死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

努力・未来・Beautiful Star、あるいは半径0メートルの世界の変え方

 米津玄師とMOROHAの組み合わせ、ガイキチアルケミーという趣がありますね。最近KICK BACKと革命ばっかり聞いてるけど別にコインランドリーにも行かねえし飲み会の終電で逗子まで行くアホな友達もいねえ。俺には何にもねえ……ってこれも島村卯月に権利が帰属する知的財産なので「何もねえ」すらねえってか、アハハ……。

 

 ※タイトル、リード文から察せられるとおり基本的には戯言しか書いていません。これは読者を置き去りにしたどうしようもない何かです。

 

 今年一発目のエントリとなります。まず近況報告です。最近まですごく忙しく、4つぐらいの激ヤバプロジェクトを同時並行的に狂ったようにこなしていた。もう正直に書くと、俺の仕事のスピードは同世代同僚の2倍ぐらいはあるのだが(これは割と衆目の一致する見解っぽい)、それでも朝から晩までずーっと仕事をする羽目になった。おかげで機嫌が大変悪くなりまして、同僚や上司への愛想が死ぬほど悪くなりました。心理的安全性? 知らねえよお前の母ちゃんの内臓抉り出して穴開けて父ちゃんのチンポコにTENGAみたいに装着してやるぞという気持ちで同僚と相対していた時がありました。人は家族への暴力を極端に嫌うはずなので(互いに憎み合う機能不全家族を例外に置く正しくない見解)。

 それらの仕事がぜーんぶひと段落ついたので人間性を徐々に取り戻しつつあるが、失った信用は二度と取り戻せないので永久に異常者扱いされると思われます。だから俺にもっと仕事をくれ。もうそうでもしないと職場での居場所がないので。いやでも仕事増えるのもう嫌なのでやっぱ転職するか~? 

 転職、するにしてもどんな仕事がいいのか全く想像がつきませんね。本当にどうでもいい。永遠の閑職か、永遠の激務が欲しい。少なくともくだらない人付き合いを一切合切破壊してくれるならば何でもいいと思っています。だとすると、今の職場でどんどん孤独を突き進んでいくというのは悪くないような気がしている。実はそのモデルケースは少なからずうちの職場にはいるので、その人の行動や来歴について結構調べるようにしている。真理はこういうむなしい人にしか現れないんだ。

 と、息巻いてみたわけだが、そんなの20年30年も続けられるのか? 続けて何がどうなるってんだ? そういうことを考えると、はあ、とため息しか出てきません。ですので、こんなクソみたいな人生はさっさと終わればいいんでしょうけど、拳で抵抗する男が好きなので、無謀かつ滑稽だとしても生ある限りはこの壮大な馬鹿馬鹿しさとも真剣に争闘していきたいと思っている。別に死ぬべき理由は特に見当たらない。神様がルフィよろしくテレグラムで「お前もう船降りろ」って言わない限りは生きていくべきだと思います。

 1月に集中してストア派関係の本を読んだのですが、エピクテトスは何か事あるごとに自殺を勧めるのですが、かなり留保をしているというか、ホンマに死んでもいいようなのっぴきならない状況についてそれなりに具体的な要件の想定があったっぽいんですよね。そういう意味では自殺自体が彼らの教説においては二義的に過ぎないというか、そもそも彼らの自然哲学では周期的に破滅と再生が繰り返されるこの世界において自殺はせいぜい終わりの時期をどうこうする程度の話でしかないのだろうと思いました(その意味で自殺それ自体にアタラクシアと同様の倫理的な価値が置かれているわけではないっぽい?)。まあ別にストア派とかいう狂った連中がどうこう言おうと知ったことではないが、昔ほど自殺に重きを置かなくなりました。進歩ですね。

 

 結局30を前にして思うのは、明るく楽しく元気よく破滅へ向かってまっしぐら、ぐらいがちょうどいいということだ。別にこの人生に期待すべきものはもはや何ら残っていないので、あとはどれだけ狂ったプレイングでオーディエンスを沸かせられるか、ではないか。そんなオーディエンスなんかいるわけないが、トゥルーマン・ショーみたいなことだと思い込んで生きてた方が多分コスパがいいっぽい。

 そういう意味では仕事も頑張るし、本も読むし、ようつべも見るし、スカイリムもやるし、大変充実した人生ではないか。空虚さを充実だと強弁するだけのメンタリティを持ち合わせて初めて30歳を迎えるに値するのではないか。そもそも、20代の溢れんばかりのパッションで求めていた充実とやらが詰まっていたものを今見ると、腐臭漂うゴミ置き場にしか思えなくなってきた。価値観の変容というよりかは、最初からそういう目的を定めるためのセンスが絶望的になかっただけである。壮大な虚無を受け入れて振り出しに戻った今、既に多くのプレイヤーがゴール寸前まで進んでいるような勝ち目のない人生ゲームは面白おかしく道化に徹するしかないのではないか。

 去年最後のエントリで今年は無軌道に生きると書いたが、俺はやる。今年はとことんやる。金も時間も気力もしっかりと使って、無駄という名の金閣寺を築き上げた後に全部燃やしてしまおう。それぐらいしかやることがないんで。

 

 何ともまとまりのない文章になってしまった。覚せい剤をやっているわけでもないのにこんな怪文書しか生み出せないとしたら、そもそも書くべきではないのだろうが、無理やりにでも文字を生み出すという行為それ自体の無駄さを楽しみたくて書きました。後悔は一切ない。