死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240129

【労働】

 虚無太郎。

 

【ニュース】

米兵3人がドローン攻撃で死亡 ガザ戦闘後、攻撃による初の死者 [イスラエル・パレスチナ問題]:朝日新聞デジタル

 めずらしいこともあるもんだ(ドラえもん風)。

桐島名乗る男、「誰の支援も受けず」と告白も 逃亡生活解明は困難に:朝日新聞デジタル

 桐島、存在やめるってよ……。

自民・茂木幹事長、自ら率いる茂木派「いわゆる派閥として解消」 [自民]:朝日新聞デジタル

 これ恥ずかしいですね……。朝日新聞はこの前に派閥解散ということを打ったわけですが事実上のトバシ記事になり、悔し紛れにいわゆる派閥としては解消ということで軟着陸をはかろうとしていますね。

 

【読書】

 昨日からの続きで、引き続きシュタングネト『エルサレム以前のアイヒマン』を読み進めており、読了。著者は本職は哲学者でカンティアンらしいが、ここまでアイヒマン関連の史料を博捜しているのには舌を巻くほかない。

 本書の見どころは、アルゼンチン時代のアイヒマン関係の資料である「アルゼンチン文書」の分析であろう。このアルゼンチン文書の中核をなすのが、オランダの武装SSであったウィレム・サッセンが中心となって行ったアイヒマンとの長期にわたる座談の録音やトランスクリプトである。この座談はサッセン宅で行われ、ホロコーストに関する研究文献(これはもちろん“敵“側の手になる文献として槍玉に挙げられる)や手に入る限りの史料などを読みながら、真剣に当時の歴史を再構成しようとする営みであった(今日でいう勉強会だろうか。極めておぞましい目的ではあるが……)。「討論の雰囲気や経過は、会議のそれに最も近い。メンバーが交代で何時間も歴史理論を語り、共同で記録文書を解釈し、各人の経験をどう評価するかについて、時にはかなり激しく論争する。入手できる記録文書を解釈し、各人の経験をどう評価するかについて、時にはかなり激しく論争する。入手できる専門書はすべて読み、へとへとになるまで討論する。時にサッセンは、次回の会合用に宿題まで配布し、大いに努力するようにと参加者を激励している。男たちはメモを取り、本についてのコメントを互いに読んで聞かせ、新しい問題を掘り起こし、講演さえ行われた。(中略)保存されているどのページからも、彼らの真剣さが滲み出ている。かくも真剣に、彼らは時に不条理極まりない理論まで作り上げたのである。」(pp339-340)

 サッセンやフリッチのような親ナチの極右からすると、アイヒマンに期待していたのはホロコーストに関する修正主義的/否定論的な論壇においてしばし「600万人の嘘」とされるものを、アイヒマン自身の証言を持って暴かんとしたことにある。これは元々、アイヒマンの部下であるヘットルが、アイヒマンが算定したユダヤ人の犠牲者の数を600万人であると聞いたことを証言したことに起因する(実際、現代の研究水準における犠牲者の推計と一致しているのは驚かざるを得ない。)。ヘットル自身はナチ・サークルからすれば裏切者であり、実際西側情報機関のためにクズ情報を売りつけて生きていたような人間ではあるが、ホロコーストを過小に見積りがちな極右論壇においてさえ「600万人」という数はショック以外の何物でもなかった。そもそも彼らの考える真の国民社会主義ユダヤ人虐殺を許容するものではなく、この歴史上類例を見ない大虐殺は、ヒトラーではなくその周りの人間たちによって画策されその責任を押し付けられたとか、ユダヤ人による高度な陰謀であるというように考えられていたのである。サッセンたちからすれば、アイヒマンはこの問題に関する真の当事者であり、彼自身の口からヘットルのような裏切者が述べた「600万人」という数は嘘であることを証言してほしかったのである。

 ところがアイヒマンからすれば、サッセンやフリッチがしきりに否定する国民社会主義ユダヤ人虐殺の連関は必然なものであるというように確信していた。アイヒマンが奉じていたナチ的世界観は、伝統的道徳を否定し、フェルキッシュな思考が要請する宿命の闘争において、すべての手段を尽くしてでも敵を根絶しなければならないと考えていた。この点でアイヒマンは極めて優れた世界観の勉強家であり、著者もその的確さを指摘している。「哲学はーーアイヒマンはこの点を正しく見ているーー根本的に「国際的」な傾向を持っている。国際的であるゆえに故郷を持たない。しかしーーこの関係性を見ることは決定的に重要であるーーナチのイデオローグたちにとって、哲学を所有しているのは一つの民族であった。つまり、ナチのイデオローグやヒトラーの煽動演説が言うには、故郷を持たず、それゆえに精神の寛容さを崇拝し国際的に振る舞う「人種」が存在した。それがユダヤ人である。(中略)「血と大地」に戻ることが生き延びる唯一の可能性だと考える世界観によれば、国際的な兆候はいかなるものであろうと脅威である。人類を結びつける道徳という理念を持つこうした思想が、民族主義的なものを根絶しドイツ人の防衛力を破壊してしまう前に、これを根絶やしにしなくてはならない。」(p305)アイヒマンのカント哲学の引用をアーレントは哲学の徒ぶった馬鹿げたものと扱っているが、著者の見解は異なる。「アイヒマンは哲学的理念に親しんでおり、それは決して、一般的教養のレベルではなかった。カント、ニーチェプラトンと並んで、ショーペンハウアーやーー大真面目にーースピノザの名さえ出した。」(p307)また、アイヒマンホロコースト関係の文献などはすべて目を通していることが判明している(p377)。「自分の犯した犯罪に戦慄する犯罪者に慰めを与えてくれる宗教」(p315)であった世界観を持つアイヒマンからすれば、サッセンらの要求に応じてユダヤ人虐殺を否定的に捉えることなどできなかったのである。この座談を通じて、アイヒマンはむしろナチ的世界観を披瀝しつつ自身の行動を正当化しようと努めたのである。

 それでもサッセンらとの座談は、アイヒマンが彼らの欲求を見抜いて曖昧戦略をとったこともあるが、それなりに穏やかに進行していた。サッセンらはどうにかしてアイヒマンから核心的な証言を引き出そうとしたが、アイヒマンはそれを回避した。こうした座談を通じて、アイヒマンイスラエル警察からの尋問に対して準備ができたのだという著者の見解にはなるほどと思わされた。この座談のクライマックスは、アイヒマンが唐突に披露したエピローグ的なモノローグである。アイヒマンはそこで「後悔することなど何もない! 絶対に降参したりはしない!」「私が1030万人のこの敵を殺していたら、任務を果たしたと言えるだろうに」などと高らかにのたまう。「アイヒマンはこの演説で、サッセン・プロジェクトを戯画化し、その企画者の意図を暴いてみせたのだから。「我々が非難される唯一の原因」、つまりユダヤ人絶滅から国民社会主義を遠ざけようと、そしてあらゆる数字を厳密に「敵のプロパガンダ」として貶め、なんとかしてできるだけ小さな数として算定しようと、彼らは何か月も試みた。それは、アイヒマンと、彼が戦争末期に言った言葉のために引き起こされたと彼らが信じる問題を解決するためだった。ところが、重要証人として期待された男が、さらに数百万も多い数字を持ち出してきたのだ。人前でアイヒマンを使ってアイヒマンを訂正するという試みが挫折したことは、明らかだったに違いない。」(p427)このアイヒマンの唐突な告白をきっかけとしてか、サッセンとの座談は自然消滅していき、アイヒマンには徐々にイスラエルの包囲網が狭まってきたのである。アイヒマンは捕まった後、裁判資料として提出されたこれらのアルゼンチン文書の真正性を頑なに否定した。これによって彼は旧友を守ったし、そしてアーレントさえも欺いた仮面の中に自らを退隠したと言える。しかし彼は結局処刑されるのである。

 本書の裏テーマは、戦後西ドイツがアイヒマンや旧ナチを裁くことに消極であったことを暴くことにもある。著者はそのメンタリティを次のとおり突く。

 「自分は他人の代理として法廷に立っているような気がする、とアイヒマンイスラエルでの最後の供述で言っている。確かに、人間が下すどんな判決でも裁ききれない大罪を個人として負う彼は、絵に描いたような身代わりだ。それでも、他人の代わりに法廷に立っているという彼の言葉は正しい。犯罪者国民は、まるでアイヒマン一人が600万人のユダヤ人を殺したかのように見せることを、嬉々として受け入れたのだ。「ドイツの若者」から罪を取り除くために公開処刑してほしいというアイヒマンの提案はグロテスクだが、この裁判の決定的な問題点を示している。イスラエルの人々はカタルシスを望み、犯罪と共犯の罪について考えることを望んでいた。アイヒマンも、この倒錯した自己犠牲が、自分のみじめな状況に熱狂と英雄的な色合いを与えてくれるとわかっていた。その一方で殺人者たち、共犯者たち、シンパたちは、スケープゴートを厄介払いすることだけを望んだ。「汝の息子たちの多くは汝を苦しめた、神聖なる祖国よ! しかし我々は汝を捨てることなく、いつまでも、いつまでも愛する!」こう書いてメンゲレは自分を慰めようとした。「判決を作り出すのは歴史に任せよう」とアイヒマンは家族への別れの手紙に書いた。アイヒマンもメンゲレも、現在からはもはや何も期待できなかった。」(p498)

 最後に、本書はサッセン文書を含むアルゼンチン文書の複雑な経過を詳述しているが、著者が批判しているのは、連邦憲法擁護庁が収集したアイヒマン関係の文書を未だに全面的には公開していないドイツの姿勢だ。この姿勢こそが、アイヒマンを追うことにドイツが消極的であったという疑念を生じさせているのだとしている。

 

 とまあ、何とか大部な書物を読み切ったわけですが、勢いに乗ってさらにもう一冊も読みました。小野寺拓也・田野大輔編著『<悪の凡庸さ>を問い直す』(大月書店)です。比較的短い本なのですぐ読めました。が、メチャクチャ面白かったです。実はこの本を読むためにアーレントとシュタングネトのアイヒマン本を慌てて読んだという経緯があります。

 端的に言うと、シュタングネトの邦訳をきっかけとして、改めてアーレントが提出したこの概念に向き直ってみようというのが本書の志である。まず、序で小野寺が、悪の凡庸さという概念がどのような形で日本社会で広まってきたかを分析し、それがある種の単純な「歯車」としての組織人を指すように使われてきたことに着目する。しかし、昨今はそのような「命令受領者」にとどまらない「忖度」の傾向が森友学園の問題以降指摘されている点を卑近な例として挙げ、それは昨今のナチズム研究における「総統の意を体して働くWorking toward the Führer」(カーショー『ヒトラー』)に近いのではないかと指摘する。改めて、悪の凡庸さでは説明しきれない事態がアイヒマン自身やナチ体制においてあるとすれば、改めてアーレントに立ち帰りつつもその概念の限界や意義を詳しく検討する必要があるのではないか、というのが本書のプロジェクトであるとする。

 その後はマジでバチバチである。第一部では、シュタングネトを訳した香月恵理による論文「<悪の凡庸さ>は無効になったのか」、では『エルサレム以前のアイヒマン』の簡潔な要約が提示されるが、これぐらいが本書における中立、と言えそうなところであった。その次のナチズム研究を生業とする田野論文「<机上の犯罪者>という神話」は、シュタングネトによるアーレント批判は既にナチズム研究においては当たり前であるということを確認した上で、「もう悪の凡庸っていう概念でアイヒマンを論じるのはどうなんかね」と真っ向からアーレントへと切りかかっていく。悪の凡庸というよりも、「行政的殺戮」(ヒルバーグ)を企画しイニシアチブを握ってきた中央の幹部たち=「机上の犯罪者」たちがどのようなイデオロギーを背景として絶滅へと意識固めをしてきたのか、といった分析を試みる方がホロコースト研究においては重要であると指摘される。この際に「反ユダヤ主義を単なる主観的要因に還元するのではなく、多種多様な動機や感情を動員して個々人の行動を方向づける一種の構造的枠組みとして捉え直すことで、絶滅政策の推進者たちの行動はより適切に説明できるようになるだろう。」(p63)との指摘にはなるほどと思った。この他、田野の論文はアーレントアイヒマン分析について悉く見直しを迫っている点はいずれも説得力に富む。

 他方、三浦隆宏(哲学者)の論文「怪物と幽霊の落差」は、いやいや悪の凡庸さという概念にはまだまだその「教訓」としての有効性があるし、アイヒマンに対する分析としても妥当でないかという反論がなされる。アイヒマンのほら吹き・決まり文句への依存・モノローグ的な思考という特徴については、アーレントもシュタングネトもそれぞれ別の見方から裏付けている。さらに言ってしまえば、アイヒマンが自己演出のプロなのだとしたら、アーレントの言う凡庸さも、シュタングネトの言う怪物的なナチというのもどちらも本当のアイヒマンではなく、そもそも本当のアイヒマンなどいなかったのではないかと三浦は喝破する。平たく言えば、シュタングネトはシュタングネトで自身の見たいアイヒマン像を拵えてしまう「罠」にハマったのではないか、ということである(こんなん言い出したら歴史研究なんか無理じゃないですかね……と正直に思いました。)。

 その次の百木漠(アーレントを専門とする思想史研究者)の「<悪の凡庸さ>をめぐる誤解を解く」は、通俗的アーレントアイヒマン解釈の理解を退け、そもそも大した説明もなされていない「悪の凡庸さ」についての理解を何とか取り出そうと努力している点では興味深く読んだ。「自らの言葉で自らの行為や自らの置かれた立場を志向できないこと、そしてそれを他者に伝達できないところにこそ、アイヒマンの「凡庸さ」が現れているとアーレントは見ていた。」(p108)と考える百木は、アイヒマンを「彼には「本当の姿」(根)などなく、その都度の状況に合わせて自らの思考や言動を融通無碍に変え、「決まり文句」で表面を取り繕いながら、自らを「昂揚」させる地位をめざし続けるという「浅薄」で「根を欠いた」存在」(p115)、つまり哀れな「道化crown」だったと考える。この際立った浅薄さこそ、アイヒマンが「悪の凡庸さ」という概念によって指弾されるべきである人間であるとして、「悪の凡庸さ」概念が単なる社会学的な人間類型論にとどまらず、アイヒマンを析出する重要な概念であるという救い方をしようとする。

 第二部では、これらの論者に加えてアーレント研究者である矢野久美子も加えての座談会が繰り広げられる。本書の肝はここで繰り広げられる異なるディシプリン間の鍔迫り合いである。例えば小野寺が「悪の凡庸さという概念の有効性が微妙なので、この言葉を使うのをスパッと辞めちゃってもいいんではないか」という話をすると、矢野や百木は「いやいやその言葉が使われてきた知的コンテクストや意図が重要なのであって単純に廃棄できるものではない」と反論する。単に歴史学的な分析概念としては使用に堪えないという判断と、あくまでその言葉それ自体の布置や連関、生成の契機を重視する思想史のアプローチの深い懸隔が見えたような気がした。

 また、個別具体の論点でも顕著な対立点があり、本書で一致したようには見えなかった。例えば小野寺や田野はアイヒマンにおける「反ユダヤ主義」的傾向、つまりイデオロギーを重視しているが、百木や三浦はアーレント的なアイヒマン像に引っ張られているきらいがあり、実証研究が肯定するような怪物的アイヒマン像をむしろ相対化しようとしている(アイヒマンを「怪物化」することで見失うものがあるのではないか、と言われるのだが、いったい何を見失うことになるのかがいまいちピンと来ない。)。アーレント的立場に立てば、アイヒマンにとってはシオニズム反ユダヤ主義もツールなわけだが、他方ナチズム研究化すれば反ユダヤ主義はナチズム下の人々を規定してきた「包括的な次元」にあるものであると考えられ、アイヒマンといえども簡単に着脱できるわけではない。

 また、ナチズム研究の「目的」というか「意図」になるのだろうが、全体主義体制下における人びとの責任という問題に絡んで、小野寺や田野はアイヒマンやナチ幹部における「主体性」や「エージェンシー/行為可能性」について論究しようとするが、この点でも思想史や哲学の研究者的にはピンときていない感じがあったのも印象的だった。その後の議論の展開が示しているように、恐らく「主体性」という概念が両者の間であまり共有されていない感じがあったのだが、アイヒマンホロコースト上の不可欠なキーパーソンと見るか、あるいはホロコーストという雪だるま式(累積的急進化)の出来事の最中の代替可能な人物と見るかという、ここでも実証研究対アーレントの見方が伏在しているような気がした(ただ、出来事に巻き込まれたからあんたは無罪なんだよ、という話はアーレントは一切していない点は重要である。)。

 最後に、悪の凡庸さが通俗的に広まってしまっている状況について、矢野や百木は概念の広がりにそこまで目くじらを立ててもねえ、という立場だったが、田野が悪の凡庸さが「上の命令に従っただけ」という形で悪くないんだという開き直りを生じさせ、それが歴史修正主義的な動きにも養分を与えるのできちんと歪みを指摘すべきだとしている。この田野の指摘は重要だなと思った。

 読んでいて思ったのは、思想史研究者と歴史研究者の間で概念の取り回し方とか、研究対象の距離の取り方とか、抽象化の程度の違いとかがこれほどまでに克明に出てくる本というのもそうそうないのではないかということである。対立点が解消されたわけではないが、こういう異文化交流はそれはそれで実りのあるものなのだろうなと思いました(こなみかん)。

 

【雑感】

 アイヒマンアイヒマンと書いているとアレなんですが、俺の大学時代の綽名のひとつはアイヒマンでした。別に組織能力や実務能力に優れているわけでもなんでもなく、単純にたまたまサークルでそういう調整的な役職に就いていて、不謹慎ジョークを言わないと気が済まないサークルで不可避的についた綽名、というだけなのですが。ただ、組織能力はないですけど実務能力はある方だと自負しています。やる気はないのですが。むしろ上述のような意味でのアイヒマンというのは、まさしく北村滋とかああいう滅私的な官僚を指すのではないかなと思いましたね。そういう意味ではアイヒマンも褒め言葉になるでしょう。みなみかわもアイヒマンスタンダードに戻せ。