死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240229-20240301(原発銀座弾丸視察始末記及び映画ドラえもんの感想)

【旅行】

 誰しも年に一度は何かを思い立つことがあると思う。かくいう俺もそうで、唐突に有給をとって福井に行くことにした。なんで今? わかんねえ。なんで福井? わかんねえ。だけど、とりあえず今の閉塞感を打ち払うためにも、どこか旅行に行きたかったのだ。

 

 というわけで早速新幹線の切符と泊まるところを当日朝に予約した。そして、もちろん終業後即職場を飛び出して北陸新幹線へライドオンした。この前乗りの感覚がたまんねえのよ。

 昨年から発作的ランダムイベントとして発生する俺の弾丸旅行は、常に業務終了後から次の日までの1泊2日の旅程だ。しかも、行く先では24時間も滞在せず、大体夕方ごろには東京に帰ってしまう。こいつは旅のなんたるかをわかっていないというお叱りを受けること間違いなしだが、最近これには理由があるのではないかと思えるようになった。そう、前乗りが楽しくてやっているのだ。

 前乗りとは、言ってみればボーナスタイムである。つまり、本当だったら明日の朝早く行けばいいのに、あえて前日の夜にビジホとって泊まり込むことで、明日は当地で早い時間から活動できるし、また前日夜には当地の居酒屋などでしっぽりと楽しむことができる。旅行は一般的に開放感をもたらしてくれるが、それをより増幅させるのがこのタイパ抜群のムーブメントである。

 ところで、これは次の日に待っている旅行が本義であって、前乗りは言ってみれば余興に過ぎない。しかし果たせるかな、なんと俺は前乗りの方を旅行の本義と捉えている、かもしれないのだ。とにかく仕事が終わった後の無為になりがちな夜の時間を最大限賦活できるという喜び。ビジネスホテルにチェックインした後はウキウキ気分で夜の街に飛び出し、そこでうまい地酒に出会って顔をほころばせ、美味しい料理に舌鼓を打つ。二軒ぐらい行ったらホテルに帰って大浴場でひとっ風呂を浴び、そのあとは部屋でダラダラ飲みながらYoutubeをみる。明日の旅行に期待を膨らませながら……。これほどまでに楽しい時間は人生にそう何度も訪れるものではないが、前乗りすればそれが簡単に実現するのだ。俺はいつしか旅行の日程は前乗りありきで考えるようになっていた。そして、その後の旅行については、まあ正直1日動き回ると死ぬほど疲れるので後はさっさと帰っておうちで寝よう、そうすればまだ1日休みが残るし……という何とも不真面目なブーメラン旅人と化してしまったのである。

 しかし、前乗りの快楽は何にも替え難い。普通に朝東京を出て1日中色々なところを回って疲れ果てて落ち着く夜と、東京の倦怠感とともに新幹線に揺られた後に当地に着いてから一杯やる夜では、後者の方が打ち払う闇の大きさがでかいので、そのカタルシスも人一倍である。そして、いくら旅行開始当日にあまり重きを置いていないにしても、やはり旅行それ自体の開放感を味わえるということ込みでの前乗りの楽しさなのだ。その意味では東京でビジネスホテルとってアホみたいに飲んだくれても決して前乗りと同じ快楽を得ることはできないのだ。

 

 さて、長くなってしまったが、こんな感じで前乗りファーストな人間なので、正直福井に行くということに目的にも何もなかった。そもそも、実は福井の前に九州とか四国とか行きてえなと思ったのだが、バカなので航空券は当日買うとめちゃくちゃ高いということを知らなかった(福岡行きの航空券が3万かかると知って「は!?」となった)。このため、どこか交通費往復4万以内で行けるところはないかと探していたら、ちょうど福井がヒットしたという顛末である。福井の有名どころは東尋坊しか知らなかったのだが、母親から数年前に行ったじゃんと指摘されたので、じゃあどうすればいいのかを考えあぐねたまま、東京を脱出する時間となったので、行き先も決まらぬまま飛び出したという具合である。

 北陸新幹線で金沢まで行き、サンダーバードで福井まで行くというルートだったのだが、これで計3時間半ぐらいかかる。北陸新幹線が3月に敦賀まで延伸したら最大30分は短くなるらしいが、しかしやはり遠い。この旅路はしんどいものになりそうだと思いながら、とりあえずApple Music Classicでモーツァルトなどを聴きながら、『精選 神学大全 2』を読み進めて凌いだ。もうお外も真っ暗なので車窓から見える景色どころではなかったからだ。

 さて、腰の痛みに耐えながらなんとか福井に到着した。早速恐竜の展示を一枚パシャリ。福井ってそういえば恐竜あったなとこの時気づいたのである。

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 実は、福井をどう回っていけばいいのか全くわからなかったので、福井を「第nの故郷」と愛している大学の先輩に教えを乞うたところ、色々とスポットを教えてくれた。ただ、夜の飲み屋については特に教わっていなかったし、かといってめちゃくちゃ腹も減ったのでそろそろ何か胃にものを入れたいなと思い駅前をウロウロしていた。この日はあいにくの雨模様だったので、さっさと店を見つけないとずぶ濡れになるおそれがあったので、孤独のグルメよろしく吟味する機会はなく、もうなんでもいいからと思って駅前30秒ぐらいの居酒屋に飛び込んだ。結果としてここが当たりだった。天ぷらメインの店だったが、きちんと福井の字のものを取り揃えており、また地酒も数を揃えていたのは嬉しかった。一人だったのに個室に案内してくれたのも大変ありがたい。

 

 以下はここで喫食し、飲んだメニューの写真である。
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 これは永平寺胡麻豆腐。たまには豆腐でも食うかと思って頼んだが、結構うまかった。普通の胡麻豆腐との違いはよくわからないが、俺は胡麻豆腐が意外と好きかのかもしれない。
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 フライドポテトと鶏天。オモコロのマンスーンっていう人が飲み屋で必ずフライドポテトを頼むというので、その顰に倣ってみた。昔大学のサークルの飲み会で焼肉屋でフライドポテトを頼んだ後輩がいて、「リベラル・コミュニタリアン論争」に準えて「焼肉・フライドポテト論争」と面白がっていたのだが、今考えたら酒にフライドポテトが合うのは世の真理なのだからどこにだってあってええんや。そして今は一人旅なので俺の注文の粗相をどうこう言う人間は誰もいない。完全に俺の恣意によってテーブルがメチャクチャになっていくのは気持ちいいものですね。鶏天は美味しかったです。ここの天ぷらは米油を使っているのかあまり重くなくひょいひょい食える。
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 本日のおすすめの福井サーモン。親がサーモン嫌いで食卓にあまり出てこなかったので、自分で進んで頼むこともあまりないのだが、この日はなぜか気まぐれで頼んでみた。めちゃくちゃうまかったっすわ。
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 天ぷら第二陣。海老天、ふぐ、ホタテのいくらのせ、まいたけ。ふぐうまかったっすね。唐揚げもあったのだが1500円なので流石に遠慮しました。これはもうとにかく「ハフッ! ハフッ!」と食ってたので正直そこまで感想は覚えていない。
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 日本酒三種飲み比べとおつまみセット。黒龍大吟醸クリスタルドラゴン、白岳山辛口純米真紅、常山詠花かすみさけの三種。個人的には常山が一番飲みやすかった。なんか飯食う時に飲む酒はどちらかというと辛口チックなものを求めている気がします。他のもうまかったですが。おつまみで特筆すべきなのは富山の名産へしこ。鯖等を米糠で漬けたものなのだが、この塩辛さは明らかに死神じみていた。しかし酒は無限に進む。うまい。うますぎた。これは自分用のお土産に刺身の缶詰を買いました。
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 もう一杯飲みたかったので、白龍の純米吟醸を1合。これで540円って価格崩壊かよ。しかもするすると飲める。へしことこの酒だけでずっと戦っていた。
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 一応名物を、と思いおろしそばを食べました。地元の蕎麦屋にこういうのを出す店があるのであんまり驚きはないのだが、そばが太くて食いごたえがあった。天ぷら付きを頼んで海老被りしたのは痛恨のミスでございました。

 さて、これでだいたい7000円だった。普通にメチャクチャ飲み食いしたのでまあ妥当な金額だと思う。時計は22時前ぐらいだったので、もう1件ぐらい行けるかなと思いながら駅前を彷徨していたら、「焼鳥の秋吉」なる看板が目に入った。なんか聞いたことあるなと思いつつ入ると、ラストオーダー30分前なのに店内はほぼ満席の大盛況だった。活気があっていい店だと思いつつ、まずは生を注文した。
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 結局この店では、生ビール、一刻者のソーダ割り、純けい5本(雌の鶏、らしい)、心臓(豚)5本、漬物でストップした。普通にお腹いっぱいすぎたのである。昔だったらここの焼き鳥20本ぐらいいけたなと思いつつ、歳を実感した次第である。俺はこの間ずっと胃の縮退に抗って、体重がリバウンドするリスクも省みずパンパンに飯を食ってなんとか胃袋を鍛え直そうと努力してきたのだが、やはりどうしても限界があるようだ。こうなったら普通に痩せたほうがいいのかもなと諦めと悲しさを覚えつつ、ここは2000円でチェックした。
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 とぼとぼとホテルへ向かう途上で見つけた恐竜。街中にこんなんあるのすごいな。いつかレーニン像よろしく引き倒そう。いつまでも過去を引きずってはいけない(嘘だよ、ホントのことは過去にしかないよ)
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 歩いていると、あんまり人がいない。えっ、中心部でも過疎ってるのか……?と思っていたら、春風亭昇太が来るという案内を見て安心した。まだここにも人が来るのだ。
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 さて、ホテルである。俺の大好きなホテルであるドーミーインを朝食付きで予約した。禁煙のツインという最高の部屋を割り当ててもらってテンション爆上がりであったよ。最上階の温泉は、壺風呂がメチャクチャ俺に最適の温度で、20分ぐらい浸かってしまった。どういう体勢がいいかなと模索した結果、壺風呂の縁に肘とふくらはぎを乗っけて、上から見ると磔刑のキリストの鳩尾にメイウェザー並の一発を入れたかのような、尻がギリギリ湯船の底に浸かない程度に沈むという体勢が最高だと気づいた。雨に濡れながら入る温泉がいっちゃん気持ちいいのや。その後、風呂上がりにアイスをもらって、ビールを買って部屋で飲みました。アイスモナカ食いながら飲むビールも悪くはない。適当にふっくらすずめクラブとか見ていたらそのまま寝落ちしました。ちなみにこの時点で明日の旅程は全く決まっておりませんでした。

 朝飯は撮り忘れたのですが、ドーミーインにありがちな「ご当地グルメの鬼怒川ワールドスクエア」みたいな構成でした。海鮮丼も食ったし、ソースカツも食ったし、おろしそばも食ったので、とりあえずこれで万一旅行でしくじっても少なくとも飯の面で思い残すことはないなと確信した。あと、こういうビジホの朝飯でしか食わないヨーグルトとかフルーツとかメチャクチャ食べて、偏っていた食の天秤を急速に水平に持っていこうという無駄な努力を試みました。

 朝飯を食いながら、結局東尋坊は行ったしどこ行こうかなと思っていたのだが、そういえば福井に原発あるじゃんと気づいた。原発はやはり見ていて面白いものなので、原発を見に行こうと思い立ち、今日は敦賀に行くことを決めた。

 日本原電とか関西電力のウェブサイトで見ると、原発の近くに資料館みたいなものを置いているとのことなので、その辺りにいければなんか原発も一目見られるだろうと思った。問題はどうやって行くかだが、まあタイムズカーシェアがあるだろうねと高を括っていたら、まさかのどこの車両も予約で埋まっていた。仕方ねえ公共交通機関で行くかと思い、とりあえず福井から敦賀へ向かうことにした。

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 これはホテルから駅までの通り道にあった。「千歳くんはラムネ瓶のなか」というライトノベルの舞台が福井らしいのだが、残念ながら全く知りませんでした。まあこのライトノベルがすごい!を2年連続受賞しているということなので、斯界では有名なのだろうと拝察する。Wikipediaを見るとスクールカースト頂点くんが主人公らしいということであーぜってぇ読みたくねえと思ってしまった。今の若い世代はそういうのに歪んだ感情を持たずに読めるのか。人間の心も進化するんですね(進化心理学並感)。だっる。


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 その隣にあった、福井への新幹線延伸に合わせた駅前のクソデカタワマン建設光景。こうやって世の中はどんどん虚無になる。ラノベ脳とタワマン文学バカが蝟集する場としての福井ーーなんも言えねえっす。

 とまあ駅前の景色にもにょりながらも、福井駅に着く。敦賀原発の資料館へは敦賀駅からでもバスで行けるからええやろと思っていたのだがここで疑念が湧く。あれ、バスって普通に出てるのか? 時刻表を調べてみると、やはり7時のバスの後は12時までしかなく、復路のバスは17時からだという。流石に原発に5時間釘付けはしんどいので、急遽敦賀駅近辺でタイムズカーシェアが借りれないか模索したら、なんとプレミアムクラスの8人乗りのノアが空いていた。1人で8人乗りのクソデカ車を運転するのかよと思いながら、まあいいかと思い予約を入れる。

 とまあ、ここまでお読みの方はお分かりの通り、俺は旅が相当下手くそである。そもそも旅行の計画を全く立てていないので、本当に旅程が運次第になってしまっている。まあ、思い立った旅路なのでしょうがないが、これだと本当に近場の旅しかできないので、誰か旅行計画を立てるコツを教えてください。そういう新書があったら読みたいンゴねえ。

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 これはそんな旅下手30歳童貞ハゲ太郎を見下す恐竜博士。ブチ殺すぞ。

 

 さて、敦賀駅に着いて、普段のカーシェアではコンパクトカーしか運転しないため慣れないノアを駆りながら、敦賀半島を爆走した。やはりシーサイドをドライブするのはとても気持ちよく、昔みたいにタバコをふかしながら運転したいなと思ってしまった。ちなみにほとんど他の車と遭遇しなかった。人がいなくて原発しかないってコト!?

 

 さて、ここからは敦賀原子力館と美浜原発PRセンターを視察した感想を述べる。ちなみにどちらの施設でも写真を結構撮ったのだが、果たして載せていいのかわからなかったので今回は掲載しない。また原発の写真を撮ることはダメっぽかったので、俺の心に留めておく。敦賀(3・4号機の目処が立っていない以上)も美浜も最終的には廃止される原発ということなので、ある種の滅びの郷愁のようなものを感じながら眺めていた。とはいえ、廃止・廃炉プロセスは数十年かかるものなので、まだまだ全然見ることができるのだけど。
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敦賀原子力館>

 丘の先から敦賀原発が見える位置にあった。実は普通にどこが駐車場か分からずに迷っていたら関係者専用みたいなところに入ってしまい、血相変えた警備員に止められた。まあ、金曜の昼間にこんな変人が来たらテロか拡大自殺を疑うわな。ただ、そのぐらい案内やら標識やらに乏しいので、本当に客入れる気あるのか?という感じ。結局たどり着いたはいいが本当に一般用駐車場なのかも分からんところに車を停めました。

 館内では、原子力発電の一般的な説明のほか、敦賀原発の歴史、原発の構造、現在の廃止への取り組みなどが展示されている。個別にはなるほど勉強になるなとは思った。ただ、アトラクションみたいなのがほとんど調整中あるいは中止状態になっていたのが残念だった。

 子ども向けのアトラクションも恥も外聞もなくやってみた。自分でレバーを回しながら電気を発電して新幹線の模型をレールで動かすのは面白かった。あと、全然原発と関係ないUFOキャッチャーとかもあったのだが、なんかドラえもんとかプーさんとかパチモン感の否めないキャラデザで微妙になった(ちいかわがメチャクチャあった。)。

 それと、原発関連の資料ということで本が10冊ぐらい置いてあった。一応全ての本をパラパラとめくって、目次から拾い読みしたのだが、いずれも脱原発政策の批判か、中立的なエネルギーに関する記述だけで、脱原発の論者に関する本は一冊も置いてなかった。ドイツの脱原発政策は日本人には真似できないとか、今後のエネルギーミックスや脱炭素の観点から原発は必要とか、まあそりゃそうなのですが。

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 外のトイレで男女の標識のうち男が死んでいた。多分近い未来を暗示していて怖いが、男が滅びれば人類も滅ぶので良い。逆もまた然り。
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<美浜原子力PRセンター>

 こちらは橋を渡れば美浜原発で、その手前に立っていた。2階からは美浜原発を見渡すことができたので、建屋などをじっくりと見物できた。

 ここはすごく応対がよく、受付の方がパンフレットを渡してくれた。また、展示資料もわりかし整理されており、説明は敦賀とほとんど同じなのだが、割とわかりやすくできていたと思う(というか俺が最初に敦賀で多少なりとも理解を深めていただけかもしれないが。)。個人的には、原子炉内部の構造とかを原寸大の模型等でわかりやすく展示しているのがありがたかった。

 

 どちらの施設にも、地域住民との交流!みたいなのがテーマにあるらしく、地域の品とかをこれみよがしに掲げていたが、あんなに一般市民から隔絶された原発を念頭に「交流」なんてどの面下げて……という気持ちがある。

 それはそれとして、個人的には原発は必要だと思っている。ただ、東京の霞が関を更地にして原発を建てるべきだと思う。海辺に建てなきゃいけないだって? じゃあ敦賀半島霞が関全部移転したらええんや。

 
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 これは敦賀気比神宮というところ。何とこの大鳥居木造なんですって。すごい。原発と同じく人間の頑張りが出ているものには感銘を受けるので。感銘を受けすぎて賽銭で500円入れちゃったよ。500円入れなかったらコインパーキングで1万円しかないから遠くの店でいらんもん買ってお札を崩さずに済んだのですが……。

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 パ軒です。ヨーロッパ軒総本店にてスペシャル三種盛りセット+牛カツトッピングを頼みました(1950円)。これがうますぎた。ソースがメチャクチャご飯と合うし、そもそもこの揚げ物たちのレベルが高い。衣がメチャクチャよく、噛むたびにいいかほりがしますのよ。

 

 とまあ、福井を満喫しまして、あとは帰りました。夕飯は地元でココイチを食いましたs。パリパリチキン+手仕込みとんかつ+ほうれんそう、これが最強や。

 何だこのイカれた旅程は、と思うでしょう。永平寺とか東尋坊とか一乗谷とか鯖江とかもっといろいろ行くところあるでしょうと皆さん言うかもしれません。子答えて曰く、うるせえ! 俺には俺の旅路があるんだよ! 君だけの旅路を作れっていうSuaraの教えがずっと心に刺さったまま生きてんだこちとら。思うまま足滑らせて描く未来へとぶつかっていけ。

 まあ総評ですと、福井はとてもいいところだと思いました。普通にdigり甲斐がありますよね。今度行く時は恐竜とか文化とかそういうのを攻めてみたいと思います。何かラーメンとかも食いてえな。

 それと教訓。マジで旅の計画は事前にしっかり立ててちゃんと準備しよう。特に乗り物類は早めに予約しないと全部詰むわ。運任せにしてたらいつかスゲェ痛い目をみると思います。

 

【映画】

 『映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)』を見ました。福井からとんぼ返りしてレイトショーで。これが俺の生き様や!!!!!

 最初に総評を述べると、かなりの意欲作だとは思うので、その心意気は率直に評価したい。そして、近年の映画に比してもそれなりにウェルメイドな出来栄えで、かなり周到に伏線を張っているので、多分大体の子どもたちを置き去りにしながらも大人も楽しめるような作品には仕上がっているとは思う。ただし、(子どもたちを置き去りにしているということと関連するが)これは本当にドラえもんというフォーマットでやる必要があったのかというとかなりの疑問がある。なお、俺の邪推では、誰かが「ドラえもんで音楽映画やりましょうや! ONE PIECE FILM REDみたいな奴!」とかのたまったのではないかと思っている。

 以下、ネタバレガンガンするので注意してください。

 

 あらすじ。のび太たちは学校の音楽会に向けてリコーダーを練習するが、案の定のび太はうまく吹けない。調子っぱずれな音が「のんびりのほほんのび太の「の」」とからかわれる始末。そんなリコーダーに嫌気がさしたのび太は、「あらかじめ日記」という書けばそのとおりの出来事が起きる最強デスノートみたいなひみつ道具を使い、音楽の授業を延期する「音楽がなくなった」とあらかじめ日記に記す。音楽の授業はなくなるが、「音楽」そのものもなくなってしまったことで世界中であらゆる不都合が生じる。ドラえもんがあらかじめ日記のページを破り去ることで何とか元通りに戻し、道具の力でなく自分で練習しないといけないとのび太を諭す。のび太は河原でリコーダーを練習するがまたしても「の」の音を出してしまう。するとその音を気に入った不思議な少女が、のび太にもっとリコーダーを吹くようせがむ。のび太がリコーダーを吹くと、少女も美しい歌声で応じる。歌声に感動したのび太が目を開けると、既に少女はいない。

 翌日ものび太はみんなと一緒に練習するが、なかなかうまく吹けない。そんな時に昨日の少女が合流し、少女の歌に導かれるようにみんなでリコーダーを吹く。そこにドラえもんがロボッター音楽隊とムード盛り上げ楽団を引っ提げて登場し、最高に気持ちいい音楽を奏でることに成功する。またしても少女は消えてしまうが、その夜、のび太たちに「夜学校の音楽室に来てください」という案内状が。言われたとおり音楽室に行くと、そこでのび太たちは宇宙に引き上げられ、そこで先ほどの少女とロボットと会う。少女はミッカ、ロボットはチャペックといい、彼らは惑星ムジカで作られた人工衛星「ファーレの殿堂」で長きにわたるコールドスリープから目覚めたのだという。ファーレとは地球でいう音楽のことで、この殿堂を音楽で満たすことで衛星の中で休止している様々な機能が復活するので、その手伝いをしてほしいと頼まれたのび太たち。チャペックはのび太たちの演奏を聴いて彼らを伝説の「ヴィルトゥオーゾ」だと勘違いしたのだが、事の成り行き上のび太たちは楽器を用いて協力することになる(のび太はリコーダー、しずかちゃんは打楽器(主にマリンバ)、スネ夫はバイオリン、ジャイアンはチューバ)。のび太以外の3人は徐々にうまくなっていくが、のび太は一向にリコーダーが吹けないまま。それでものび太たちは様々なエリアや機能を音楽を使って再起動していく中で、この「ファーレの殿堂」は実は一種の船で、惑星ムジカが滅びた際の生き残りがいたこと、今はミッカ以外は全員亡くなったことなどが明らかになる。

 惑星ムジカの滅んだのは、「ノイズ」という宇宙の怪物が原因だった。ムジカはファーレ=音楽をエネルギーとして栄えていたが、そのエネルギーを独占しようとした勢力が強権的な手法でファーレを抑え込み、ムジカにファーレが鳴らなくなってしまった。この鳴らなくなった瞬間にノイズがムジカに襲い掛かったことが、惑星が滅んだ要因であることが明かされる。ノイズはファーレを嫌うので、ファーレが満ちたムジカには手が出せなかったのだ。そして、ノイズは地球にも迫っていた。というのも、地球もムジカ同様本来であればノイズが手を出せないのだが、のび太があらかじめ日記を使って音楽を短期間ながら消し去ったことによってノイズが手を出せるようになったのである。地球を守るために、ノイズが嫌う音楽を奏でる必要があるが、それにはかつて数万年前に地球へと脱出したミッカの双子の妹が持っていたムジカの縦笛で、ファーレの殿堂を完全に再起動する必要があるという。そのムジカの縦笛をなんやかんやで手に入れたのび太たちは、ノイズの猛攻をしのぎつつ、ミッカがムジカの縦笛を完全に吹くことでファーレの殿堂を再起動させようとしていた。しかし、縦笛は最後の音が欠けており、再起動まであと一歩のところで手詰まりとなる。そこにのび太が偶然「の」の音を奏でた途端、ファーレの殿堂が再起動する。失われた音は、まさにのび太の「の」だったのだ。

 ファーレの殿堂は巨大な楽器としての機能を有しているので、ノイズへの有効な対抗策になりえた。殿堂にいるロボットたちと、のび太たちが力を合わせ、チャペックの作曲になる「地球交響楽(シンフォニー)」を奏でてノイズを撃退しようとする。しかし、ノイズはそれすらも抑え込み、殿堂を破壊しのび太たちを宇宙空間に投げ出す。無音の宇宙空間では音楽を奏でることがままならないためノイズに手も足も出ないのび太たちだったが、ここであること(後述)がきっかけで宇宙空間であるのに音が出て、地球から生じる様々な音も追い風となったことで、のび太たちはノイズとの最終決戦に挑む。地球・ファーレの殿堂・のび太たちのシンフォニーが、最後にはノイズを完全に打ち破り、無事地球は守られた――というのが大筋のところである。

 

 次に評価。先に述べたように、本作は意欲作である。まず、これまでの大長編とは異なり直接的な戦闘描写はほとんどないに等しい。ノイズとの決戦も、実際には音楽を奏でているだけで、直接的に攻撃しているわけではない。これは直近2022の『宇宙小戦争』や2023の『空の理想郷』とはかなり異なった作風である。あえて冒険ものにありがちな悪玉との戦いみたいなものを前景に出さなくても大長編はできるんだということを示した点では、本作はこれまでのドラえもん大長編とは一線を画しており、この点はそれなりに評価してもよい。また、本作はドラえもん+音楽映画なので、劇中音楽が重要なのであるが、これは極めてよいものに仕上がっていると思う。個人的にはミッカがノイズとの最終決戦時に「夢をかなえてドラえもん」をリフレインした時は爆上がりしたことは否めない。マジでそう、そういう描写に俺は弱いので。

 他方、そうした意欲作であるがゆえかもしれないが、全般的に内容がかなり難しい。これ本当に子ども理解できるのかと思う。少なくとも俺が12歳時点だった時は、半分も理解できない消化不良感を抱えたまま映画館を後にすると思う。まず、音楽をあえて「ファーレ」と言い換える意味があったのか。確かに別の宇宙で音楽を指し示す言葉が違うというのは、別にSF的にはよくある設定ではあるが、あえてそれを導入する必要性があるのかというと微妙(それだと、ヴィルトゥオーゾとかの言葉が無批判にムジカ側から使われているのに違和感を覚えるべきだが。)。さらに、敵役であるノイズの意図が明白でないのも気になった。というか、恐らくそういう意図もなく端的に破壊もしくは摂取として惑星を食いつくすマジのバケモンだとしたら、多分歴代のドラえもん大長編の中でも屈指のヤベェ敵だと思う。そういう意味でも従来の「悪玉」という感じがないので、この点も子どもからしたら「?」となるような気がする。そして、何故宇宙空間で音が聞こえるようになったかという点について。これはのび太が中盤、夏休みの宿題をやっている最中に日記の宿題と勘違いして「あらかじめ日記」に「みんなで風呂に入った。楽しかった」と書いたことに起因する。この「みんな」が地球全体、宇宙全体ということを指しているようで、あらかじめ日記が効力を発揮した途端、ノイズのいる宇宙ごとお風呂場に移動したのである(これには時空間チェンジャーというひみつ道具が偶然発動して、宇宙ごとのび太の家の風呂場に移動することで達成された。)。宇宙を囲む風呂場で音が反響し、ノイズへの音楽攻撃が通ったと考えられるのである。時空間チェンジャーという道具の難しさもさることながら、ちょっと伏線が周到過ぎて流石に子どもからしたら「ポカン?」となっているのではないだろうか。

 何で俺が子どもの理解可能性を重視するかというと、結局ドラえもんというのは子どもたちのためにあるべきなので、大人がマスかいてあえて知的負荷のかかる作品にしなくてもいいのである。大人には大人のための作品群が一生には見切れないほどたくさんあるのでそれを見たらええ。そういう意味では、大長編ならではの冒険や戦い、友情などの要素がないとは言わないが、極めて稀薄な印象を受ける。本作が大人にとってそれなりに見応えのある作品に仕上がっているのだとしても、それが子どもにとって消化不良感を残すようであれば、残念ながらその点はマイナス評価とせざるを得ないだろう。もちろん、大人も感心し、子どもも楽しめるような映画を作るのはメチャクチャ難しいのだが、ドラえもん大長編の多くは成功していることを考えると、果たして今作のようなあり方でいいのだろうかというのは疑問なしとはしない。

 個人的には破綻を感じることもあった。別にドラえもんの映画なんてツッコミどころはメチャクチャあるので、そういう細かい部分をあげつらうことはしない。ただ、気になったのが、本作では個々の「音」を出しっぱなしにするのではなくそれを「音楽」として統一していく過程の重要さが何度も強調されている。タキレンという滝廉太郎もどきのロボットが悲しんでいるので喜ばせるためにのび太たちは演奏を始めるが、タキレンは喜びの歌にもっと悲しむ。しかし、調子はずれののび太の音が意外と哀愁ただようものになっており、それにしずかちゃんたちも合わせることによってタキレンは落ち着きを取り戻す。別のシーンでは、ノイズに壊されたドラえもんを治すために演奏するのび太たちだったが、のび太以外の上達しまくった3人は自分の音に固執してうまく演奏できず苛立ち、ジャイアンは依然調子はずれののび太に「もう演奏するな」と八つ当たりに近いことを言うのだが、のび太はそれを押しのけて「僕だって練習したんだ! みんなと演奏したいんだ! ドラえもんを治したいんだ!」と言って演奏を続ける。それに心を打たれた3人が、のび太に合わせる形で演奏を再開することによって、音がうまく重なりあい、ドラえもんにとりついたノイズを除去することができる。このような形で本作は個別の「音」を「音楽」、ファーレにまとめるには皆が気持ちを合わせることが大事というメッセージがあるように思ったのだが、終盤のノイズとの決戦時に地球のすべての音を総動員してのび太たちに加勢させるやり方はそれとはまったく正反対であった。その音とは、普通の音楽やクラップはもちろん、包丁がまな板を叩く音なんかも含まれる。つまり、それは個別の音の総和に過ぎないというか、上のシーンにあったような「合わせる」意識はない。百歩譲ってノイズによって支配される無音の世界を拒む「多様な音の溢れる世界」という突きつけ方だと解することも不可能ではないが、それは流石に唐突過ぎる気がしないでもない。

 いろいろとストーリー的な面では厳しいことを述べたが、大長編ドラえもんに期待しうる「ぬるぬる動くドラえもんたち」(通常アニメ版ドラえもんは30fpsだが、映画版ドラえもんは120fpsみたいな)はしっかりと健在であり、ドラえもんたちが魅力的に描かれている点はやはりよかった。また、今作のさりげない演出(序盤で様々な音を強調するようなシーン)や、織り込まれた多数の伏線をしっかりと無理なく回収していく脚本の洗練など個々の面では評価すべき点は多い。本作が意欲作であることも踏まえ、そうした労を多としたいとは思う。いずれにせよ、一味違ったドラえもん大長編を見たいという人にはオススメだが、毎年のお楽しみを期待していると変に驚く結果になるかもしれないというのは言えるところだと思う。

 最期に、本作について厳しいことを述べた裏の理由を公平を期して記す。俺は学校教育の音楽が大嫌いなんだよバーカ!!!!!!!!

 

 余談。ほぼ毎年俺が見ている「もうひとつ」の大長編については、日を改めてまた。