死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240123

 ブログ書く前に寝落ちしたッピ!!!

 

【労働】

 特筆することはない。

 

【ニュース】

 何もない。

 

【読書】

 田中秀明『日本の財政』(中公新書)を読了。年末に小さな勉強会に出席した際、発表者がこれがええとおすすめされていたので読みました。

 普段この手の本はあまり読まないので、当然ながら大変勉強になった。財政赤字が恒常的に続く日本において、幾度も財政再建の試みがなされてきたにもかかわらずそれが頓挫してきた理由を、予算編成過程を制度論的に分析することを通じて、日本の政官における財政規律へのコミットメントの低さが原因であると指摘している。「日本財政を立て直すためには、政治・行政システムの転換が必要である。端的にいえば、豊富な税収を分配するためにつくられた高度成長期の分配型システムから資源制約下で優先順位を決める戦略型システムへの転換である。」(ⅳ)との主張は、言い古されている感もあるがなるほどなと思った。10年前の本であり、もちろん限界があるのだと思うが、考え方や問題点の指摘については今でも通用するものがあると思われる。この指摘が未だ古びていないというのが悲しいような……

 第1章では、日本における財政再建過程を第二次安倍政権誕生まで追っている。これを読むと、自民党政権民主党政権において、立法や様々な閣議決定等の決め事をして一定程度の財政再建目標(よく言われるのがプライマリーバランスの黒字化)を掲げたり、ある程度の中期的な財政の目標を立てたりしていたのだが、リーマンショックや震災といった外的要因もさることながら、予算編成過程の機能不全もあってなかなかうまくいかなかったことが指摘されている。民主党政権では財政再建への道筋自体は仄見えてきたが、安倍政権で逆戻りになっているんではないか?みたいな指摘は、10年経った今当たっていると言わざるを得ない。

 第2章では、これまでの予算に関する政治経済学的な分析モデルを一通り紹介した後に、著者は分析視角として「制度」のありように着目することを提案する。しかし、制度は破られるためにあるので、どうやったらプレーヤーに対してその制度への「コミットメント」を担保できるかといった、制度とプレーヤーの緊張関係についても著者はきちんと指摘している。なお、ここでいう制度とは、財政政策に制約を課す「財政ルール」、単年度の予算編成を超えて予算編成に抑制をかける「中期財政フレーム」、政府部門における「意思決定システム」、「予算・財政に関する情報と透明性」のありようといった4つの項目が主である。第3章では上記の4つの項目に照らして、OECD10カ国(アメリカ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、オランダ)における財政再建の海外比較の分析を試みている。どの国も財政再建の端緒はだいたい経済危機か政治的変動(特にEUマーストリヒト条約の存在が大きいっぽい)であるわけだが、例えばアメリカでは弾力的な運用が可能な予算執行法が一時期うまくいったけどこれは財政再建が重要であるという認識をもとに共和党穏健派と民主党が協力しあえたことが背景にあるなど、制度論的分析がその政治システム的背景にまで及んでいる。このほかにも、強力な「財政責任法」(目標設定とそのアカウンタビリティの義務化)を掲げたニュージーランドや、中期財政フレームとして支出上限を3年分まで決めているスウェーデンなどの事例が興味深かった。著者はこのような分析を通じて、立法や政党合意に基づく事前のコミットメントや、目標を達成できなかった時の説明責任などの事後のコミットメントを仕掛けることの重要性を指摘する。なお、日本にはない独立財政機関の導入の重要性や、財政に関する情報の透明性を高く持つことも大事だという(透明性と純金融負債対GDP比が一定程度相関している?という推測もあったがこれは流石にどうなんやろか。)。

 第4章では翻って日本の状況が分析される。まず制度的には、そもそも予算編成において赤字公債発行が前提になっている、財政法に規定されている建設公債規定(それ自体はインフラ投資なので将来世代の負担も合理的とされている)も抜け穴になっている、中期財政フレームが強制力のない単なる見通しに止まっている、シーリングが意味をなしていない、補正予算は常套手段だし会計間操作も頻繁に行われているなど、碌でもないということを指摘される。加えて、予算編成にかかわる多様なアクター(特に政治家)が拒否権プレーヤーとして存在しており、かつ、それを抑制するための首相や財相がイニシアティブを発揮していないこともあり、調整主義的な発想で予算がいたずらに拡大してしまうということも指摘される(これが結局予算に関する責任の曖昧さに帰着する)。

 著者の日本の予算制度の問題点のまとめを記すと、

「①赤字ルール/景気変動に対応して安定的に財政運営を行うためのメカニズムが欠如している 

②支出ルール/シーリングが一般会計当初予算を対象とするため当初予算偏重、一般会計偏重、単年度偏重の問題を生じさせている 

③中期財政フレーム/単なる見通しであり支出を拘束せず、ベースラインがない

④透明性/透明性が低く、会計上の操作を抑止できない

⑤意思決定システム/首相・財務大臣が政府の内外に存在する拒否権プレーヤーを制御できない。」(p190)

 である。

 第5章ではこのプレーヤー、とりわけ日本の公務員に重点を置いてさらに分析がなされているが、特に公務員が政治家との折衝業務や落とし所探しなどの業務に明け暮れて「政治化」することによって、公務員に必要とされる「専門性」(これは「応答性」とトレードオフである)を剥奪されている状況を指摘する。健全な財政のためには、まず公務員がきちんと専門性を持って仕事ができるような公務員制度改革が必要であるということが主張され、人事制度改革法案についても言及されていた(これが結局内閣人事局を使った霞ヶ関の官邸支配につながって、官邸官僚を筆頭に公務員の「政治化」をさらに推し進めたのは皮肉である)。

 最後に、著者は財政再建に必要なこととして、①財政再建が必要という国民的コンセンサスに至るまでの様々なレベルでの危機感の共有、②拘束力のある中期財政フレームと支出ルール、独立財政機関の設置、財政責任法の制定といった予算制度改革、③「より恵まれた者にはがまんしてもらう」という原則に立脚した社会保障制度改革が急務であるとする。③は本当にそうだなと思う次第。