死者の如き従順

脱落者・敗北者・落伍者と連帯するブログ

20240329-31

 簡単に。

 

【労働】

 ダメですね。とことんダメ。とはいえ、来週以降から本格的に退職調整をするために気力を振り絞っていこうかなと。

 

【雑感】

 3/30、久しぶりに大学のサークルの歴々と飲み会。4軒行って普通に終電を逃してタクシーで帰るなど。この歳になると、カラオケとか漫画喫茶で一夜を過ごすよりも、大金払ってタクシーで帰って家で寝た方が絶対にいいんだよな。

 色々と面白い話を聞いたのだが、歳を重ねるにつれてだんだん俺は保守的な人間になっているなという気がしてきた。どちらかというと通俗道徳側に片足を突っ込んでいるっぽい。現状を肯定しているわけではないが、ドラスティックな変更を望まない人生というかなんというか。まあ、悲しいことですね。

 ちなみに飲み過ぎたせいで翌31日はずっと胃の中に酒が残っているような感覚があり、クッソ暑い中ずっと寝転がっていた。頭痛いとか気持ち悪いとかいう典型的二日酔いではなく、端的に胃の中がまだ「成し遂げていない」感じがありすごく違和感があったという程度。酒の飲みすぎはよくありませんねえ。

 

【読書】

 リナ・ボルツォーニ(宮坂真紀訳)『すばらしい孤独 ルネサンス期における読書の技法』(白水社、2024)を読了しました。

 ルネサンスを牽引した人文主義は古典を発見し、読書することを本義としてきた。その「読書」について、人文主義者たちがどのような自己プロモーションを著述において行っていたのか、言い換えると人文主義者たちはどのような「読書」を理想として、どう後世に伝えてきたのかという問いを本書は掲げている。そこに見出されるのは、夜中に礼装して古代の著作家との対話に臨むという感動的イメージを伝えた有名なマキァヴェッリの著述に代表されるように、「死者との対話としての読書」がまさに彼らにとって理想とすべき読書のあり方だった。本書では、徹底して古典に没入し死んだ作家たちと手紙や対話を交わすようなペトラルカに、そのようなトポス(お決まりの表現)の端緒を見出し、さらにはルネサンス文人たち(ボッカッチョ、マキァヴェッリエラスムス、タッソなど)の読書観を通観し、そしてそれが時代を超えてラスキンプルーストの読書論にも反響していることを示す。読書が死者との対話、なんていうのはおそらく多少なりとも人文学をかじっていれば常識の範疇に属する話だし、紹介されている話は割と既知なことが多い(かつ、結構前提知識を要求している読み物でもあると思う)のであんま新味はなかったのだが、その「対話」のあり方や、対話をすることによってどのような変化が自身に生じるのか、さらに「鏡」や「友人」など他のメタファーとの関連などを丹念に追っているので、その点は興味深い点もあった。

 今回は、既知のことばかり書いてあったので、特にまとめません。というか毎回毎回5000字もかけて読書メモを書いてたら疲れるんです。眠いし。

 

【ゲーム】

 Rise of the Roninを買いました。パリィのタイミングがムズすぎるとだけ。面白いですけどね。