死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20231215-16

 一昨日と昨日と飲み会続きでしたが、何とかこなしました。頑張れ俺の肝臓。

 あと、ブログの更新を怠るとマジで堆積していくのでしんどいな。飲んだ日でも無理してでも書いた方がいいのかもしれない。

 

【労働】

 ある仕事をマニュアル通りにやっていたら、何か謎の前提知識があったらしく、最終的にはマニュアル通りの記載のやり方をするとおかしなことになってしまうという話になった。バグってんのか??? ホンマこの仕事クソなので早いところ抜け出さないといけないと思っているし、アサイン先ガチャもっかい回すしかねえわ。ファック!

 

【ニュース】

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 このご時世にあえて菅直人に話を聞きに行くの渋いな。とはいえ、聞き手の記者が総括しているとおり、この人にはやっぱりリアリティが欠如している感があった。薬害エイズ問題への取組は不朽の功績かもしれないが。

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 このドラえもんは手作りか? という一点だけが気になった。

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 この時期から勉強するの、もはや存在論的リスキリングとか言った方がいいと思う(哲学用語をハチャメチャに使う人)。

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 東京地検に土曜日はないんか!? と思わされる記事です。

 

【読書】

 小谷英生・網谷壮介・飯田賢穂・上村剛編著『歴史を書くとはどういうことか』を読了いたしました。全般的に面白かったですね。以下論文を読みましたので、僭越ながら御紹介するンゴ。

 佐藤空「自由としての歴史叙述――オークショットとポーコック」。同時代のイギリスの史学史的な前提を踏まえつつ、オークショットとポーコックが「歴史叙述」に与えている役割を比較検討するもの。オークショットはホイッグ史観批判の前提から、過去を「実践的過去」と「歴史的過去」に分けて、歴史家は現代に役立てるように過去を(道徳的判断も含めて)考える前者ではなく歴史家はあくまでも過去の事象そのものに関心を持たなければならないとしたうえで、実践的過去については政治教育においてはむしろ行為の淵源である「伝統」を理解するために重要であると指摘する。他方ポーコックは歴史家により現代へ参与するような役割を求めており、「政治、とりわけ共同体としての自己決定権である「主権」概念の構築に貢献する実践的な市民(citizen)であり、また他の市民に共同体の歴史について教える存在」(p99)であるとする。こうした歴史観の違いについて著者は、「実践、科学思想、全体主義といった荒波からオークショットが死守しようとした人間の自由としての「歴史的経験」という概念は、ポーコックにとっては、歴史家(もしくは真の歴史)の公共空間への参画を不可能にする障壁として現れた。」(p101)と概括する。

 飯田賢穂「古典弁論術のhistoria――理論と実践」は、弁論術の一区分としての「歴史」の古代的な方法論に着目する。歴史(historia)は、ラテン語弁論家にとっては、説得の際に過去の出来事を召喚して説得力を持たせるという、陳述の中の「脱線」でありながら重要なテクニックだが、他方ギリシアの医学的な伝統では「感覚的認識にもとづく報告」という意味もあり、この2つの要素が複雑に混ぜ合わされたのが、モンテーニュの『エセー』第2巻25章の「病人を装ってはならないことについて」で、モンテーニュは古代の事例から徐々に直接観察された出来事の報告などへと用例を同時代に近づけつつ議論に説得力を持たせていく様が分析される。この論文は普通にむずかったです。

 稲垣健太郎イスラーム史を学ぶこと――ヨーハン・ヤーコプ・ライスケとイスラーム史叙述」は、全く知らなかった人の話だった。「初期近代ヨーロッパ、とりわけプロテスタントが支配的な地域におけるアラビア語研究は、多くの場合ヘブライ語聖書の研究との関連で進められた。セム語族という概念の創出に先立って、17世紀の東洋学者たちはヘブライ語アラビア語の文法や語彙の類似性を認識していたのである。アラビア語の知見を用いてヘブライ語の語彙を理解しようとする試み、換言すれば「神学の婢(ancilla theologiae)」としてのアラビア語文献学」(p155)というのがあったのをまず知らなかったので「ほえー」となった。ライスケはむしろイスラーム史それ自体の学ぶことの価値を高めるため、さらに言えば「通時的な過去の「他者」を鏡として用いることで、イスラーム史を学ぶことの意義」を伝えようとして、『歴史の暦』という本の校訂・注釈等を行った様が紹介された。

 網谷壮介「ポリツァイ学者ユスティの歴史叙述――勢力均衡と貴族の歴史」は、浩瀚な著作をたくさん書いたユスティの歴史叙述に着目して、勢力均衡や世襲貴族制といった現行の状態の起源がしょうもないのでクソだということをのたまうために歴史が用いられたことに着目する。ユスティにとって歴史は「生の教師」でもなんでもなく、むしろ規範的な役割を持たせるならば歴史に取材した歴史小説の方がいいだろと考えるのであった(司馬史観かな?)。「過去にその範例を見出せず、その実現の徴候を判断しうる歴史哲学の助けを借りることもできないとして、にもかかわらず将来実現されるべき理想の君主制への期待をドイツの公衆に提示するためには、いまだ公衆にはその伝統が機能していた歴史叙述の形式だけを借りるという選択肢がありえた」(p196)という網谷の分析はなるほどと思いました。

 あと、このコゼレックの要約は有益なので書き留めておきたい。

 「歴史叙述によって構築される「経験の空間」としての過去は、かつてと同じことが将来も起こりうるという循環・反復的な時間意識に支えられる限りで、「期待の地平」としての未来と地続きである。この時間意識のもとでは、次に何かが起こりうるのかという予測は歴史を通じて語られる過去の経験によって制約され、とりわけ刻々と変転する政治の世界でうまく立ち回るためには歴史という教師に学ばなければならない。しかし、今経験されつつあることがもはや過去の経験に該当するものを持たないという感覚が強まっていけば、「経験の空間」は「期待の地平」から乖離していく。ドイツの歴史家ラインハルト・コゼレックは、18世紀末以降、ルネサンス宗教改革依頼始まっていた経験と期待の乖離がますます拡大していき、近代(Neuzeit)が新しい時代(eine neue Zeit)として同時代人に理解されるようになったと分析した。たとえば、もともとは天体の公転運動を意味したrevolutionは、そこから反復されうる国家の興亡という用法をもたらした。しかし18世紀末になってフランス革命のような事態が起きると、revolutionは過去に類例のない大変動、つまり反復ではない根本的に新しい経験を意味するものとして使われるようになる。」(p194)

 また、歴史哲学の効用についても。

 「過去の経験の空間に座を持たない新しい出来事は、そのままでは過去との純然たる差異としてのみ理解され、適切な意味づけを欠く。それまで経験に意味を与え、理解の枠組みを提供していた歴史叙述に代わって、過去の「経験の空間」を超出した新しい経験から「期待の地平」を新たに構築したのは哲学である。歴史哲学は人類の総体を貫通する全体概念としての歴史を進歩の相のもとに捉えることで、そのなかに新しい経験を位置づけ、未来への期待――これまでより良くなる――を再構築することができた。たとえば、カントはフランス革命を(正確には革命を傍観していた人びとの熱狂を)人類の道徳的進歩の徴候とみなしたし、ヘーゲルは革命を終わらせたナポレオンに世界史の弁証法を通じて建言する世界精神を見た」(p195)

 ユスティは、まさに「伝統的な実用的歴史の残存と歴史哲学(哲学的歴史)の興隆とのはざま」(p197)にあった歴史叙述の思想家と言えるということだと思う。この論文が一番面白かったかもしれない。

 安藤裕介「モンテスキューの「アジア的専制」論とその影響――地理的差異から歴史的段階へ」は、有名な「アジア的専制」論はそもそもペルシアやトルコが念頭に置かれていたが、中国については全く当てはまらないため、モンテスキュー自身もこの分類が無理があるんではと認識していた可能性さえあるという指摘はなるほどと思った。しかし、この地理的分類が、『百科全書』でも引き継がれ(というか丸写しされて)影響力を持ち、その後ブーランジェによって歴史上の発展段階論に読み替えられて、ヘーゲルにおいて完成するという話だった。王寺賢太の『消え去る立法者』などでも思ったが、啓蒙における「他者」観というか、中国観などは気になることが多い(何か中国の皇帝の話してたよな~と思ってパラパラめくったのですが、線も引いてないし覚えてなかったので諦めました。やっぱマジで本には線を引いた方がいい)。

 関口佐紀「ルソーにおける共和国の軍事システムと古代ローマ史」は、ルソーが古代ローマから得た教訓をポーランドの軍制改革論(『ポーランド統治考』)にどのように活かしたかを分析する本(要諦は拡大戦争は基本クソということだと思うが)。「ルソーにとってローマの歴史を叙述することは、その繁栄や滅亡の原因を歴史に辿る歴史家の営みに留まらず、そこから得られる教訓を近代の制度設計に適用させていく立法者の営みをも意味していたといえるだろう」(p243)という指摘は「クゥ~立法者氏~ww」と思いました。

 上村剛「アメリカ連邦制と古典古代――ウィリアム・バロンとジョン・シモンズの植民地論争を中心に」は、連邦主義者マディソンがアメリカにおける連邦制の確立を考えていた際に読んでいたのが、古典古代の植民地を参照しつつ英国の植民地への課税の正当化をはかるバロンの論考と、それを歴史理解としてはクソだと批判するシモンズの論考だったという点に着目し、「歴史叙述を通じて現代の政治問題に対する示唆」を得ようとしていたとみる論考。マディソンはこの両者を読み比べつつ合衆国の国制論を深化させていったがあり、「純粋な歴史論としての適切さ」の観点としてはシモンズに軍配を上げ、帝国的な論理を振りかざすバロン的な考えではなく(それはマディソンが一度失敗している)、より柔軟な形(例えば交易を通じて)の連邦中央への従属という形で合衆国論へと読み替えていったと考える。ちなみに最後で指摘されている以下は重要だと思うので引きます。

 「合衆国憲法選定過程において、連邦派(federalist)という名称はもともと新たな強大な連邦形成に反対する側を指した。なぜなら、合衆国憲法はそれまでの連邦、連合のイメージを破壊するものであったからである。彼らにとって合衆国憲法に賛成する者は一国派(nationalist)と捉えられた。州(邦)の権限が徐々に簒奪される危険をはらんでおり、是認できるものではなかった。これに対して憲法制定を肯定する一国派側も、このイメージを否定すべく、自らこそが連邦派であると述べ、連邦派のイメージを覆すことで連邦憲法批准をめぐる政治を優位に展開していった。

 これが単に政治的党派のラベルで済めばよかったのだが、問題はそれまでの連邦制の議論とアメリカの連邦制の議論が混線してしまったことである。つまり、最終的な政治的決定権限がなく、州が横並びになっているほうが連邦理解としては多数派であったが、アメリカ連邦の成立以降、何らかの最終的な決定権限が連邦に置かれている状況もまた、連邦のひとつの在り方として理解されていくようになったのだった。」(p274)

 

 土曜日から黙々とパスカル『小品と手紙』を読み進めています。この感想は読み終えてから書こうかな……。

 

【雑感】

 15日の飲み会は、会社の忘年会でした。みんな真面目に生きていてすごいなと思いました。ビール7杯、ハイボール4杯ぐらい飲みました。

 で、次の土曜日ですが、午前中は酒が残っていたためか完全につぶれました。何か気持ち悪いとかそういうことは全然ないんだけども、とにかく体が動きたくないよ~という感じだったので、ベッドの上でもぞもぞと活動していました。多分もうちょっと飲んでたら午後半ばぐらいまで「二日酔い」になっていたのではないでしょうか。

 土曜午後、久しぶりに前職の先輩と飲みにいきました。この日はちょっと抑えめにしてビール2杯、レモンサワー3杯、焼酎水割り1杯、焼酎ソーダ割3杯とした。年収1000万円に行くという話を聞いて「あーやっぱ身近な人にいるんやな~」と素朴な観想を持ちました。多分俺もこの歳まで続けてたら年収800万ぐらいはあったのかとは思うのですが、失った金の話をしてもしょうがない(ちなみに今年はピッタリ年収500万)。俺の倍稼いで何するんすかと聞いたらクッソたけぇカメラ機材に100万ぐらい使っているらしい。

 色々と人に会うのは楽しいが、代償として疲れるので、やっぱ連チャンはきちぃなと思いました。30歳になったらそういう羽目の外し方はちょっとずつ控えめにしないといけませんかもね。