死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240126-28

 また金・土ブログ更新をさぼっちゃったテヘッ。

 

【活動】

 金曜日、唐突に鬱になったので早退して、池袋でたくさん本買って(25000円!)、その後に友人とスパレスタに行きました。久しぶりにストイックにデトックスしたので大変よかった。人間にはこういう時間が必要だし、そう考えると週休2日ってのはどう考えてもおかしすぎるんだよな。そういやプレミアムフライデーってホントどうなったんすかね……?

 土曜日、大学のサークルの友人たちと新年会的な飲み会。温野菜で食べ飲み放題でした。温野菜は質が高いっすね。ビールとかハイボールのグラスが基本的にキンキンなのがありがたい。あと適度に野菜と肉を食っていける。俺もうこの世全ての飲み会が温野菜でもいいくらい好きになったかもしれない。飲み会の内容ですが、全員30歳近辺だというのにあまり会話の質が大学時代と変わってなく大変よかったっすね。

 思えば金・土が今年に入ってから一番楽しかったかもしれない。そこから振り返ってみると労働は本当にダメだ。もう殺すしかない。

 マジで俺の人生・性格的に労働とか社会が向いていないことがわかる。俺はやっぱりああいう現場で自分の真価が発揮できるし、そういう自分でいたいという気持ちがすごいあるので、労働でそれをずーっと抑圧しているのが辛すぎるってことや。どうしたらいいんだろうか。今からバクチで院でも行くかね……。無理か。でもなんかで俺は自分の人生を賦活しないとあと数か月以内に精神崩壊する可能性があるんだよな。

 ところで、本日日曜日なのですが、昨日結構飲んだせいか、二日酔いというところまでは行かないけど、体の中でずっと気持ち悪い感じが尾を引いており、微妙に辛くて午後はずっとベッドの上でぱーてぃーちゃんのYoutube(タバコ関係の企画はマジで面白い)を見ながら寝転がっておりました。今度から酒量は控えなきゃなと思うのですが、何か喉を潤すために酒を飲んでいるきらいがあるので、普通にソフドリで代替可能なのでわ……という気持ち。

 

【ニュース】

 結構いろいろあったんですけど、忘れているものの多い。やはりブログはその日のうちに書かないとダメなんすわ(今日から埋め込み式でない共有方法で試みます。)。

UNRWA職員、ハマス攻撃に関与か 米政府は資金拠出を一時停止 [イスラエル・パレスチナ問題]:朝日新聞デジタル

 イスラエルを滅ぼすのも人命救助の一環……ってコト!?

パレスチナに立つマンデラ像 イスラエル提訴に南アを駆り立てた歴史 [イスラエル・パレスチナ問題]:朝日新聞デジタル

 これは背景記事として興味深く読みました。マンデラアラファトのつながりみたいな話は全く知らなかったので面白かった。

神奈川の会社に偽名で数十年住み込み 桐島聡名乗る男、保険証持たず:朝日新聞デジタル

 これが今年入ってから一番の加速したニュースでしたね。東アジア反日武装戦線ちんぽことして大道寺あや子のエロ同人「魔羅魔羅時計」を書いていたので(大嘘)。桐島聡ってそもそも時効なんではと思ったけど、公判停止中の大道寺あや子との共犯になっている事件は時効停止されているんだよという話になって、超法規的措置君さぁ……となった。

茂木派が解散検討 歴代首相輩出の名門派閥 麻生派は存続意向も [自民]:朝日新聞デジタル

 みんなでスパーン!と解散して一回出直そうやみたいな話になったらまあよかったのにこういう地滑り的な解散になるのがなんともなあというところ。しかしこれで分かったが、多分自民党お得意の離合集散フェーズに入ったということではなかろうか。

麻生氏、上川外相の容姿に言及 「そんなに美しい方とは言わない」:朝日新聞デジタル

 本当に反省しないけど、多分マジで放言しても許される立場を楽しんでいるだけなんではないかと思う。麻生とか森とかは殺されてもしょうがないっすよ。

 

【読書】

 ベッティーナ・シュタングネト『エルサレム以前のアイヒマン』を250ページぐらいまで読みました。非常に面白いですね。まだ本題のところまではいけておりませんが。

 アーレントの『エルサレムアイヒマン』以降、それを覆す形の研究がそれなりに出てきたわけですね。本書はその中でも決定的な本のひとつと目されております。アーレントはまさにエルサレムに拉致られて裁判にかけられたアイヒマンの様子から彼の行状を遡行的に分析することによってアイヒマンを道化のようなちっぽけな人間であったという評価に行き着くのですが、これに対してシュタングネトは周到に関連史料(いわゆるサッセン・インタビューの録音や文字起こしのほか、西側諜報機関の公表済み史料など)を検討し、裁判時の弱々しく愚かにさえ見えるアイヒマンは単なる戦略的な演出に過ぎず、その本質は自己演出に極めて長けた才能ある確信的なナチであったと考える。「アイヒマンは人生のどの段階でも、相手に応じ、目的に応じて、自分をいつも新たに演出し直した。部下、上司、犯罪者、逃亡者、亡命者、被告人――どんな立場にあろうと、アイヒマンは常に自分が与える影響を正確に観察し、自分の目的に役立てるため、そのときどきの状況を最大限に利用しようとした」(p5)。本書はそれを証明するために、エルサレムに連行されるまでのアイヒマンの足跡を辿っていく。

 まず、著者はアーレントが言うような、アイヒマンユダヤ人の最終的解決において主導的な役割を果たしていなかったし、果たせるような能力も欠いていた、という説は明白に退ける。「アイヒマンの重要度は、自己認識においても、同僚たちの間でも増大し、計画や作戦に自分の名前を冠することができるようになった。そうするうちに、アイヒマンは、省を横断する会合や立案会議への出席で多くの人に名を知られるようになっていた。個人の伝記的側面から歴史をとらえようとするのは注意が必要であるが、いかに多くの重要な会合で出席者リストにアイヒマンの名前が載っているかは驚くばかりである。最初の準備段階からすでに彼が関与していたことは証明されている。アイヒマンはいろいろと実権を行ったが、それは振り返ってみれば、後にありふれたものとなった計画遂行のモデルとなる試みであった。ウィーンの中央局、ドップル収容所、サーン河畔ニスコ、シュテッティンからの移送、ゲットー化、さらには最初の大量殺人計画がそれである。ハイドリヒはヴァンゼーでの悪名高い会議で、遂にアイヒマンを、「ユダヤ人問題の最終解決」を図るため省を横断して尽力する際の正式の調整者という地位に就けたが、これは確固たる出世への次の一歩のように見えた。(中略)アイヒマンはウィーンの中央局にいたころから何度も、自分こそがそうした人間だと証明していた。つまり組織化の才能を持つ人間、今まで一度も存在しなかったことを可能にする人間として認められていた。」(pp49-50)

 この時点で、既にアイヒマンが並外れた人間であるように思えるが、彼の最大の武器は自身のイメージを巧みに利用することができる点にあった。「アイヒマンは最初から、世間で自分がどうイメージされているかを注意深く観察し、それに影響を与えようと努めた。」(p47)。余談だが、こうした巧みな戦略をこなすためにアイヒマンは極めて記憶力がよかったと著者は考えている(これはアーレントとは全く逆の判断である。)。こうした戦略が奏功し、アイヒマンは自身の名を「象徴」とすることができたのである。「「アイヒマン」という名前がすでに、ある具体的な個人名以上のものであったからこそ、長靴を履き怒鳴り散らす人間や、傲慢な監督官を見れば、それがアイヒマンだと思うのである。その名前は化身であり、同時に人が実際に晒されている権力を保証する人物でもあり、本当は誰がその権力を体現し、暴力によってそれを利用しているのかは、もはや重要ではなくなっていた。そこから結果として生じる威嚇の可能性は、顔や名前のない官僚が到達できる範囲をはるかに凌駕していた。」(p59)

 このような点を把握することで、著者はアーレントとは異なるアイヒマン像を提出する。アーレントアイヒマンが紋切り型の決まり文句でしか会話ができない知的に劣った人間だと考えていたが、著者はむしろこうした決まり文句を戦略的に使用することで、自己のイメージを増幅するようにアイヒマンが仕向けていたと考える。ひとつ例を挙げると、アイヒマンヘブライ語イディッシュ語もできなかったようだが、少し単語を知っていたのでそれを巧みに会話の中で織り交ぜて知っているかのように演出ができたのである。このようなイメージ戦略において「風貌もユダヤ人に似ているのでゲットーのどこにでも潜むことができる」、「アラビア語にも通じており近東のムフティーともつながりがある」などのイメージを効果的に演出することができた。

 アイヒマンは単なる自己演出に長けた男というだけでなく、ユダヤ人の絶滅についても積極的だったと言われている。アーレントは戦争末期にアイヒマンが忠実に移送を続けようとしてきたことを無思考ゆえと考えていたが、著者は「このユダヤ人抹殺者が最後の瞬間までにいかに活発に殺人活動を続けようとしていたかは明らか」だと述べる。その最たる証拠として以下の記述が与えられる。

 「アイヒマンが最後の絶滅活動、つまりラーヴェンスブリュック強制収容所でのガス殺にまで関与していたことには多くの証拠がある。1945年1月26日以降、ガス殺専用車両をたずさえた悪名高いオットー・モル特殊作業班(ゾンダーコマンド)を強制収容所に送っただけでなく、そこにわざわざガス室をこしらえた。」(p85)

 つまり、アーレントの理解とは異なり、アイヒマンは移送のみならず絶滅そのものについても関与していたことになる(後の法廷でアイヒマンはガス殺や射殺といった東部での絶滅に嫌悪感を示していたわけだが、これは端的に嘘ということになるだろう。)。このようなナチ的には立派なアイヒマンだからこそ、ハインリヒ・ミュラーから「もし我々に50人のアイヒマンがいたら、戦争に勝ったに違いないのに」(p87)と評されたのであろう。

 とはいえこのようにせっせとユダヤ人殺戮に勤しんでいたせいで、当然ながらアイヒマンは連合軍の戦犯リストの上位に入ることになる。また、多くの捕まったナチは、アイヒマンが自身のイメージを利用したのを逆用し、ホロコーストについて主導的な役割を果たしていたのはアイヒマンだということを吹聴していく。こうしてアイヒマンも無事では済まないことを知り、終戦後身を潜めることになる。父や妻の協力を得て、周到に逃亡の準備を企てていたアイヒマンは、米軍の収容所から脱走した後、オットー・ヘニンガーという名前で北ドイツで木こりになったり、養鶏業を営んだり、村の御婦人たちに夕べバイオリンを弾いたり(余談だがアイヒマンはモテたらしい)――という安穏な暮らしをしていたが、その後はドイツも安全でないと考え親ナチのペロンが独裁者として君臨していたアルゼンチンへと逃亡する。アルゼンチンには、ヒトラー亡き後のナチズムを復興せんと画策するルーデルや極右の媒体を運営するフリッチなどのサークルがあり、アイヒマンはそこで好意的に受け入れられるのである。

 読んだ箇所では、アイヒマンがその後はアルゼンチンでそこそこの生活をしながら(なんせアルゼンチンで4人目の子どもを産むのである)も、その単調な暮らしに不満を覚え、やがて上のようなナチズムを今後どう復興していくかという動きに合流していくことになる。上の叙述からすれば、アーレントが描いていた「悪の凡庸さ」の象徴としてのアイヒマン像はもはや通用しないことが明らかである。それでも、シュタングネト自身はアーレントの成果に一定の意義を認めている点は興味深い(この点、アーレントの分析を否定するセザラニらの実証的な研究とは一線を画している。)

 「『エルサレム以前のアイヒマン』はハンナ・アーレントとの対話でもある。その理由は、私自身がこのテーマに着手したのは、何年も前に『エルサレムアイヒマン』を読んだことに始まるから、というばかりではない。我々の歴史理解は、その事件が起きた時代とその時の状況にあまりに深く依存しているので、アーレントのような見方を捨てることはできない。懸命に努力しても、わかることはあまりにもわずかというリスクが大きいにもかかわらず、明晰な判断を下したいという彼女の勇気こそ、この本がアーレントとの対話である理由である。アドルフ・アイヒマンについて調べる場合にはもう一つ、まったく別の見方が加わる。アイヒマン研究から得られるじつに重要な洞察の一つは、次のことである。卓越した知性の持ち主を欺いて、人をその人自身の武器で撃たせるには、知性溢れる人間である必要などまったくない。その武器とは、予測が裏付けられるのを見たい、という願望である。我々がこのメカニズムを認識できるのは、自分の誤りさえもはっきりと認識できるほどの勇気をもって、さまざまに予測し判断を下す思想家がいる場合だけであろう。」(p15)