死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

令和5年度のギャグボール

 アレ、正しくはボールギャグですが、人間は地口を好むので。

 

 さてさて、この破滅的無軌道人生も2022年度第4四半期を終えて何とか新しい年度を迎えられそうです。この間いろいろありました。「ブチ殺すぞ!」という言葉を何度飲みこんだことか。実際職場でそこまで言わずとも一回ブチギレたことがあり、その後何か皆さんの態度がよそよそしくなりました(特に女性陣。Chu!気持ち悪い中年に差し掛かった男性がしょうもない情念を発露してごめん!)。しかし俺はママタルト大鶴肥満がビックマックを食べた時の如く満足しているよ。何故ならば俺の心理的安全性は限界まで下がりきってデストルドーに入り込んでいるので、こうなってしまえば他罰や報復の欲望を満たすしか考えられなくなっちゃったからね。この汚れちまった人生を一気に狂騒曲のリズムに乗せて、ついでにファイナル・デスティネーションするつもりだ。つまりダンス・マカブルってことよ。ちゃんと日本語で書くと「全員ぶっ殺してうず高く積み上げた死体の山で剝き出しの臓腑や血に足を掬われながらも不慣れなタップダンスで我々の夜を踊り明かす」ですヨロシクゥッ!

 

 別に安倍晋三を叩き斬るおじさんだって、安倍晋三が撃ち殺された後も元気によろしくやっているわけだから、ここで殺すだのどうだののたまったって実際に殺さなきゃいいと思っている。何か俺が有給休暇とった日にとんでもない天変地異とかミサイル攻撃とかで職場が吹っ飛んだら最高過ぎるが、まあそんなことはないのだろう(あってくれ頼むと毎日神様にお祈りしてはいるのだが、いみじくもモンテーニュが言うように邪な願いを想うことは著しく不敬ZOY。)。しかし、たとえ実現できないとしても、「殺す」という意志を持つことが大事なのである。僕の心のヤバい奴だってそういうとこから始まったわけですよ。実現できない意志をうじうじと持ちながら生きていくこと――畢竟ハムレット的生を引き受けること。この味の素的な悲劇の味付けこそ、このしょうもないちっぽけな星で70億分の1として生を受けた掃き溜めで死にかけている虫みてえな人生に俺がしてやれる唯一のこと。レディメイドに過ぎない人生の悲哀でも、語るに値しないものなんてひとつもないんだ。

 

 兎にも角にも労働人生がつまらない。こんなことやって何になるのかすら分からないし、誰のためにやってるのかも分からない。何でみんなしてこんなことに夢中になってんだと思う。一度職場のまあまあ偉い人と話した時に「君たちにはやりがいを持って働いてほしいんだよね」と言われたが、「Yarigai……?」ぐらいの反応しかできなかった。義務教育を果たしているので、やりがいという言葉の意味はもちろん分かったのだが、あまりにもそれまでの経験から当該概念が遊離していて、俺にとっては「規約主義」とか「外延意味論」とかそこら辺の一知半解レベル(あーあれね、ぐらいの感じで明瞭な説明ができない)の言語哲学的なタームぐらい「???」となってしまい、二の句が継げなかったのである。

 どうしてこんなに面白くないんだろう。突き詰めて考えた結果、俺は結局恵まれた人間のために働いていることを「搾取」だと信じているからだと気づいた。つまり、俺からすればどいつもこいつも俺より人生がうまくいっているはずなので、なのに何で俺がそんな奴らのためにひいひい働いているんだおかしくねえか!?という想念に取りつかれているのである。これはツッコミどころ満載のnotionだというのは流石に俺でもわかる。これでも一応大卒だ。しかし、(だから大学に行ってしまったのだが)救いがたいバカなのでそう簡単に染みついた新年を振り落とすことはできない。「こいつ……連れ合いもいて俺より年収も職階も高いし何より人生を楽しんでいる感を出していやがる癖に、俺に仕事を任せて先に帰りやがった……」という感情がデカすぎて、もう仕事で得られる達成感とか自己満足とかそういうプラスの感情が心に入る余地がなくなってしまったのである。そしてこれがいけないのだが、この感情によってのみ生かされているというか、多分これを味わいに仕事をしている節がある。何だろう、憎悪が生きがいになっているので、意地でも憎まないといけないみたいな。ヤバいね~。

 

 こんなイカれた情念を抱えているうちはいつか本当に誰かを殺さないとも限らない。そんなことすれば両親も悲しむし、何より俺だって日本で一番嫌いな警察や検察のお世話になりたくない(ついでに言ったら裁判官や弁護士にも会いたくない。生まれてこの方「法」なるものを憎んでいるので。皮肉ですよね、法を憎むあまりに法を遵守しなければならないというのは……)。なので、精神的に成長するしかない。分かってはいてもなかなか成長しないので、どうしたらいいんだろうなと思いながらずっと本を読んでいる。ズタズタにされた俺の精神を修復するような言葉に出会いたい。しかし汝を傷つけた槍のみが汝を癒すのであれば、本当に必要なのは他者との和解ではないか。それも分かっているが、今さら他者は怖いので、結局読書に逃げるしかないんですね。何だこれエヴァか。俺は碇ゲンドウの一億番煎じにすらなれてねえのに……。

 理解者なんか一人もいらないが、せめて俺が理解できる何かがあってほしい。いや嘘です、別に理解したくもない。神、世界、他者、全てから峻拒されて立ち尽くして、ようやくぽっかりとした空虚なる自己を、ハナダのどうくつのようなエンドコンテンツダンジョンとして探求する甲斐があるってもんだ。俺はまだニビシティにも行ってねえわけよ。もっと断固たる否を突きつけられて一歩一歩後ずさりしましょう。これが後ろ向きの天使って奴ですか?(違う)

 

 久しぶりの感情言語化活動でしたが、悪くない。というわけでMOROHAを聞いて月曜日を迎えたいと思います。Chao!