死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240131-20240201

 すいませんね、一昨日は飲み会があり、昨日は寝落ちしたので。そして今日も飲み会があるので恐らく更新は土日のどっちかになろうかと思われます。

 

【労働】

 相も変わらず、ですね。いてもいなくても変わらない人間であり続ける。それでいいのか? というとそれはよくないし、やはり労働にもそれなりの人格的配慮が求められるのでしょう。「人生に対する路傍の人」でない限りは。

 

【ニュース】

 実は今回はあんまり、という感じなんですよね。まあいろいろ興味深いものもあったような気がするんですが。

 

【読書】

 佐藤春夫編著『漱石の読書と鑑賞』(中公文庫)は読了しました。よかったですね。

 あんまり近代日本の小説を読んでこない人生だったのですが、今回収録されている短編や抄録された小説なんかを読むとなるほど面白いと思うことしばしです。でもやっぱりここら辺の小説家では芥川が一番好きだなというのを、『鼻』と『芋粥』を読んで改めて認識しました。

 最初に芥川のこのあたりの物語を読んだのは小学生という記憶がうっすらあるんですよね。この時期背伸びして文庫本を買ってもらって、それをスイミングスクールの帰りに読んでいたという記憶があるわけです。芥川の『鼻』なんかを今読み直してみると、内供の心理描写や主観的な情景の描き方(お弟子に鼻を踏まれた時など)なんかは冴え渡っているなと思うし、『芋粥』の五位にはまさに今の自分のような境遇を感じるところがあるので、非常に感じ入ってしまった。

 とはいえ、他の小説にも面白いのはたくさんあって収穫でした。個人的には伊藤左千夫の『野菊の墓』はマジもんのクソエモ小説っぽくて全編読もうかなという気持ちになった。本書に採録されているのは、主人公政夫と両想いだった一歳年上の民子(政夫は年下なので望まぬ結婚を強いられた)と死に別れて墓参するところ。こういう悲哀を求めて昔たくさんギャルゲーをやった時期があったンゴねえ……。民子が最後に死ぬ時に政夫の写真と手紙を握りしめていたという話はベタだけど心打つ感じがあります。「民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙とを胸に離さずに持って居よう。幽明遥けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。」という掉尾を飾る一文はずしんときました。

 あとは夏目漱石がその死に「あるだけの 菊投げ入れよ 棺の中」という名句を捧げたことで知られる女流作家・大塚楠緒子(なおこ/くすおこ)の「そらだき」も抄録ながら面白かった。一高に行く恋人が手紙を書くと言ったら一週間に一度二度ではなく「七度書いてお送越しなさい」という女もさることながら、無花果を二つに分けて「僕が半分、あなたが半分、僕の食べる無花果の半分を、僕はあなたでなければ誰れにも遣りはしない」という恋人の方も狂ってて最高にいいっすね。この情景自体が、その恋人と死に別れた女の幻想であったというのが、語り口が三人称から一人称への切り替えで示してくるのはこにくいが我に返った感があって面白いですね。

 あとすいません、ワイ灘高出身ではないので銀の匙を読んだことがなかったので本書ではじめて読みました。銀の匙って伯母さんが昔薬を運んでくれた匙とそういう由来だったんですね。