死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240111

【労働】

 虚無。

 

【ニュース】

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  バキ童の2番煎じみたいな記事をクオリティーペーパー(笑)が書くの面白いな。大いに失笑させていただきました。

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 迫田孝也とかいうメチャクチャかっこいい男の記事もあった。

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 これは国家理性エヴァンジェリストの俺からの提案ですが、国会議事堂に放火して共産党に罪をなすりつけて政権を浮揚させるしかないよ。それはそれとして、羽と足をもがれた虫の如くのたうち回る岸田の姿をこれ以上見たくない。カアイソウ カアイソウ

 

【読書】

 権左武志編『ドイツ連邦主義の崩壊と再建』(岩波書店)を読了しました。

 ドイツにおける君主的領邦(バイエルンとかプロイセンとか)を淵源とする「ラント」と、その上位にある秩序構造である「ライヒ」(神聖ローマ帝国、ドイツ連邦、ドイツ帝国ヴァイマル共和政)の絶えざる緊張関係の上に成り立っており、戦後は占領国の意図によって生じた「連邦主義」体制について、法制史・政治思想史・政治史といった観点から突っ込んで考察した論文集。昔政治学の勉強した時にドイツの連邦参議院ってなんやみたいな疑問を持った人が読むと面白いのかなと思います。実際のところ、ヴァイマル体制以降の民主制という脈絡においてドイツは論究されることが多いが、それよりもさらに昔の歴史的経路依存性のある連邦制という問題についてはあまり考察されていないような気もするので、この点を明快に整理している点が本書の有益なところかなと思いました。元々シュミットへの関心から本書を手に取ったのですが、この関連でところどころ『合法性と正当性』が参照されているのは面白いですね。

 なお、これもし読む人がいたら(ニッチすぎると思うのでいないと思うが)、第三部から読んだ方がいいです。何故なら連邦主義の成立等について比較的わかりやすくまとめているので。第一部から馬鹿正直に読むのは、近現代ドイツ史に多少なりとも通じている人でない限りはオススメできません。

 個人的に興味深かった論文に絞って紹介します。

 第2章の飯田芳宏「ヴァイマル共和国における民主的単一国家論」は、ヴァイマル期においてドイツはライヒに権限を集中した「単一国家」であるべきか、ラントを維持した「連邦国家」を維持すべきかという議論の経過を教えてくれる。この論文で、というわけではないが、前提として多くの論文で指摘されているのは、君主政の遺制に過ぎないラントを偶然のものとみなしたプロイスがライヒ中心の国家構想を憲法案に盛り込んだが、ラントの反対を受けてかなりの程度妥協せざるを得なかったエピソードからも理解されるとおり、単一国家論の支持者はどちらかというとリベラル派で、連邦主義者は保守派だったという整理がなされている(そのリベラル派が「ドイツの西尾幹二」と俺が勝手に呼んでいるトライチュケの単一国家支持を召喚するのは笑える。)。飯田論文では、民主的な単一国家論を構想したプロセインの行政官僚であるアルノルト・ブレヒトに着目し、ドイツ国制のあり方に関する議論をリードしていったが、当のライヒ政府が賠償金対応などでまごついている間に「プロイセン・クーデター」(当時の宰相パーペンによる、ライヒ・コミッサールを派遣してプロイセン・ラントの行政権を事実上簒奪した出来事。他ラントの支持を受けたプロイセンによる無効訴訟も提起され、国事裁判所においてシュミットがライヒ代理人としてこの憲法的にグレーな行為を弁護したことは有名)が発生し、結局この単一国家構想は消えてしまうのだが、「ライヒ政府が準備の整ったライヒ改革を進めずに放置したことが、民主的単一国家に立つ強力な中央集権権力の創出の機会を失わせ、強権的違憲的方法による権力の一元化を許すという「取り返しのつかない」事態を招いた」(p45)というブレヒトの見解はなるほどと思った。

 第4章の権左武志「ヴァイマル末期の国法学とカール・シュミットの連邦主義批判」も面白かった。ヴァイマル末期においてナチ体制の誕生を阻止しようとしていたシュミットがなぜナチに転向したのかという点について、シュミットが抱いていた「連邦主義批判」の観点から説明しようという試み。プロイセン・クーデターを支持したように、シュミットは「プロイセンライヒの二元主義」に対する批判的な視座を持っていた。結局ナチがそれをぶっ壊したので国家社会主義に鞍替えできたんやという指摘はなるほどと思いつつ、それこそメーリングがしたように他の要因でも説明可能なのでこれが決定的要因なのかは疑問である。ただし、こうした「連邦主義批判」はシュミットのみならずリベラル派国法学にも一定程度共有されており(本論文ではその代表者として行政法学者イェリネックを挙げる)、皮肉にもこの連邦主義不信がヴァイマル民主政最後の牙城だったプロイセン社会民主党政権)の行政権をラントが簒奪し、その後のナチ体制の露払いとなったことは否めない。

 以下の指摘は重要なので引用しておく。「学問がその自律性を失い、政治闘争に奉仕する党派的手段へと貶められるとき、概念を駆使する使い手は、自ら操作する概念に縛られて現実の一面しか見えなくなるという概念の自縛作用に陥ることがある。それは「概念の呪縛」とも呼ぶべき現象であり、権力と癒着した学者の場合、「権力の呪縛」により倍加されることになる。シュミットのように、学者が当事者として現実政治に関与する時、変転する敵味方関係の中で知らぬ間に支配的勢力の道具として利用される危険は避け難くなる。「政党連邦国家」や「ライヒ」対「連邦」、「人民投票的正統性」や「指導者」といったシュミットの使用した概念は、そうした呪縛作用を広く及ぼした概念だった。1933年のシュミットは、これら概念の橋を渡り、授権法という「ルビコン川」を越えて、ライヒ総督法の立法作業に協力することになった。これらの概念が、シュミットら保守派ばかりか、イェリネックらリベラル派をも呪縛し、自由な思考を麻痺させる現象が広く見られたのは本稿で示した通りである。」(p116)

 第6章の川合全弘「エルンスト・ユンガーのナショナリズム論」は、ちょっと本論文集全体との関連性でいうと異質だが、それでも面白かった。ユンガーのナショナリズムが「大戦体験を基準として構想される」極めて急進的なものであり、あまりに急進的すぎて大衆政党であるナチとさえ相容れなかったということ(大戦の大量死に何がしかの意味を与えるという意味での「追悼の政治」を目指し、徹底的に少数の自覚者を中心とする狂ったラディカリズムを持つユンガーからすれば、ナチはそもそも大戦体験の省察が不十分なのだとか。ワロタ)。ユンガーとナチは微妙に違うぐらいの認識しかなかったので勉強になった。ちなみにユンガーの「我々は市民の真正の、本物の、仮借なき敵であるので、市民の死滅は我々の楽しみである」とか「ナショナリズムにとって数は意義を持たず、例えばシュペングラーのように民主主義によって鉄のごとき必然性とともに黙殺される人物が、議会における百議席より重みを持つ」といったパンチライン集としても読めます。今年はユンガー読むか。

 なお、紹介していない他の論文もそれなりに興味深く読んだ。「帝国監督」の制度を紹介した第3章とかは、昨今取り沙汰されている沖縄への代執行を思い起こしてしまったねえ。第5章の憲法学の整理については理解が追いつかないところも多かったかも。 

 

【雑感】

 今日久々に大学の友人とラーメンを食うなどした。こういうフッ軽な挙措が何歳までできるだろうか。40になるまでは頑張ろうと思う。