死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

11月を振り返る

 仕事たくさんしました!で終わるんですけどね、タイトルのヤーツは。

 

 はっきり言いましょう。入る仕事間違えたかもしれねえ……。前の仕事は狂った労働時間・狂った対人折衝・狂った自我の三拍子揃った結果完全に諸々が音を立てて崩壊してしまったわけだが、今の仕事はヤベェ労働時間・ヤベェ対人折衝・ヤベェ自我の三拍子が完成しつつある。俺の中では狂った>ヤベェなので、単純にただの下位互換の仕事を選んでしまったわけだ(前の仕事よりマシなのは、土日が“ほぼ”休みってことぐらいだろうか)。俺も22~25の時はまだ若く、「狂った」を何とかやってのけたわけだが、26以降の衰え(脳のリソースや腰の耐久力、睡魔への抵抗力など)が著しく、「ヤベェ」ですらこなせない。もちろん今の衰えを前提に考えるならば、前の仕事を続けていたところで待っているのは、月曜日の朝スカートを切った後ににそのまま電車に飛び込んで不特定多数の人間に1日限りの不都合と悪態を生じさせることだろう(人間1匹の死にしてはなんとまあ上出来なことか!まさに悲劇!)。しかし、残念ながら今のまま人生を続ける方がよっぽど悲惨(「悲劇」ではない)である。誰かさんの通勤・通学とか私の何とか知るかよボケ。

 

 今の俺は職場で一番早く来て一番遅く帰るサラリーマーダーサーカスゾンビ(攻撃力1350/守備力0/朝の超過勤務手当0)と化しているわけだが、5年目、10年目とか20年目の人を見ていても、割とみんな帰る時間が遅いのだ。一番職場にいる時間が長いというクソを逆手にとって、俺はかなりの時間をかけて「俺の未来となるかもしれない人々」を観察した結果、これはたまたま筋悪マザファカ案件の担当になったというだけではないような何かがどうやらこの職場にあり、それがアンリミテッド・ワークスを生んでいるのではないかと思ったのだ。その「何か」はかなり文脈負荷的で、具体的に言えば即身バレして、かといって抽象度を上げると「何だそんなことか」と読者にいらぬ誤解を与えてしまう可能性があるので申し上げることはできない。残念ながら。ここはお気持ちを吐露する場であって、内幕情報の暴露は意図していない。

 

 しかし、この調子で仕事を続けていれば、間違いなく衰え続ける身体を引きずりながら地獄の残業ライフを謳歌する羽目になるだろう。打開策としては、どこかで鬱病発症休職後復帰で労働デバフをかけまくって「働く爆弾娘」であることを職場に認知してもらうしかないとも思ったが、残念ながら神様は俺にそこまでの個体の脆弱性をお与えにならなかったようだ。今のところ飯も普通に食っているし、不眠症でもなくよくグースカピーできている。仕事行きたくねえという思いは、同じような思いを抱く健常者や障害者やその他諸々の中でもまあまあ上位の方だと自負しているが、それでもちゃんと毎日同じ時間に出勤している。そもそも、俺を追い込む病気は鬱病とかそういうメンタル系統のそれではなく、何らかの生活習慣から来るクソヤベェ奴(糖尿病や脳梗塞など)だと思う。それで苦しみながら死ぬことは考えられるが、そうなりゃ仕事ではなくもっと別の何かと戦う羽目になる。その前に俺は魔弾の射手にお願いして頭をブチ抜いてもらうって決めているんだな(自殺する勇気がないのは昔失敗してよくわかった。俺は全ての自殺者に惜しみない尊敬の念を捧げる。ブリタニー・メイナードさん、アンドレアス・ルビッツさん……)。

 

 鬱病ほどでないにしても精神は悪化している。普通にムカつくことが多くなった。何かこれは去年の秋冬にかけてもそんな感じだったので季節性の疑いがないでもないが、しかし明らかに仕事でのストレスを他にロックバスターよろしくチャージショットしているっぽい。これはいけないと思ったので、まず仕事と家族以外のつながりを一回遮断した。こういう時はマジで人に迷惑をかけるので。今のところこれしか方策がない。あと、今の気持ちを整理すべくこうやってブログを書いている。本当は別の記事をずっと書きかけのままにしているのだが、今は俺の精神のスタビライザーを担ってもらうよりほかにない。来週も毎日会議や外回りが入っているし、次の日の資料準備等は残業しながらこなすしかない以上、この土日にある程度自分の位置確認をしておかないとホンマ流されるままに死ぬだけになるっぽい。

 

 ここ最近ずっと考えていたのは、もうめんどくさい自我とか全部すっぱり諦めて労働を好きになった方がいいんじゃない?ということだ。多分今の俺は社内的には出世株というよりも、その少し後をのろのろと動く「よくわかんねえけどキープ!」枠だと認識しているが、これからの頑張り次第では栄達も望めなくもない(と勝手に思っている)。野比のび太だから人の2倍頑張ってようやく半人前程度なので、今の4倍頑張らないといけないわけだが、もはやそうでもしないと自分自身を永遠に肯定できないのでは???とそんなことばっかり考えちゃうお年頃だ。しかし、それでもそんな敗北主義的な労働肯定は「嫌だ!!!!」と言う自分がいることは無視できないし、無視してはならない。というか俺に労働は向いていないので、今の4倍頑張ったら休日のショッピングモールで子どもが乗り回しているドラえもんとかアンパンマンのおもちゃの車に画鋲とか仕掛けまくってツイッターで叩かれるに決まっている。こんな邪悪な想念を抱いている人間が出世株なわけねえだろ目ェ覚ませと自分に言い聞かせている。

 

 労働に向いていないことは労働する前から分かっているが、俺は無能でカスでしょうもない生き物なので労働に縋るしかなかった。株の勉強でもして小金を稼ぎながら生活することも、Youtuberになってそこそこのリスナー(笑)を抱えて広告収入で食っていくことも、「雑文」を草して無頼の文士になることも、生活保護を受給することすらできなかったわけだ。今やっているのは「雑文」の真似事ですらなく、乱脈極まりない絡まった思念の塊を特に推敲するでもなくはてなとかいうゴミ捨て場に叩きつけているだけだ。俺の能力がないという現実。これだけは痛いほどよくわかっているつもりだ。

 

 なので、労働は不可避の生の条件だ。痛みを伴うが、今の俺にできる唯一の「事情ご賢察くださいますよう」とやらはこれしかない。その上で俺は労働に心臓を捧げるのか。否。否。断固否。これは「悪あがき」でしかない。だがそれでも。

 

 今日は布団から起き上がって、喫茶店に行ってから1時間半ぐらい新書を読んだ。そして今こうやってブログを書いている。大丈夫だ。俺はまだ労働の「外」を見ることができている。明日も活動できるか。来週の激務の合間に何かできるか。それはわからない。だがやらなくては労働に負ける。いやもう負けている。しかし、勝負は一回で終わりではない。何度だって負け続けても、せめて一回はドローに持ち込みたい。そこまでの悪あがきこそ、俺の人生の全部をベットするに値する。