死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240313

【労働】

 無ですが、一個だけ本務と関係ないところでよいニュースがあった。活動が報われてよかったンゴねえ。

 

【ニュース】 

ガザ地下施設空爆 ハマス幹部死亡か イスラエル:朝日新聞デジタル

 イスラエルは即時攻撃を辞めるべきだが、多分ハマスハマスで一旦幹部が皆殺しにならないとアカン気がする。お得意の標的暗殺作戦に切り替えた方がいいのではないか。ガザ地区の人たちは自分たちをこんな目に合わせたハマスについて正直どう思ってんやろうか。

 

ギャング襲撃で4千人脱獄、首相は辞任表明 ハイチで政情不安深刻に:朝日新聞デジタル

 とりあえずGTA6を早く開発してギャングに配って破壊と殺戮はゲームだけにとどめるなどした方がよさそう。ハイチ、本当に悲惨すぎる。

 

【読書】

 カイ・バード&マーティン・シャーウィン『オッペンハイマー 上 異才』(ハヤカワ文庫NF、2024)を読了しました。オッペンハイマーというとスッゲェ天才で最高のヤベェ奴という印象しかなかったのですがこのたびクリストファー・ノーランの映画になるということで、予習も兼ねて読もうと思いました。上巻は幼少期から原爆開発への参与までが描かれておりますが、非常に良質なノンフィクションであり、中・下巻も楽しみです。

 まず、カイ・バードによる序文の一文が、本書の明白な目的を物語っているので引用したい。「オッペンハイマーの物語は、人間としてのわれわれのアイデンティティが、核に関連する文化と密接につながっていることも、改めて思い起こさせる。「われわれは1945年以来、心の中に爆弾を抱えている」と、E・L・ドクトロウは述べている。「それは最初われわれの兵器であった。それから外交になり、そして今は経済である。これほど恐ろしく強力なものが、40年たってわれわれのアイデンティティをつくり上げていないと、どうして考えられるか? 敵に対抗して造った大きな怪物は、われわれの文化、爆弾文化である。そのロジックも、進行も、そして展望も」(p32)。敷衍すると、オッペンハイマーの複雑で不安定な内面(「爆弾」のような)の産物である原爆に端を発する核時代とは、彼と同様に極めて複雑で不安定である。本書はその核時代の父とも言える男の生涯を丹念に辿ることで、我々が生きる時代を逆照射しようという試みであると言えるかもしれない。

 プロローグは、彼の葬儀から始まる。対ソ外交のプロフェッショナル、ジョージ・ケナンによる弔辞で、オッペンハイマーにまつわる印象的な記憶が紹介される。マッカーシズム時代の犠牲者に仕立て上げられた時に、ケナンが外国の研究機関に籍を置くことをオッペンハイマーに提案した際に、このように返されたという。「いまいましいけど、この国を愛しちゃったのだ。」(p42)。本書は、オッペンハイマーという、天才的理論物理学者であり、今世紀最大の開発計画を成功に導いたプロジェクトマネジメントの天才であり、そして不安定な自我に苦しみ続けた「アメリカン・プロメテウス」(本書の原題)が、如何にしてゼウス=アメリカに懲罰されたかという顛末までを描く。このプロローグのケナンに関する挿話は極めて文学的には素晴らしいものだと思う。

 第1章では、彼の少年期の時代が描かれる。成功したユダヤ系ビジネスマンであるジュリアスと、女流画家として一定の成功を収めたエラとの間に生まれたオッペンハイマーは、極めて内気な幼少生活を送ったと言える。彼の趣味は鉱物標本(大人顔負けの知識があり、12歳でニューヨーク鉱物クラブで講演した)、詩を書いたり詠んだりすること、ブロックの組み立てであった。母親の過保護な性格もあってかあまり周囲の子どもたちとは触れ合うことはなかったという。彼は理神論的で共和主義や社会主義の影響を受けたフリッツ・アドラーが主導する改革派ユダヤ人のセクト「倫理文化協会」の教育機関にて学校教育を受ける。倫理文化協会では社会問題・政治問題・人生問題など幅広い問題を討議するソクラティック・メソッドが取られており、ここでオッペンハイマーは生涯にわたって保持する倫理を育むことになる。他方、内気なオッペンハイマーには強烈な個性が潜んでいた。それは異常なまでの忍耐強さ(少年向けのキャンプでの自身への壮絶ないじめを告げ口しなかった)、危険に向かって面白半分に飛び込もうとする態度(セーリングや高地での乗馬・ハイキングなど)、そして自身のユダヤ性をひた隠しにしようとする態度があり、このうちのいくつかはその生涯に影を落とすことが暗示されている。

 第2章では、ハーバード時代の彼の生活や学問が語られる。ハーバードではどんな科目でも優をとってしまう天才でどれを専攻するか決めかねていたが、結局化学を最初は専攻した(しかしその間にもギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読破するなど計り知れない)。詩作にも優れていた。日本語訳だが、一個感銘を受けたので引用します。

 「夜明けは、われわれの実体に欲望を植え付ける

  そして遅々たる光は、われわれ自身と物悲しさを裏切る

  天のサフランがしおれて色あせていくと、

  そして太陽が不毛となり、

  燃え盛る炎がわれらを揺り動かして目覚めさせると、

  われわれは再び自分を見つける

  それぞれが、別々の独房で

  他人との交渉の、

  準備はできているが、絶望的」(pp98−9)

 この「独房」というのが、まさにオッペンハイマーユダヤ排斥的なハーバードや、当時の大学生活に受けた印象だった。基本的にはあまり社交的ではなく、少数の友人と深く付き合ったことが描写されている。また、女性との出会いにも飢えていたようで、図書館でスピノザを読んでいる女性に声をかけないまま詩作にその恋を秘めるという気持ち悪いオタクみたいなことをしている(後年のガールフレンドとっかえひっかえと比べると何たる慎ましさか)。

 さて、オッペンハイマーは化学に物足りなくなり、物理学に専攻替えする。物理学の分野を基礎から学ぶというよりも、抽象的なテーマにいきなり食らいついて考えていくアプローチをとった。このため、数学などについて一部虫食い的な知識習得になったという。こうした中で彼は物理学をさらに学ぶために、ケンブリッジ大学で物理学を学ぼうと考える。

 第3章ではそのケンブリッジ時代のことが語られるのだが、ここでのオッペンハイマーの生涯はメチャクチャ悲惨である。常に精神的に不安定であり、友達がガールフレンドを作ったり結婚したりした時は嫉妬で狂いそうで、一時は結婚報告をした友達の首を絞めたことさえあるそうだ(というのも、友達が奪われたと感じたためである。イジョドクやん。)。乗り合わせた列車のコンパートメントでいちゃついていたカップルの男が出ていった途端に、その女とキスするという強制わいせつまがいのことを起こしている(その後メチャクチャ謝ってコンパートメントを出たのだが、プラットフォームに出た後にその女が階の下にいるのを見てスーツケースを頭に落としてやろうと思ったらしい。流石に狂気が面白過ぎる。)。見かねたお母さんがケンブリッジに昔なじみの女の子を連れてきたのだが、何とベッドで行為に及べないまま終わるという恥かきイベントが発生する。また手先があまり器用でないので実験物理学における実験の手作業に馴染めなかった。このようなよくない環境の中で、オッペンハイマーは指導教官のリンゴに毒(といっても致死性のものではなくせいぜい気分が悪くなるようなもの)を盛るという「毒リンゴ事件」を起こし、父親の大学当局へのとりなしで放校処分は免れるという顛末となる。こうした中で、オッペンハイマーは1926年のコルシカ島への旅行、プルースト失われた時を求めて』の読書(「おそらく彼女は悪というものが、これほど稀で、これほど非日常的で、人を疎遠にする状態であること、ほかの人たちと同様、彼女自身の中に自分が与える苦しみへの無関心を感ずることができたら、そこに移り住むことがこれほど心休まるものであるとは、考えたこともなかったであろう。この無関心は、どんな呼び方をしようとも、恐ろしくて永遠に続く残酷さの一つの形である。」という第一巻の一節を後年に至るまでオッペンハイマーは諳んじていた。)、などを経て徐々に精神を回復していく。そうした中で、彼はゲッティンゲンへの移籍を望むようになる。

 第4章はゲッティンゲン時代にオッペンハイマーが覚醒した経過が辿られる。当時のドイツの理論物理学は、ハイゼンベルクやパウリ、シュレディンガーなどによる量子力学の研究が盛んになっており、オッペンハイマーはその最末期に訪れたことになる。ここでオッペンハイマー量子力学のフロントランナーたちを世に送り出したマックス・ボルンらとの共同研究に明け暮れ、独創的な研究を発表するようになる。こうした中で国際的な名声を得てオッペンハイマーアメリカへ帰国することになる。

 第5章からは、オッペンハイマーが長らくカリフォルニアのバークレーで教鞭をとった時代のことが書かれる。オッペンハイマーバークレー校とカルテックの物理学科を兼任していたが、すぐには教鞭をとらずにさらに1年間奨学金を得てオランダに飛び、エーレンフェストのもとで研究した(が、あまり実りの多いものとはならなかったようだ)。天才的な語学力でオランダ語もすぐに話せるようになり、「Opje(オッピー、後年英語で「Oppie」となり、オッペンハイマーの愛称となる)」と親しまれる。1926年から1929年までに彼は16本の論文を発表するという驚異的な成果を挙げるに至る。「1925年から1926年にかけての第一次量子物理学の開花に参加するには、年齢的に若すぎたが、ウォルフガング・パウリの指導の下で彼は第二次の波を確実に捕らえた。彼は、連続体の波動関数の性質をマスターした初の物理学者であった。物理学者ロバート・サーバーの意見によると、オッペンハイマーの最もオリジナルな貢献は電界放出の理論であった。この手法によって彼は、非常に強い電界によって誘導された金属からの、電子の放出の研究ができるようになった。これら初期の時代に、彼はX線吸収係数および電子の弾性・非弾性散乱の計算に関する、突破口を開くこともできた。」(pp197-8)ということだが、さっぱりわからんね。ただ、量子力学の発展が様々な科学技術の進展をもたらしたということだけは分かりましたまる。

 第6章と第7章ではオッピーの幸福な時代が描かれる。教師オッペンハイマー、講義は難しいけど意外にみんな受講するという不思議な立ち位置だったようだ。後進の研究者を共同論文の執筆に誘ったり、学生たちを複数集めて様々な議論を交わしたりするなど、面倒見はよかったのかもしれない。理論物理の研究者としては、綿密な計算による論証を自家薬籠中の物とするディラックとは異なり、オッペンハイマーは直観力を活かして研究を突き進んでいくタイプの人間だった(このため彼の計算はひどいという評判だった)。また、ひとつの問題にこだわり続ける忍耐力にも欠けていたと言われる)。この時期のオリジナルな研究は「中性子星」の研究であるというが、むしろオッペンハイマーの真価を著者はこのように表現する。「実験物理学者が実験室でやっていることを理解した理論物理学者として、彼には異種の研究範囲からきわめて多くの情報を総合することができる、珍しい資質があった。」(p223)これが後年の原発開発につながっていくのだろう。物理学の研究に精を出す一方で、ありとあらゆる小説と詩を読みふけり、サンスクリット語を学んで短い間に「バガヴァッド・ギーター」を読んだという。凄すぎるやろ。

 第8章で、彼を政治に引き込んだ運命的な女性ジーン・タトロックとの出会いが描かれる。ジーンは高名なチョーサー学者の娘で精神分析を学んでいたが、同時に確信的な共産主義者でもあった。精神の繊細さを秘めていたこの2人は惹かれ合った。ジーンが交友していた共産主義者たちも交流を深め、オッペンハイマーは「政治的行動主義」の世界に足を踏み入れるようになる(1936年夏にドイツ語版『資本論』全三巻をニューヨーク行きの三日間の列車の中で全部読み上げたという。頭おかしすぎる。)。

 第9章以降は、その政治化した彼の政治的行動の来歴の詳細が丹念に辿られる。オッペンハイマーは弟フランクが共産党に入党したことを知って驚いた。そして、FBIが血道を上げて立証しようとしたオッペンハイマー共産党員説は、今でも謎に包まれているという。オッペンハイマー共産党の党員知識人たちとも交流があり、また教職員組合のために活動していたことが知られているが、しかし自身は共産党員ではなかったというのが彼自身の弁明だ。本書の著者は、恐らくオッペンハイマー共産党のシンパではあったが、党籍番号などを有する共産党員ではなかった可能性が高いと考えているようだ(そうとは明言していないが、オッペンハイマー共産党員説には基本的には否定的である。)。オッペンハイマー自身は、ナチを至上の敵と考えており、ナチがヨーロッパ戦線で快進撃を続けていく中で、文明の敵であるナチをどうにかして地上から消し去らねばならないと考えるように至る(これが彼を原爆開発へ関わらせる動機となる。)。

 第11章は、ジーンと破局したのちに、一生の伴侶である貴族令嬢キャシーとの出会いから始まる。キャシーはスペイン内戦で共産主義者だった夫を亡くした未亡人で、そしてその後すぐに熱のない結婚をした人妻だったのだが、オッペンハイマーはこれを略奪したようだ(鳩山由紀夫よりすごい)。

 第12章と第13章。核分裂反応の発見を共有されたオッペンハイマーはすぐさまこれを爆弾に転用可能であることに気づく。そして、原子力爆弾の開発研究はオッペンハイマーの旧友であり実験物理のオーガナイザーであるアーネスト・ローレンスが先に関わっていた。オッペンハイマー自身も、ドイツに原爆開発の先を越されるのではないかという考えが頭を占めるようになり、何とか開発計画に参与しようとする。そして、軍が敵視していた組合活動から距離を置いたことをローレンスに請け合った後、初期の開発プロジェクトである「ウラン会議」において、「急速爆発コーディネーター」という肩書を得ることに成功する。「その政治信条はさておき、彼はこの科学的なチームの新しい人材としては完璧であった。問題の理解力は深く、彼の対人能力は今やきれいに磨かれ、そして現下の問題に対する彼の熱意は影響力があった。不器用な科学的天才であったオッペンハイマーが、15年もたたないうちに、仕事と社会生活を通じて洗練されてカリスマ的な知的リーダーへと、彼自身を変貌させた。原子爆弾製造に関連する問題が速やかに解決されるとしたら、オッピーはその過程で重要な役割を演じるはずだと、一緒に働くようになった人々が確信するのに時間はかからなかった。」(pp405-6)。そんな彼の信念は「原子爆弾だけが、ヨーロッパからヒトラーを追い払うことができる」(p415)という考えに尽きていたようだ。そして計画は「マンハッタン計画」へと進展し、そのプロジェクトの責任者として、「アカ」であるという疑念を完全に晴らせないにもかかわらずその類稀なる才能を見込まれオッペンハイマーが推挙されるに至る、というところで上巻は終わる。

 

【雑感】

 今日も読書まとめに1時間半かかりました(昼休み30分+帰宅後1時間)。もっと効率化すれば30分ぐらいは削れると思うんだけどなあ。何かいい方法はありませんかね。