死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240326

【労働】

 辛すぎワロタ。けどもう恥も外聞もかなぐり捨てて何もしなくなっている。

 

【雑感】

 労働の精神的辛さを対消滅させました。まずサウナに入って、池袋で限定出店している飛騨高山の落ち着くラーメンを食って、大学の先輩と焼き鳥食って、ジュンク堂で本買って、コメダでデザート食った。計2万ぐらいで何とか一日の正気を保つことができましたね。

 

【読書】

 島津忠夫訳注『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫、1999年)を読了。

 このブログを多少なりとも読んでいる人ならわかるとおり、俺は西洋かぶれのクソイキリ人文ディレッタントなので、百人一首のような日本の昔の文化にはとんと縁がない。そもそも詩全般に大して興味がない人間だ。とはいえ、流石に中世ジャップランドでサバイブする人間として何も知らんままではよくないよなと思ったのと、あとたまたま古本屋で300円で売ってたので「まあこれから入門してみるか」と購入したので読んでみました。これで日本人力(ちから)を底上げしていきます。

 本書は、百人一首藤原定家が編纂したと考える立場の著者が、定家がどのような選歌意識・批評眼をもって「百人」を選んだか、またその百人それぞれが残した無数の歌からそれぞれ「一首」を割り振ったかという観点から百首それぞれに鑑賞や出典に関しての解説をものしている。なので、定家が晩年の好みを強く反映させて、当該歌人の代表作でもないものを選んだ、というような主張もあり、だいぶ偏ったアンソロジーなんだなという素朴な感想を持ってしまった。とはいえ、天智天皇から始まり後鳥羽院で締め、さらに女流歌人などを集中的に並べるなど、配列等にも技巧を凝らしていたようで、その点はアンソロジストとしての批評性を感じさせますね。また、最古の歌仙絵とともに百人の略歴も簡単に紹介されている。それぞれの歌に対して見開き2ページで解説が加えられており、歌の下の方に語義や文法解説が若干触れられている程度。恐らくですが、ビギナーズ・クラシック版の方が絶対に最初の一冊にはふさわしかったっぽいが、まあ古本ベースで物事を調べているとこういうことがたまにあるんすよね。

 巻末に、著者の解説が70頁ほどあるが、これは編纂者問題について著者なりの学説整理や主張を試みているもので、ほとんど学術論文に近く、この分野について素人の俺には「???」という感じだった。その中で、百人一首と百人秀歌(親戚のために編んだ障子に描く様の歌)との先後関係(百人一首には「秀歌」の方にはない後鳥羽院と順徳院の歌が収められていることから、承久の乱以後の定家の対幕府との微妙な関係が示唆されていてこの点はなるほどと思った)に関する著者の考えの変遷(当初著者は百人秀歌を親戚に頼まれて作る→やっぱ後鳥羽院とかも入れたいよねという気持ちになったので百人一首を編んだと考えていたのだが、研究の進展につれてむしろ百人秀歌と百人一首はほぼ同時並行で作られていたが、それぞれ基になったであろう何らかのオリジナルバージョンの存在を想定する。Q資料かよ)などはふーんと思いながら読んだ。あと、宝塚の女優名が百人一首からとられていることが多い(天津乙女有馬稲子、霧立のぼる、小夜福子)とか、昔は色々な歌集のかるた遊びがあったが元禄ごろから小倉百人一首で統一されてきたっぽいというtips的な指摘自体は勉強になりました。なお、ネットで調べていたら最近の研究では編纂者は定家ではなかったのではないか説もあるらしく、この点を詳らかにした岩波新書の本があるので気が向いた時に読む予定です。

 さて、百首についてですが、1日で読了してしまい、歌を楽しむ読み方とは到底言えないものの、ファーストインプレッションでいいねと思った歌はあわせて約40首ほどあります。全体的には、恋愛の歌が多くて、バキバキ陰キャ童貞彼女いない歴=年齢ミソジニーおじさんの俺としては「キッショ」と羂索みたいな感想しか持てないのもあったのですが、絵画のような風景を歌い上げたものとか、寂莫や孤独、老いについて歌ったものには非常に感銘を受けました。あと恋愛ものでも、普通に感情が強すぎてワロてしまったものについてはよかったと思います。ただ、一夜を過ごした後の朝になって別れる「後朝(きぬぎぬ)」系はよくないですね。風俗嬢の手書きメモでニチャァする人間と同じ精神性を感じるので。

 俺のベストは83番「世中(よのなか)よ みちこそなけれ おもひ入(い)る やまのおくにも 鹿ぞなくなる」(皇太后宮大夫俊成(藤原俊成))です。現代語訳は「世の中というものはまあ、のがれる道はないのだなあ。深く思いこんで、分け入って来たこの山の奥でも、やはり憂きことがある見えて、もの悲しく鹿が鳴いているようだ。」(p178)。「この俗世をのがれて、山の奥へのがれる遁世の身に、なお鹿の鳴く音がもの悲しく聞こえて、とてもこの世では、憂さからのがれることもできないと深く述懐する心を、「世中よみちこそなけれ」とまず二句切に言い切り、第三句以下鹿に実感をよせて余情深くよんでいるところ、王朝末の深いさびしさを巧みによみ得ている」(同)との鑑賞評に深く同感する。もちろん、鹿が「悲しいわ~」と鳴くわけではないが、その鳴き声に悲しさを読み取る人の心の持ちようであるとか、悲しみから逃れることの難しさとかいろいろなものが込められた短歌で、今の鬱ぎみの心にはとっても染み渡るものでした。この歌だけでも暗誦できるようにして、悲しみに浸った時に思い出せるようにしたいなと思いました。

 その他の歌について、ブログに転写します。現代ではコピペできるから楽だねえ。ですので、歌それ自体は本書からの直接の引用ではないことをご容赦ください。島津による現代語訳を括弧書きで並置し、歌によってはその後ろの※以下でちょこっとメモも書きます。メモは当方の最悪な感想ばかりですがお目こぼしください。

 

3、あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む    柿本人麻呂

山鳥の尾の垂れさがった、あの長い長いその尾よりも、いっそう長いこの秋の夜を、恋しい人とも離れて、たったひとりでさびしく寝ることであろうかなあ。)

 

5、 奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸太夫

(奥山に、一面に散り咲いた紅葉をふみ分けてふみ分けてきて、妻をしたって鳴く鹿の声を聞く時こそ、秋は悲しいという重いが、ひとしお身にしみて感じられることよ。)

 

6、かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける    中納言(大伴)家持

(冬の夜空にこうこうと輝く天の川の、鵲が翼をつらねて渡したという橋に、あたかも霜が置いたように白く見えているのを見ると、天井の夜もすっかり更けたことだなあ。※七夕伝説ってこんな鳥出てくるんだっけ!?と思ってたら出てきました。俺天の川それ自体が固まって渡れるみたいなイメージ持ってたわ。)

 

7、天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも 安倍仲麻呂

(大空はるかに見渡すと、今しも東の空に美しい月うが出ているが、ああ、この月は、かつて眺めた故郷奈良春日の三笠の山に出た、あの月なのかな)

 

9、花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに    小野小町

(美しい桜の色は、もう空しく色あせてしまったことであるよ。春の長雨が降っていた間に。そして、私も男女の仲にかかずらわっていたずらに物思いをしていた間に。

※これはいわゆる小野小町零落伝説とも関係がある解釈なんですかね。)

 

11、わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよあまの釣舟    参議(小野)篁

((遠い隠岐の配所へおもむくために)広々とした海原はるかの多くの島々に心を寄せて、いま舟を漕ぎ出したとせめて京にいるあの人だけには告げておくれ。漁夫の釣舟よ。)

 

17、ちはやふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは    在原業平朝臣

((人の世にあってはもちろんのこと、)不思議なことのあった神代にも聞いたことがない。竜田川にまっ赤な色に紅葉がちりばめ、その下を水がくぐって流れるということは。

※この歌には解釈が二通りあるらしく、上の島津訳のとおりと、賀茂真淵以来の真っ赤に水面がくくり染め上げられているというものがある。『古今集』のとおりに従って読むと後者が正しいようだが、島津は定家はこう解したのだということで、上のように訳している。なお、俺はちはやふるというのは漫画とかアニメのタイトルである以上の意味を知らずに、神様とか向けの枕詞だと知って「へえ!」ってなった。非国民か? 古文の授業全部忘れたので……)

 

20、わびぬれば今はた同じなにはなるみをつくしてもあはむとぞ思ふ    元良親王

(噂が立ってわびしい嘆きに悩んでいるのですから同じことです。どうせ立ってしまったなですもの、難波の「みをつくし」という言葉のように身をほろぼしてもお会いしたいと思います。

※澪標=身を尽くし、というの面白いっすよね。)

 

23、月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど    大江千里

(秋の月を見ていると、いろいろととめどなく物ごとが悲しく感じられることだ。秋が来るのは世間一般に来るのであって、なにも格別自分ひとりのための秋ではないのだが。)

 

26、小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ    貞信公(藤原忠平)

(小倉山の峰のもみじ葉よ、もしお前に心があるならば、もう一度、今度は主上行幸があるはずだから、その折までどうか散らないで、待っていてほしいものだ。)

 

28、山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば    源宗干朝臣

(山里は都とちがって、冬が格別にさびしさが増さって感じられることだ。人の尋ねて来ることもなくなり、草も枯れてしまうと思うので。

※「離(か)れ」と「枯れ」がかかっているらしい。おしゃれ!)

 

33、ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ    紀友則

(このように火の光がのどかにさしている春の日に、桜の花はおちついた心もなくはらはらと散ることよ。どうしてこうもあわただしく散るのかしら。

※「この歌は慌ただしく散る花が、のどかな春の心持を乱すのを咎めたものではあるが、さうしたぎこちない難詰の心は、ゆるやかに流れてゆく『しらべ』の波にかくされてしまって、風なきに舞ふがごとくもかつ散る花をながめながら、霞の中をただよふ陽光に包まれて、爛熟した春を味わひつつある歌人の心持がさながらに浮かび出てゐる。」(p78)という吉沢義則の鑑賞になるほどと思った。)

 

34、たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに    藤原興風

(私はだれを昔からの知りあいとしようかなあ。高砂の松のほかには、私と同じように年をとったものはないが、それも昔からの友ではないから、話し相手にならないし。

※「昔の友人がみな死んでしまって、孤独を痛切に身に感じている老人の嘆きの声」を詠んだとか。エモ……)

 

38、忘らるる身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな    右近

(忘れられてしまう私の身のことは、何とも思いません。ただあれほど神前にお誓いになったあなたのお命が、いかがかと惜しまれてならないのです。

※怖すぎワロタ。永遠の愛を誓っても普通に離婚しまくっとるわが国ェ……。)

 

39、浅茅生の小野のしの原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき    参議(源)等

(浅茅の生えている小野の篠原――その「しの」ではないが――これまでは忍びに忍んできたけれど、今はとても忍びきれないで、どうしてこんなにあなたが恋しいのでしょう。)

 

42、ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは    清原元輔

(かたく約束したことでしたね。お互いにいく度も袖をしぼりながら、あの末の松山を浪の越すことがないように、ふたりの間も決して末長く変わるまいとね。それなのにあなたは……。

※これが平安のStardustですか。怖いねえ……)

 

43、あひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり    中納言(藤原)敦忠

(逢って見て後の、この恋しく切ない心にくらべると、以前のもの思いなどは、まったく無きにも等しい、なんでもないものでしたよ。

※恋してから知能が発達するタイプの白痴か???)

 

46、ゆらのとを渡る舟人かぢを絶え行くへも知らぬ恋の道かな    曾禰好忠

((潮流のはやい)由良の海峡をこぎ渡ってゆく舟人が、かいがなくなって、ゆくえも知らず途方にくれているように、思う人、たよりにする人を失ってどうしてよいかわからないことよ)

 

47、八重むぐら茂れるやどの寂しきに人こそ見えね秋は来にけり    恵慶法師

(葎のぼうぼうと茂っているこの寂しい宿に、人は誰ひとりとして訪ねては来ないが、秋だけはやっぱりやってきたことだなあ。

※みんな秋になると物思いしすぎでは???ハロウィン馬鹿騒ぎ現代人は平安人の爪の垢を煎じて飲むべき)

 

48、風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな    源重之

(あまりに風がひどいので、岩にうちあたる波が、岩は微動だにせず波だけが砕けるように、あの女は平気でいるのに、私だけが心もくだけるばかり思い悩んでいるこのごろであることよ

※これは情景描写◎)

 

49、 み垣もり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ 大中臣能宣朝臣

(みかきもりである衛士のたく火が夜は燃えて昼は消えているように、恋に悩む私も、夜は燃え昼は消え入るばかりの毎日で、もの思いに沈んでいるのです。

※「衛士のたく暗闇の中にもえる火と、心にもえる恋心との比喩は、誰しも連想を呼ぶことであったらしい。」(p110)はえー、現代の不夜城では想像もできませんね。)

 

52、明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな    藤原道信朝臣

(夜が明けると、やがて日が暮れ、日が暮れると、またあなたに逢うことができるとは知りながらも、やっぱり恨めしいものだなあ、別れて帰る明け方は。

※典型的後朝の歌。毎日セックス三昧かよ性の喜びを知りやがって!)

 

53、歎きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る    右大将道綱母

(嘆きながらひとり寝する夜の明けるまでの間が、どんなに長いものであるか、あなたはご存じでしょうか。門をあけるのがおそいので立ちわずらったとおっしゃいますけれど。

※「町の小路の女に通いはじめた兼家に激昂した作者が、二、三日して訪れ門をたたく兼家に対して、迎え入れることを拒んだ翌朝、ことさらに『うつろひたる菊』にさして、贈った」(p118)とのこと。上の後朝の歌と比べるとよっぽど小気味よく面白いですね。流石蜻蛉日記の作者。)

 

54、忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな    儀同三司母

(あなたが私のことはいつまでも忘れないといわれるその遠い将来のことまでは頼みにしがたいことですから、私は、そうおっしゃる今日が最後の命であってほしいものです。

※命を粗末にするなよ!!!!みんな恋愛するとそんな不安になるんか???)

 

61、いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな    伊勢大輔

(昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、さらにいちだんと美しく咲き匂い、光栄にかがやいていることでございます。

※これ即興らしい。「八重」と「九重」をかけるのすごすぎる。)

 

62、夜をこめてとりのそらねははかるともよに逢坂の関は許さじ    清少納言

(まだ夜の明けないうちに、にせの鶏の鳴き真似をして、函谷関の番人をだましたとしても、逢坂の関はそうは参りますまい。うまいことをおっしゃっても、私は決して逢いませんよ。

※『史記孟嘗君伝中の出来事を引用して詠ったもの。逢坂の関は当然男女の出会いのメタファー。流石の機知。)

 

65、恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ    相模

(あの人のあまりにつれないのを恨み、気力もなくなって、涙にかわくひまもない袖さえ口惜しいのに、その上この恋のために朽ちてしまう私の浮き名が惜しまれることよ)

 

70、寂しさにやどを立ちいでてながむればいづくも同じ秋の夕暮    良暹法師

(あまりのさびしさに耐えかねて、庵を立ち出で、あちこち見わたすと、どこもかしこも同じで、心を晴れ晴れさせるようなものはない。なんとさびしいながめの秋の夕暮れの景色よ。

※新古今的寂寥と島津も評するように、何とも得も言われぬ感じがある。)

 

71、夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろ屋に秋風ぞ吹く    大納言(源)経信

(夕方になると、門前の田の稲の葉をそよそよと音をさせて、蘆ぶきのこの田舎家に、秋風がさびしく吹きおとずれてくる。)

 

72、音に聞くたかしの浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ    祐子内親王紀伊

(評判に高い高師浜のいたずらに立つ波には掛かりますまい。袖が濡れましょうから。浮気で名高いあなたのお言葉は心に掛けますまい、きっと涙で袖を濡らすことになりましょうから。

※これメチャクチャうまいなと思いました。)

 

77、瀬を旱み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ    崇徳院

(川瀬の流れがはやいので、岩にせきとめられる急流が両方に分かれても、いずれ一つに落ちあうように、今は人にせかれて逢うことができなくても、ゆくゆくぜひとも逢おうと思う。)

 

85、夜もすがらもの思ふ頃は明けやらでねやのひまさへつれなかりけり    俊恵法師

(夜どおし、つれない恋人のことを思って物思いをしているこのごろは、早く白んでくれればよいがと思うが、なかなか白んでくれない、その寝室の隙間までが、つれなく思われることよ。

※これだけ確かに何度も聞いたことあるなと思ったのですが、東方同人ボーカルサークル凋叶棕の「御阿礼幻想艶戯譚 -綴-」のサビですわ。稗田阿求のひとり夜遊びを歌うというメチャクチャエッチな曲なのですが……)

 

87、むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕暮    寂蓮法師

村雨がひとしきり降り過ぎて、まだその露も乾かない真木の葉のあたりに、もはや夕霧が立ち上っている。ああ秋の夕暮れとなったことよ。

※こういう情景に出会いたい、こういう情景に出会いたくない?)

 

88、なには江のあしのかり寝のひとよゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき    皇嘉門院別当

(難波江の蘆の刈り根の一節、そんな短い旅の一夜の仮寝のために、すっかりこの身を捧げて、ひたすらに恋い続けるというのでしょうか。

※「旅宿逢恋」というテーマらしい。)

 

89、玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする    式子内親王

(私の命よ、絶えるならば絶えてしまえ。生き永らえていると、忍ぶこともできなくなり、心が外に現れるかもしれないのだから。)

 

93、世の中は常にもがもななぎさ漕ぐあまのを舟の綱手かなしも    鎌倉右大臣(源実朝)

(世の中は常に変わらぬものであってほしいものだなあ。この渚を漕いでゆく漁夫の小舟の、その綱手を引くさまの、おもしろくも、またうらがなしくも感深く心が動かされることよ。

※実朝の生涯を思うと、これは無常という感じがありますね。)

 

96、花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり    入道前太政大臣(西園寺公経)

(落花を誘って散らす、嵐が吹きおろす庭の雪、その落花の雪ではなく、じつは自分の身の上のこと。ああこんなに年老いてしまったのなあ。

※「落花をみての即詠だが、落花そのものをよむのではなく、眼前の「降りゆく」落花の光景から、「古りゆく」身へと掛詞を軸と想を展開させて、老いのなげきを述懐した歌。「比類ない栄華を一身に集め、春昼春夜、連々たる豪華な遊宴の中で、ふと感ずる老いの到来。圧縮された『花さそふ嵐の庭の雪』という表現からは、絢爛たる花吹雪がイメージとして浮ぶ。一転してそれを否定し、老いを歎ずる白髪の老人がある。その悲しみ」(井上宗雄氏)の鑑賞に言いつくされている」(p204)。すごい!)