死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240312

 日本よ、私は帰ってきた! これわかる人間が令和6年にどれだけいるんだっていうハナシ。

 

【雑感】

 この一週間はひたすら本を「資料」として扱って拾い読みだったり飛ばし読みだったりしながら30冊ぐらい「処理」し、強制的に自分にインプットした(多分一週間後には完全に忘れているが、別に漫談のネタ拾いに過ぎないので、その時を乗り切ればいいだけのエフェメラルな知識に過ぎない。)。また、完全別件で職場内のデリケートな調整案件のために色々と工作活動に従事していたため、ブログを書く暇がございませんでした。あと普通にLINE等も未読無視で、不義理で申し訳ございません@関係各位。

 ところで、忙しくなったとはいえ、実は本務の方では相も変わらず虚無だったのでメンタルの持ちようは特に変わりませんでした。最近出勤すると咳き込むし、頭が痛いのであと1ヶ月が限界だと思います。休職というハードランディングで組織側に理解ってもらうしかないかも……。

 しっかし思ったのは、俺はとことん研究者とかそういうのには向いてねえなということである。研究者あるいは思想家、その他種々の頭のいい人たちにとって、本はあくまで資料であり、そこからデータを読み取って頭の中で咀嚼した上で自分の考えなり判断なりを作っていくのだと思うが、俺はそういう本の読み方への心理的抵抗が凄いのである。どちらかというと時間をかけて端から端まで読みたという気持ちが強くあるのだなと再確認した。正直言ってそんな読み方では大量のデータを扱えるはずもないが、とはいえ俺は俺の気持ちを尊重したいので、今回やらざるを得なかった無意味な多読はできれば最後にしたいなと思った次第。だが、またやらなきゃいけないことになるかもしれないのだろうな。そのトピックに強い関心があれば頑張れるような気もするが、関心がないと死ぬほど辛いのですわ。

 また、一週間ブログを書かなくてよいということの開放感はすんばらしいものだった。このブログにニュースやら動画やらを貼り付けて短文の論評を加える程度であれば、長くても30分ぐらいで完成する。しかし読書の成果のインプットについてはメチャクチャ時間がかかる。今日以下に記した『サラ金の歴史』については、内容も豊富だったので2時間かかった。恐らくどの本も大体1時間~2時間程度かかっている。

 俺のやり方はこうだ。これは抜き書きをしようor要約に使える文章だと思ったものについてはページに線を引く(図書館の本は該当箇所をスマホで写真撮る)。読み終えた後に内容を目次に沿って思い出す作業をしつつ、簡単なまとめやアウトラインを頭の中で作る(これが短評的なまとめになる。)。その後、帰宅後や昼休みの時間中にまとめに着手する(帰宅後は可処分時間がガリガリ削られる意識で辛くなるのでなるべく昼休みにできるところまでやろうとする。)。そこで改めて線を引いたページや撮った画像を見返してブログに転記したり要約したりする部分を取捨選択するのだが、ここで一度読み直しが発生し、「あやっぱこれいらねえな」とか「このページの数ページ先にあった奴のが重要っぽい……あダメだ線引いてねえどこだっけ」みたいな粗相も多く、結構まとめるのに難渋している。大学時代読書会でたくさんレジュメを切りまくってレジュメマシーンになった経験がなかったら普通に挫折していたと思いますわ。

 とはいえ、読み返して「ああこんな感じの話だったな」と思い出せる粒度のエントリを書かないと意味がないのは事実だ。実際、数年前のエントリにも簡単な読書感想を書いてはいたのだが、もうどんな内容なのか全く思い出せない。多分また端から再読しても初読の喜びに浸れることだろう。今ぐらいの記述粒度を維持できれば、10年経っても少なくとも書いたレベルの話はできると思うという意味では、未来の自身に向けた有意義な時間投資ということで受け入れてはいるのだが、それでも書くのがめんどくさいんだよ!!!!!ボケナス!!!!早く思考を!!!!全部文字にしやがれ!!!!!ブレイン・マシン・インターフェースニキ!!!!!

 とはいえ、ブログを全く書かないと完全に生活が無軌道にだれていくので、やはり定期的に書き続けないとダメだと思いました。これから頑張ってまいります。最近はずっとフォニィを聴いて元気を出しています。この世で造花より綺麗な花はないってはっきりわかんだね。

 

【ニュース】

 この間のニュースについてもポチポチと切り抜きを作っていたが、批評めいたことは言えないのですっ飛ばします。すいません。

 

親子の食費は週1万円 生活保護の引き下げ「苦しみわかりますか」 [秋田県]:朝日新聞デジタル

 悲しい話だよ。DVや事故の後遺症でダメになってしまうなんて誰にでも起こりうることなのに……。弱者を虐げる行政や政治を扶ける無関心に負けないようにしたい。

 

国立西洋美術館でパレスチナ侵攻などに抗議 企画展の出品作家ら:朝日新聞デジタル

 政治的なものからの退隠が極めて困難になってしまった時代という感じがしますね。とはいえ、関心を持ち続ける人の取組は重要ですね。

 

裏金問題「処分が遅い」 河野太郎氏が2人の元首相に語ったわけ [自民]:朝日新聞デジタル

 「河野氏の周辺は、処分をめぐる河野氏の発言について、世論などへのアピールと党内への気遣いを強く意識したと説明する。「派閥解消よりも処分が先だということで、麻生さんにも配慮ができる。閣僚として言えるぎりぎりのラインだ」。これ以降、河野氏は踏み込んだ発信は控えた。」

 ↑「政治」を覚えたということか。しかしこの手の観測記事は有益ではあるにしても、自民党政治を徹頭徹尾終わらせなければこの国の近代は始まらないのではないかという素朴な信念を持っている身としては、もはや「安倍の葬式を上げるぞ!」と気炎を吐いていた朝日新聞の狂気には出会えないってワケ。ちなみに自民党政治が終わった後どうすればいいかって? 俺の差し当たっての答えは軍事政権です(キチガイスマイル)。

 

工藤会トップに一部「無罪」、専門家「推認の死刑判決に無理あった」 [福岡県]:朝日新聞デジタル

「証拠の評価に誤り」一審の死刑判決を破棄 工藤会トップの控訴審:朝日新聞デジタル

 難しいところではあるが、「推認」の積み重ねはやはりどこかで無理をきたすのだなと。今回の判決では漁業組合の人を射殺した時点での野村の関与の度合いについて、二次団体の親分であったことを理由に工藤会本体のような強固な上意下達の機構を認めるに足る証拠がないとして退けたようだ。また、田上が野村の関与がないと証言してしまった以上は、どうしても最高幹部の関与の推認に対する「合理的な疑い」が残るということなのかなと思いました。ただ、記事中にあるとおり、結局野村を無期刑でブチ込めれば実社会には出せないという指摘はそのとおりなので、事実上の死刑という気もする。そうなってくると、あえて死刑を狙うというのはそもそも何なんだという感もなくはない。例のルフィやらキムの事件の時、強殺で俺らも死刑になるのが怖いみたいなことをのたまったという記事を読んだ記憶があるのだが、暴力団員や犯罪者にとっては誰かに殺されるより、国家に殺される方が怖いのだろうか……?

 

本無料配送禁止の反アマゾン法、経産相「研究価値ある」 書店振興で:朝日新聞デジタル

 へえこういう動きがあるのかと知り勉強になりました。ただ、最近本についてはなるべく書店で買うようにしているのであんま関係ないのだが……。書店に通うという経験を大事にしたいお年頃なので。

 

【読書】

 この間の狂った多読生活の中で、おっこれはと思って腰を据えて一冊読んだのが小島庸平『サラ金の歴史』(中公新書、2021)です。こんな名著を3年もほったからしてたなんてびっくりだが、まあ致し方ない。俺は人生で一度もサラ金から金を借りたこともなければ、銀行カードローンすら使ったことがない。唯一例外と言えるのは、前の仕事を退職して6ヶ月プー太郎になりながら退職金やら何やらを崩して旅行三昧に明け暮れていた時に資金繰りが追いつかなくなり、リボ払いをしたことだろうか(その後人生で一度もやっていない。)。積立NISAすら始めていない。俺は金融プレーヤーとしては大多数の日本人と同様ただの家畜同然である。そんな人間なのでサラ金とは全く縁がなく、そもそも個人的に金融とか銀行とかに一切興味がなく(なので半沢直樹も見ていない)、正直読む気が起きなかったのだが、必要に駆られて読むに至った。しかし、資本主義経済に生きる我々が多かれ少なかれ関与しているこの巨大で複雑な金融システムとサラ金は単純ではいかない関係を有しているという本書の指摘に蒙を開かれ、認識を改めなければならないと思うに至った次第。

 本書は、親類友人への利子付きの金の貸し借りに端を発しての「素人高利貸」から、戦後経済を支えた団地住まいの人々の消費に当て込んだ「団地金融」、そしてサラリーマンへの無担保融資に舵を切る「サラ金」、果ては激ヤバCMで知られる武富士アイフルなどの巨大消費者金融の勃興と、改正貸金業法成立によってその繁栄に終止符を打つまでの歴史を描く。あまり類書のない本であるが、それに加えて本書の重層的・多面的なアプローチもその独創性を際立たせている。著者は、「金融技術の洗練」(著者はこの言葉を情報の非対称性の縮小化や貸し借りを効率化した様々な技術革新と広義で捉えており、金融システムとITの不可避的な結びつきであるいわゆる「フィンテック」もその延長線にあると考えている)の側面、個性的な消費者金融の創業者の生涯やサラ金で貸す人・取り立てる人・借りる人の心性などを分析する「人」の側面、最後に借りる側の家計に内在しているジェンダー意識などに着目した「ジェンダー」の側面から分析を試みている。こうした多面的な分析が、本書を単なるサラ金擁護論やサラ金絶対悪論に傾かせずに、我が国の独特な戦後経済体制とサラ金の微妙な関係に光を当てることに成功していると言えよう。

 本書の問題意識は次のとおりである。すなわち、酷薄な取り立てや過剰な利子が注目されている「サラ金」であるが、しかし資金繰りに困った普通の人たちが最後に頼ったのは不真面目な行政のセーフティネットではなく、サラ金という「奇妙な事態」がある。この奇妙な事態はどのように生起するに至ったのか。サラ金の歴史を上述の分析視角から読み解くことで著者はこの問いに答えようとする。

 以下、少し分量を多めに割いて本書をまとめておきたい。

 第1章「「素人高利貸」の時代ーー戦前期」では、戦前における金の貸し借りにフォーカスされる。戦前では利子付きの金の貸し借りが親類友人間でも珍しくなかった。これはそもそも銀行が信用の低い個人に対してお金を貸すことがなく、個人はお金の都合をつけるには親類友人に頼み込むしかなかったことが背景にあった。このような中で、賀川豊彦の貧民窟レポートにあるように、貧民窟の日雇い土木工事に従事する人たちに金を貸す同業者が現れた。同業者はそのうち素人高利貸として成り上がり、取り立て役や借り手の仲介役としての「使い」や「走り」を動かしながら同業者からの返済利子で儲けていた。同業者を対象とした貸し借りであれば、毎日少額ずつ返させる日掛金融のおかげで、踏み倒しの懸念が少ないことが利点として挙げられる(また、こうした貧民窟では、当時の勤倹節約を尊んだ「通俗道徳」とは乖離した「男らしさの価値体系(民衆史研究の藤野裕子による分析概念)」に起因するしばしば自身を大きく見せようとする過剰な消費行動が見られ、この点でもお金を貸し借りする動機があったと著者は見ている。)。戦前期にも銀行の個人向け金融などはあるにはあったが、当時サラリーマンは信用度が低くあまり貸してもらえなかったことなどが背景に、こうした小口の個人間レベルの金融が発達したというのが著者の見方だ。

 第2章「質屋・月賦から団地金融へーー1950〜60年代」。上述のような素人高利貸とは別の金融形態として、質屋があったことを著者は指摘する。質屋は家計の管理責任を押し付けられていた妻にとっては、夫には言えない内緒の資金繰りとして重宝されていた。しかし、質屋は団地金融の勃興とともに急速に減退し、むしろ古物商としての性格を強めるようになる。当時は家電の月賦販売などが隆盛を極めており、ここに「団地金融」という新しい業態が生ずることになる。団地は当時は入居の審査も厳しく、それなりにきちんとしている人たちが入っており、彼らは戦後経済復興のフロントランナーとしてしばしば最先端の消費を行っていた。最新鋭の家電を購入することもそのひとつであり、団地内での消費競争に煽られて我も我も皆が月賦購入を決めていった。そういった消費過熱を見込んで現金を「月賦」のように貸し付ける団地金融モデルを引っ提げて登場したのが、「団地金融」の案出した田辺金融や森田クレジットセンターである。「家計管理に責任を持ち、購買競争の中でやりくりに苦労する主婦の存在」と、「団地には一定以上の支払い能力を持ち、貸し倒れリスクの低い人びとが集住していること」(いずれもp73)がこの無謀とも言えるビジネスモデルを成功させたのである。後者については、金の貸し借りで常に問題となる情報の非対称性を縮減するには審査が不可欠だが、団地の入居審査でもって貸し手のとしての審査コストを軽減するという革新的な手法で、これまでの素人高利貸の限界であった知人間のネットワーク内での金の貸し借りを乗り越えることに成功したのである。しかし、団地金融は貸す団地を奪い合うという競争過熱を招き、高コスト・高リスク体質から脱却することができず、結局姿を消すことになる。

 なお、本章の指摘で1点興味深いものを以下にとどめて置く。

 「1960年代前半までの金融政策では、マクロレベルの貯蓄不足から、電力・海運・鉄鋼・石炭の四重点産業に対する資金配分が優先されていた。まずは主要産業の成長が優先され、消費者金融は一貫して後回しとされていたのである。

 のちにサラ金が社会問題化した際、その原因は銀行が個人向け融資に消極的で「怠慢」だったからだと指摘されたことがある。しかし、銀行の「怠慢」は、基本的には右のような金融政策の方針に従った結果であり、行政もまた責任の一半を負っていた。」(p62、本文中の引用文献略記は省略、以下同様)

 第3章「サラリーマン金融と「前向き」の資金需要ーー高度経済成長期」でようやく、サラ金の勃興が語られる。元々呉服屋・質屋といった経歴を有するアコム創業者の木下は、「勤め人信用貸し」という極めてリスクテイクな手法に踏み切る。つまり、今でいうサラ金だが、担保も取らないで貸し倒れたらどうするんだという発想が支配的だった当時においてはかなりの大冒険だったと言える。木下は呉服屋を立ち上げる際に問屋から信用してもらって既存店並みの品揃えを確保したことや、呉服屋時代に反物の柄を決められなかった若い娘に対して、高額な複数の反物を貸して家で決めておいでと言ったというエピソードがあるようだが、このような「信頼」が習慣としてあったからこそできたことなのかもしれない。またプロミス創業者の神内も暴力金融から決別した「人間の顔をした金融」、レイク創業者の浜田も「人を活かす金貸し」ということで、後のサラ金の悪イメージとは似つかわしくない高邁な理念を掲げて金融業に参入した。このような中で、高度経済成長期にあって、「情意考課」という碌でもない評価システムのせいで交際費が嵩み、夜の遊興費(当時はアルバイトサロンなる今のガールズバーやキャバクラのルーツみたいなものがあったらしい)や、接待のゴルフ代を捻出する必要のあった元気なサラリーマン諸氏が融資の対象となった。厳しい大手の入社試験を突破しているのであれば返済能力も期待できるし、元気に遊んで元気に働けるような前向きな人間であれば大丈夫と貸し手側も見込んだのである。また、借り手側のサラリーマンとしても、家計管理を妻に任せていた結果、お小遣い制が導入されその枠内でのやりくりは当然難しかったので、こうしたサラリーマン金融を諸手を挙げて歓迎したのである。そして、様々な金融技術の発展(学生ローンへの踏み切り、番号案内の精緻化と高速化という情報インフラの発展に伴った電話レベルでの融資、信用情報の共有など)や、銀行からの資金調達の容易化や審査基準が緩和されたことなどを梃子に消費者金融業界はどんどん拡大していく。「サラ金企業の資金調達が容易化し、信用審査の基準が大幅に緩和された結果、生活や商売に行き詰まったリスクの高い人びとが、「ワラにもすがる思い」でサラ金を利用するようになっていた。サラ金による生活困窮者の金融的な「包摂」は、銀行の金余りという「ある種の不均衡状態」の下で家計へと本格的に資金が流入するようになった、1970年代に起源を持っていたのである。」(p153)とはいえ、こうした中で特に団体信用生命保険の加入によって借り手が自殺して「返済」するようなモラルハザードも取り沙汰され、大蔵省はいくつかの政策的手当を行う。外資の上陸を認めたり、低利規制を設けたり、果ては銀行からの融資を抑止するような銀行局長通達(「徳田通達」)まで出した。この徳田通達で一時期成長が止まるが、消費者金融は逆に外国銀行から融資を受けるなどして拡大を続けた。

 第5章「サラ金で借りる人・働く人ーーサラ金パニックから冬の時代へ」は興味深いデータを紹介しているので、以下に画像で掲げる。

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 これは1983年前半のサラ金原因の自殺や心中に関する新聞報道を著者が整理してまとめた表(p191)であるが、見ての通り陰惨な事件が多い。こういう中では、家計管理の失敗として寄るべない立場に追いやられ家出する女性と、死んでも返済しなければならないという「男らしさ」を引きずって自殺する男性が対照的に描かれている。またこうした人々へ貸す消費者金融の融資担当者たちが洗練してきた悪辣な回収技術にも言及される(例えば電話で居留守を使う債務者の子どもに対して「僕、アンパンマンだけど」と言って子どもを丸め込むなど)。彼らにとっても夢見の悪い仕事であるが、徐々に「そもそも返さない奴らが悪い」という意識に染まっていく。著者は債権回収の感情労働の重層的展開を以下のとおり整理する。「図式的に言えば、恐怖心や屈辱感を煽られる債務者→債務者に直接対峙することで感情を揺さぶられる末端社員→その末端社員の感情をケアし、コントロールする上位の役員、というように、いくつかの感情労働が重層的に折り重なることで、サラ金の債権回収業務は遂行されていた。」(p205)なお、この点で著者がウシジマくんを引いているのは興味深い。しかし、このような中でサラ金被害者の救済運動も弁護士や被害者レベルで立ち上がるようになっていき、世論のサラ金に対する目は徐々に厳しくなっていく。こうした中で1983年に貸金業規制法が成立し、グレーゾーン金利の残存などいくつかは消費者金融にとっても都合が良かったが、それでも種々の規制をかけられたことによってサラ金業の冬の時代が到来することになる。サラ金はこうした冬の時代の中にあって銀行との関係を深めることで、ついに銀行システムの一環に組み込まれるに至った。

 第6章「長期不況下での成長と挫折ーーバブル期〜2010年代」では、冬の時代を脱した消費者金融業者は90年代に、銀行がバーゼル合意のBIS規制(自己資本比率)を受けて個人向け融資を増大させたことによるイメージアップも手伝って一点ピークを迎えるが、21世紀には凋落の一途を辿る。クレジットカードの普及による多重債務問題やヤミ金問題によって再び消費者金融批判が蒸し返されることになり、こうした中で武富士の相次ぐ不祥事が暴露されるに至る。武富士には創業者武井の独特かつ苛烈な性格にも問題があったが、著者はむしろ武富士内の企業統治が完全に破綻していた点を指摘しており興味深い。そうした中で、弁護士経験があり金融庁に勤務し自身も苛烈な取り立てをされた経験を有する森雅子(元法務大臣)や大森泰人ら金融庁側の貸金業法改正への意欲と、日弁連消費者運動を牽引してきた宇都宮健児らの活動が実を結び、ついにグレーゾーン金利の消滅を含む改正貸金業法が2006年に成立した。この中で過払金の返済や総量規制を余儀なくされた消費者金融大手は揃って赤字に転落し、倒産した武富士や売却されたレイク以外は否応なく銀行システムへと編入されていくことになる。ヤミ金は詐欺のプレーヤーに転職し、そして個人間金融がSNSなどの普及によって拡大する(悪名高い「ひととき融資」もこれに当たると著者は指摘する)。

 終章の著者のまとめを借りたい。「サラ金は、貯蓄超過や金融自由化というマクロな経済環境の変化と深く結びつきながら成長し、現在も日銀・メガバンクを頂点とする重層的な金融構造の中にしっかりと根を下ろしている。個人間金融から生まれたサラ金を肥大させたのは、日本の経済発展を支えていた金融システムと、それを利用する私たち自身だった。その事実を、まずは正面から見定める必要がある。」(p313)「サラ金の歴史は、日本社会に生きる多くの人びとと決して無縁ではなかった。たとえ利用者ではなくとも、預金口座で給与を受け取り、わずかであっても金融機関に金を預けている私たち自身が、究極的にはサラ金の金主だった。現代を生きる私たちには、スマートフォンの画面の向こう側にいる見知らぬ個人に金を貸し、素人高利貸となって一儲けするチャンスさえ開かれている。これまで、日本社会と消費者金融との間の深いつながりは、サラ金への囂々たる非難の声にかき消され、ともすると見えにくくなっていた。しかし、他ならぬこの日本社会が産んだサラ金の歴史を正面から見定めると、思いがけず私たちの暮らし方・働き方に深く関わっていたことが明らかになる。多重債務に陥った人びとを「自己責任」と切り捨てるにはあまりに身近なところで、サラ金は成長してきた。サラ金が引き起こしてきた問題を、他人事ではなく「自分事」として認識することで、初めて将来のあるべき金融や経済のあり方を冷静に議論し、真の意味で人と人とのつながりに支えられた社会を構想できるのではないか。」(pp314−5)

 なお、あとがきに触れられている本書執筆の経緯は興味深い。元々は農業史を専攻していた著者が、大学院生の時にプロミス創業者の神内の名を冠したファームで、出向したプロミスの元社員からバーベキューに誘ってもらいその場で厚遇を受けたことがサラ金に関心を持つきっかけだったという。末尾で書かれている「住宅ローン・自動車ローンとの関連、ポスト「家族の戦後体制」の家計の分担構造、金融リスク負担の歴史的な変化の問題」(pp320-1)などの積み残しを著者も自覚しているとのことで、今後の研究成果を大いに期待したいところである。

 

【動画】

youtu.be

 トランプ政権が復活して国境の壁で全てが終わる前にメキシコ料理が食いてぇ! 食いてぇンゴ!!! それはそれとして、人間のわちゃわちゃをニンマリ気色悪い顔しながら観るのが好きだーッ!!! でも人間は嫌いだ!!!!

 

youtu.be

 完全に現代の耳で聞く断腸亭日乗です。ありがとうございます。