を稼いだところで自分以外のために使うことはほぼないのだから、60以降「生きてしまった」時のリスクヘッジ以外の理由でだぶつかせる必要性は全くない。最初のエピソードで引き合いに出した先輩は飲み代結構いったのにポンとお金を出してくれて、その後何とタクシーで帰っていった。彼曰く「金なんか持っててもしょうがねえぞ」ということだが、こんぐらい傾くと極端すぎるきらいはあるにしても、ひとつの憧れとして小さく実践してもいいのではないかと思う。

 

 こんな感じで碌でもないことを書くエントリになってしまった。ただ久しぶりに書きたいなと思って書けたのでよかった。何だろう、やはりこういう心の底から「おもれえな」と思った時にしか筆がノらないのである。書ききった時の達成感は割と代えがたいものがあるので、低更新が続くと思うがのんびりやっていこうかなと思い直している。これがインターネット自傷行為や。イメージビデオでジュニアアイドルの煽情的な水着姿を見てたら唐突に太ももカット痕を発見した時のような気持ちでこれからも読んでほしい。