死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

【読書メモ】呉茂一『ギリシア神話 上下巻』(新潮社、1979)

 

 

 

 元々は以下を読み進めていたのですが……

 

 

 

 2巻まで読み終えて唐突に浅上藤乃の魔眼に捻じ曲げられたのかってぐらい感情が変になって「ギリシア神話読み返してえな~~~」となり、上掲の文庫を手に取った次第です。

 

 あまりに有名な本で、筆者や内容について紹介するのは「贅言」とさえとられかねない気がする。日本語で読める包括的なギリシア神話の本としては恐らくケレーニイと双璧をなすのではないか(ケレーニイもおって再読する予定。何故なら出てくる固有名詞が多すぎてほとんど覚えられなかったから。)。里中満智子の漫画やブルフィンチのアンチョコ本よりもとっつきにくさはあると思うが、非常に典雅な文章で、この世の終わりみたいな神話群を我々に提供してくれるという意味では汗牛充棟のきらいもあるギリシア神話本の中でも独特の位置価を有するのではないか。その意味で再読の価値を有する文献であるし、下巻巻末解説で神話学者の吉田敦彦が言う通り「座右と枕頭」に置くべき本かもしれない。まあ一度で読んで覚えられない量の固有名詞とイジョバナ(異常な話)の集積なので、「赤本一回解いたら完全に覚える」系のイジョキオ(異常な記憶力)の持ち主じゃない限りは所有して持っておきましょう。金がなけりゃ図書館で借りてノートにテイクしましょう。

 我々は事実として「神話」なるカテゴリーの物語を持っており、何故か数千年の時を経てもそれが残存している。呉は神話が生き生きと語られていた古代のギリシア時代と比べてローマ帝政時代を「ギリシア神話が単に文人の玩びとなった」(上巻p293)と辛口で評価しているが、これは我々の時代にも当てはまろう(なお、呉はギリシア時代以降の神話記述に妙に厳しい。奇形趣味だとか何とか。ただ我々は現存する神話の多くをアポロドロスやオウィディウスといったローマ時代の文人に負っているわけだが……)。大体、「うーん、今の提案はまさにこの会議におけるアリアドネの糸だね~~」とか、「プロクルステスの寝台の如き運用じゃねえか舐めてんのかコラ!」みたいなことを平場で発言する頭のおかしい教養ひけらかしクソ野郎以外誰がギリシア神話の知識を必要とするのか。「ギリシア神話の後代文学への影響史」というだけでたくさんの研究文献があることから、結局神話が単なる「文人の玩び」となった時代の延長線上を生き続けている我々が、古代ギリシア人と同じように「生き生き」と享受するのは土台無理な話ではないか。

 また、現代で「神話」というと、原発安全神話とか単一民族神話とか、どちらかというと「その幻想をブチ殺す」と気負った頭のいい人々から告発される虚偽意識の名称という感にもなってしまっている。まあ、当時ギリシア神話が人々の口吻に広く上っていた時代でさえ、ある神話が「地名の起源」「種族名の起源」「ある事象への説明」として観念体系に作用するようになっていたわけだから、現代的用法にも幾分かの理があると思われる(でなければゼウスやヘラクレスがありとあらゆる地域で沢越止みたいに女を犯して子種をバラまかないわけである。地球全土で近親相姦する異常犯罪者やんけ)。

 

 まあ長々と述べたが、「神話」を読んでおくといいことなんてのは、西洋文学の古典を読んでいたら神話からの挿話や言い回しがあった時に「あっ!これ進研ゼミでやった!」ムーブができる以上のことはあんまりないわけだ。呉はギリシア人を取り巻いていた過酷な環境とそれに対する彼らの不屈不撓の努力を指して「彼らの絶望が彼らを明るく」し、そうした世界観や人生観の結晶をギリシア神話だと規定する(下巻p102)。この「神話」が含有するが果たしてどこまで我々の胸に真実性をもって迫ってくるかという点については、残念ながらゆとり教育の人間なので正直よくわからん部分がある。

 しかしこの「神話」が滅法面白いので、有用性とか知らねえけど面白いもんはとにかく受容してえという心の持ち主、畢竟俺みたいな人生を無益に過ごすことにかけては一流人材という向きにはうってつけの面白コンテンツであることは間違いない。

 ゼウスに懸想された結果ヘーラーの嫉妬によってひどい目にあわされる女性たち、アポロン(彼はキリスト教的に言うと「むなしく」なった人)の悲運の恋の犠牲になって植物と化す美少年美少女、ディオニュソス信者の狂乱でバラバラにされる指導者、アテナやアポロンと技術を競ってひどい目にあうアラクネやパーン、人生の盛り時において華々しい活躍を遂げても最後には悲惨な運命が待ち受ける英雄ペルセウステセウスヘラクレス、アルゴナウタイやトロイア戦役そしてそれからの帰国に伴う彷徨など……。そうした話からはよく言われるように神々の人間臭さ、運命と向き合う人間の神々しいまでの意志を読み取れるのはもちろんのこと、単純に話型としての完成度が高く(なので似たような話がたくさんあるのだろう)、読んでいて飽きないということは請け合える。

 まあ、また記憶が薄れてきたあたりでちょびちょびと読み返すことにしたいと思う。それにつけても、こうした「再読」したい本はやはり図書館で借りるだけでなく持っておかないといけないな……と改めて思った次第であります。