死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20231206

 暇だけど人生が根本的に行き詰ってきたので、日記を書きます。毎日更新するとは言ってない。日記を書いても人生はよくならないが、せめて日記ぐらい書いておくと後々読み返した時に「ああこのころ辛かったんだな」という気持ちになれるはずなので(その前に自殺してるかもネ)。あと、しばらくSNS絶ちしようと思っていて、その埋め合わせに何かしようかなと思ったのもあります。

 まあそんな理由はどうでもよい。ブログも定期的に書かないと、文章を書く力が衰えていくので、適宜自分の腕を彫琢するためにも、助走的に書いていくことには意味がありそうだ。というわけで1日目です。目標は1ヶ月続けること! 

 基本的に執筆には1時間以上かけるつもりはないので、適当にやっていきましょう。

 

【労働】

 今日も定時で退勤。何もなかった。悲しみと存在の無意味さだけが骨身に沁みる。

 

【ニュース】

 この3点が気になった。こうやってブログに貼っておくと備忘になっていいが、多分あとでこれらの記事が消されるので、魚拓とか切り抜きとかは別途考えておく必要がありそう。

www.asahi.com

www.asahi.com

www3.nhk.or.jp

【読書】

 これまで自分のノートに読書の感想・要約・抜き書きをするというのを8か月ぐらい続けてきたのだが、さてノートを読み返してみたところ自分の字が汚すぎてまともに読めなかった。いや読めるのが、目を凝らして「これは……強姦?いや違うな強奪だ」みたいな感じで読み解いていくのはストレスなことこの上ない。メモをとるということは、未来の自分へ向けた手紙なのだとすると、きたねえ字で手紙を書くなということに尽きる。昔メチャクチャ汚い字でおばあちゃんに年賀状出そうとしたらメチャクチャ怒られたの思い出したがあれは間違ってなかったわ。

 というわけで、俺がノート以外で唯一持っている身辺雑記的媒体はこのブログのみなので、ここに簡単にメモを残しておこうと思います。

 チェスタトン『聖トマス・アクィナス』(ちくま学芸文庫)読了。カトリシズム護教の癖が強いが、機知溢れる文体なので(20世紀のイギリス人にしか分からん時事ネタを除けば)面白く読めるし、トマスの哲学を感覚的な世界=実在性の肯定から出発するカトリック哲学という形で整理していく手さばきはなるほどと思った(とはいえ、本当にさわり中のさわりの紹介なので、これだけでトマスが「理解っちゃう」ことはないだろう。)。最後にルターを登場させてきたあたりから突然筆致が狂いだしたのも含めて微苦笑しちゃたね。「地獄は善き意図をもって舗装されていると信じることができるのはただカルヴィニストだけである。地獄は厳密に言って、善意をもって舗装することのできぬ唯一のものである。」(p129)このよく知られている警句をこんな風にまぜっかえしてしまうのは流石チェスタトンという感じ。『正統とはなにか』も久しぶりに読み返そうかな。

 その後、鹿野政直岩波新書の歴史』を第2章途中まで読み上げた。それまで「古典」をセールスポイントとしてきた岩波書店において、支那事変を契機に発奮した岩波茂雄が「現代人の現代的教養」(元々は「現代人の世界的教養」だったのが、世界って書くと怒られが発生するからということで書き改めたそうな)を打ち出してできたのが岩波新書の始まりっぽい。発刊時の書目に中国関連の本がそこそこあるのも頷ける。「その場合「教養」とは、たぶんに通俗道徳(安丸良夫の表現を借用)に拠る「修養」に対峙し、知的消費としての「娯楽」と異なり、さらに専門性を誇る「学術」に収斂されないような、知的向上主義を含意しただろう。」(p19)なるほどと思いますね。あと興味深いなと思ったのは、戦後再出発した岩波新書青版の定価はその時代の貨幣価値に照らすと「喫茶店のコーヒー三~四杯分、もりかけ五~六杯分、煙草のピース二箱弱に相当した」とのこと(p70)。今だいたい新書といっても1000円台前半ぐらいなので、あんまり変わっていないかもしれませんね。

【雑感】

 ここまで書いて、これを毎日やるのは結構大変だなと思ったが、今仕事が鬼暇なので、続けられる限りは頑張ろうかなと思った次第。もし死ぬほど忙しくなって帰りが遅くなるとかだったら、その時はまたパタッと辞めたらええわな。

 さて、この後は適当に動画流しながらゲームしますん……。